将棋世界1984年9月号、神吉宏充四段(当時)の「関西棋士はどないじゃい 井上慶太四段の巻」より。
”花子さんは風邪をひいています。花子さんの家の前では牛がモウモウと鳴いてその横には蝶々が飛んでいます。さて花子さんはどんな病気でしょうか?”
このナゾナゾを井上四段に出すと、彼は笑いながら「なんや!簡単な問題や。花子さんはモウチョウやー!」
とにかくそそっかしい。初めに風邪といってあるのに……。
(中略)
関西のアイドル的存在
井上慶太―昭和39年1月17日芦屋生まれの現在20歳である。血液型O型。奨励会入会は54年10月6級で、56年には初段、58年2月に四段とかなりハイペースで通り抜けた。若松六段門下で今をときめく谷川名人の弟弟子にあたる。
とにかく愛くるしいマスクとかん高い声で皆から”ケイタ、ケイタ”と呼ばれる、関西のアイドル的存在である。
(中略)
よっしゃ!いったれ!
いきのいい男である。彼は阪神の大ファンで、先日もTVで野球の試合をやっていた時、阪神の攻撃の番になるとじっとTVを見る。”佐野打ちました、ヒットです”と実況が入ると彼は、「よしよし」といって大きくうなずく。さらに”掛布フォアボールでランナー1・2塁です”に身を乗り出し、「よっしゃ!バースいったれ!ここで打たにゃ男ちゃうでー!」と叫び出す。ここで凡打なんかで終わると慶太、天を見上げ「あーあっこりゃバース、何やっとんじゃい!」と大阪弁丸出しで嘆く。これじゃ一体誰が野球をやっているのかわからない。
ゲームセンターで正座
井上四段は対局中正座を崩さない。りっぱな対局態度で内藤國雄先生からも彼は強くなると太鼓判を押された逸材である。
最初に見ていただいたようにそそっかしいのがやや玉にキズだが……それでも昨年の全棋士勝率ベスト10に入ったことで、その実力は知れよう。
このように正座を通しながら戦う井上四段だが、実は対局以外でも正座をしている所を筆者は目撃した。その場所はゲームセンター。普通がゲームセンターはイス席なので正座でゲームをやっている人はいないのだが、井上君はイス席で正座する。
これはまた傑作で「ケイタ、ゲームしよか」と誘うと最初、彼は意志が強く、「わしゃー今日はやめときますわー」というが、再三誘うと「そんなら1ゲームだけしましょか」と控えめにゲームセンターに入っていく。彼は1ゲーム終え、我々のゲームの終わるのを見ているが、私がマージャンゲームをやっていて失敗すると慶太「神吉さん、そこはこうでっせー」と助言してくれる。それではと「慶太、そんならちょっと教えてくれ」といってゲームを交代する。もうここで彼は、最初に言った”1ゲームだけ”はすでに忘れている。
「ほりゃ!こりゃ!どないじゃい」とゲームセンター全体に聞こえるような声でゲームをしだす頃には、ちゃんとイスに座っていた彼も、いつしかクツを脱いで正座で戦っているではないか。このまま放っておくと、いつまでもやっているから「慶太、そろそろ帰ろか」と言うと慶太先生残念そうな顔をして、「いやーもうちょっとだけ、あと1ゲームだけやりましょ」……
わしゃー困りまっせー
慶太先生は、よく皆から酒に誘われる。しかし、酒をあまり好きでない彼は「わしゃー困りまっせー}となるべき辞退するようにしているが、兄弟子の谷川名人とか内藤先生なんかに誘われるとことわりきれず「ほんなら12時までということで」などといいながら飲みに行く。しかし鬼の先生方。慶太を帰すはずがない。「おい慶太、飲め!」と命令されしぶしぶ何かお茶を飲むように口の中で含んでグチュグチュさせて飲んでいるが、そのうち、酔いが回ってくると「ほんなら、一曲やりましょか!」と自らマイクを持って歌い出す。得意な歌は、沢田研二の”カサブランカ・ダンディ”。♪ボギーボキーあんたの時代は終わったー♪と目をつぶってマイクを上下に振りながら力唱する井上慶太を誰も止めることは出来ない。
そして歌が終わって席にもどってくると今度は、「皆さん踊りましょ!ソレソレー」と今度はアワ踊りのような何かわからん踊りを踊り出す。これを内藤先生は”タコ踊り”と命名された。
午前3時、嵐のようなひとときが過ぎ去り帰る途中、慶太先生も酔いがさめてきたようで、「わしが12時に帰るっていうとるのに……悪いお人達や…」
とにかく天真爛漫
彼は本当に敵を作らない。いや、作らせないというか、とにかく彼を悪くいう人は絶対にいない、これは断言できる。
奨励会の人からも親しまれているし、先輩の棋士からも可愛がられている。
また勉強熱心でよく将棋会館で棋譜を並べている光景を見る。
こんな天真爛漫な彼をファンの皆さん、どうか注目して見て下さい。きっと皆さんを楽しませる存在になることうけあいです。
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『カサブランカ・ダンディ』の歌詞は「ボギーボキーあんたの時代は終わったー」のところ、”終わった”ではなく”良かった”が正しい。
これは井上慶太四段(当時)が酔っ払って歌ってこうなったのか、神吉宏充四段(当時)が元々の歌詞をそのように覚えていたのか、ネタでこのように書いているのか、いろいろと想像ができて楽しい。
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神吉宏充七段が井上慶太九段のことを書いた初めての記事。
この後、井上九段は、神吉七段が書く記事に登場する常連となる。
この記事での予告通り、それだけ井上九段の面白いエピソードが多かったということになる。
井上慶太七段(当時)「ワシ、こんなん一回でええからやってみたかったんですわ」
村山聖六段(当時)「井上先生、1回だけでいいんです。負けて下さい」
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