将棋世界1995年2月号、三遊亭圓窓さんの随筆「将棋の遊び」より。
最近、楽屋で将棋を指す者もいなくなって、将棋盤も姿を消してしまった。
亡くなった志ん生師匠が噺家の将棋同好会である<待った倶楽部>の会長をやってた頃は、どの寄席の楽屋にも安物であったが将棋盤があった。志ん生師匠は自分用の駒を持って歩いていたほどだから、あたしら前座はその楽屋の将棋盤をそれはそれは大切に磨くように拭いたものだ。
ところが、将棋に無関心な亡くなった柳橋師匠は、出前のラーメンを受け取ると、「ラーメンを置くには将棋盤が一番いいぞォ」と、将棋盤をお膳代わり。食べ終わったあとには、丸くツユの跡が残った。それを拭き取るのも前座の仕事であった。
楽屋では、漫才の<順子・ひろし>のひろしさんが最強。ひろしさんは「あたしより兄貴がちょっと強かったです」とさりげなく言う。「兄さんも芸人ですか」と訊いたら「大野源一九段です」と、答えるではないか!ちょっとどころじゃないよ。楽屋将棋の何億倍も強いんだ、その人は!
あたしは、駒の動かし方を知っている程度なので、誰とやっても勝ったことがない。得意は洒落将棋。
歩を指して「やさ、お富。歩指し(久しい)ぶりだな」とか、角を取って「角取り(立つ鳥)跡を濁さず」とか、一手指すたびに必ず洒落を言うルール。いい手を指しても洒落が言えないと、その手は認められないという厳しいもの。駄洒落の好きなあたしは、洒落将棋だと負けたことがない。
調べてみると、将棋の出てくる落語はあまりない。〔浮世床〕〔将棋の神様〕ぐらいのもので、ちょいと寂しい気がする。
平成6年5月に亡くなった太鼓持ちの悠玄亭玉介師匠のお座敷芸の一つに、将棋に引っ掛けたものがあったので、あたしは「落語にアレンジさせてください」と、お願いして、「将棋の遊び」と題して、<新しい噺絵巻>という創作落語会で10月に発表した。
粗筋を紹介しますと……。
将棋好きの廓の楼主が<将棋楼>という将棋尽くしの名の見世を開いた。そこへ将棋好きの大工が上がる。
花魁の名も、穴熊花魁、振り飛車花魁、棒銀花魁。
客が、二階へ上がろうとして、
「若い衆。この梯子段…、狭くて、急だな」
「段はたやすく取れるものではありません」
部屋も、王将の間、金の間、銀の間など。
「銭がねェから歩の間に詰めようじゃねぇか」
「歩詰めは出来ません。花魁のほうも、二人の間夫を持ったら、やめさせられます。二歩(二夫)にまみえずで……」
「桂馬の間にしよう」
「今度くるときは金の間になさってくださいまし。『裏が返って、成り上がり』です」
花魁との遊び方もいろいろある。
(中略)
そうこうしている内に、棒銀花魁が部屋に入ってきて、客と手合い。
花魁はそうとう腕は達者で、棒銀で攻めて、攻めて、客を苦しめますが、ほどのいいところで受けに回って、客に巧く勝たせました。
「わちきは将棋のみならず、身も心も主に負け申しました。主は車成り(かなり)の腕前。角成る(斯くなる)上は、もうひと盤(晩)、指しておくんなし」
「気にいったぜ。金銀の続く限り、ズーと居続けさせてもらおう」
すると、部屋の若い者があわてて答える。
「居続けは四晩まで、その先はお断りを」
「どうしてだい?」
「将棋楼です。碁盤(五晩)はございません」
平成7年5月11日。玉介師匠の追善会が催される。その折、この〔将棋の遊び〕をやらせてもらおうと思っている。
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「裏を返す」とは、現代流に言えば、気に入った女性のいる店に二度目に行くこと。
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棒銀花魁は、無骨だけれどもチャキチャキした気性の花魁のイメージがある。
振り飛車花魁は、私が振り飛車が大好きということも影響しているのだろうが、なかなか悪くない雰囲気。
穴熊花魁はちょっと微妙。
矢倉花魁はしっとりした本格派の感じ、腰掛銀花魁は見かけはそうでもないが過激な展開が待っていそうな花魁、相掛かり花魁は不思議とイメージが浮かばない。
カニカニ銀花魁は、少し引いてしまいそう。
横歩取り花魁は、悪くはないのだけれども、横太り花魁に聞こえてしまうので、花魁界では忌み嫌われそうな名前だ。