25年前の、女性にモテる棋士列伝

近代将棋1990年1月号、「新春!走れ午年」より鈴木輝彦六段(当時)の「三十石船」より。

 どうしてそうなったのか、想い出せないが、河口六段と神谷六段が将棋手帳を調べ始めた。みんな酒がだいぶ回っていた。しばらくして、「20番だね」と言われた。私の女性にもてる順位だ、そうだ。

 何につけても辛口の二人だし、これは光栄なことだと思った。なにしろ、ちょっと考えただけで、ドン・ファンかカサノバの生まれ変わりではないかと思える九段の先生はいるし、光源氏の再来ともいわれる、八段の先輩もいる。(心の妻の”明石の君”に知りあった所に住んでいる某名人もいるので、これはややっこしい)

 同い年には、ジュリーと野口五郎を足して2で割った顔といわれる男もいれば若い頃は岡田真澄に間違えられたといわれる、千住の先輩もいて(現在から想像するのは難しいが)、正に多士済々の趣きだからだ。

 いつだったか、知り合いの映画人が、出たての将棋雑誌の表紙をみて、「和製ジャン・ギャバンだね、いいね、いい、いい」と神経痛の人が風呂に入ったようになったことがあった。みると◯根先生(奥様ではない)だった。

 ほかにも、団十郎を一回りよくしたといわれた、静岡の大先生。名前を出さなければ、松田先生には化けて出られそうだ。これ以外の棋士にも、石松ではないが、「一人、忘れてやしませんか」と言われるだろう。

 内の兄弟子が10位にはいるそうだが、これはどうも政治献金の疑いがありそうだ。

 別にどうでも良さそうなことだが、いや、どうでもいいから、酒の肴になる。仕事の順位の話はしたくない。

「ところで、僕のすぐ上というのは誰なんですか」とくに聞きたいというわけではないが、話を盛り上げなくてはならない。

「17、18が、島、富岡だね」と、河口さん。「え? 島、富岡の下はないんじゃないですか」と、抵抗してみたが、これはいくら頑張っても蟷螂の斧だったか。

「40になったら、自分の顔に責任を持たなければいけない」と言ったのは、アメリカの元大統領だったか、ことし年男の利はもう数年でこの年(不惑)を迎えることになる。

 前途の順位はずっと下でもいいから、責任の持てる顔になりたいと思っている。

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「ドン・ファンかカサノバの生まれ変わりではないかと思える九段の先生」は米長邦雄九段。

「光源氏の再来ともいわれる、八段の先輩」は真部一男八段(当時)。

「心の妻の”明石の君”に知りあった所に住んでいる某名人」は谷川浩司名人(当時)。

「ジュリーと野口五郎を足して2で割った顔といわれる男」は飯野健二六段(当時)。

「若い頃は岡田真澄に間違えられたといわれる、千住の先輩」は椎橋金司五段(当時)。

「和製ジャン・ギャバンだね、いいね、いい、いい」と言われたのは関根茂九段。

「団十郎を一回りよくしたといわれた、静岡の大先生」は廣津久雄九段。

「名前を出さなければ、松田先生には化けて出られそうだ」の松田先生は、松田茂役九段。

「10位以内に入っている内の兄弟子」は青野照市八段(当時)。

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私は女性が大好きだが、男性を見て、「おっ、この人は何なんだ」というほど美男子だと思えたのが、若い頃の故・岡田真澄さん。小学生の頃「マグマ大使」というテレビ番組の第1話を見た時のことだ。

最近だと、谷原章介さんが美男子の王道を行っていると思う。

美男子とモテるは必ずしも連動はしないが。

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同じ、河口俊彦七段と神谷広志八段のコンビによる、現代版の”女性にモテる棋士ランキング”も見ていたい。

層が厚くなっているので、かなり悩ましそうだけれども。