「解けたら四段」と谷川浩司名人(当時)が認める次の一手

将棋世界1990年4月号、谷川浩司名人(当時)の連載自戦記「名人の読みと大局観」より。

 今月は、まず次の一手から考えて頂こうと思う。

 問題図は、6九の角で歩を取りながら△3六角成とされた局面である。

谷川次の一手

 現在金桂得だが、飛と金に当たっている。△6七と▲同金と形を乱された上に飛を取られると、先手が苦しくなる。

 ピンチを逃れる、妙手がある。正解は来月号に示すが、1ヵ月待てない方は、3月中旬からの読売新聞を見て頂きたい。そこで出ているはずである。

 解けたら四段、としておこう。

(以下略)

——–

問題図は、1990年に行われた第3期竜王戦ランキング戦<1組>1回戦の谷川浩司名人(先手)-大山康晴十五世名人戦での、対局には現れなかった変化局面。

この当時も現在も、将棋世界の四段コースは、卒業まで最短で5ヵ月、20問正解(1990年頃は25問)しなければ四段と認定されない。

しかし、今日の問題図は、「解ければ四段」と谷川浩司名人(当時)が認める問題。

解きがいがあるというものだ。

さっそく、考えてみた。

——–

……分からない。

答えを見てみよう。

将棋世界1990年5月号を見てみた。

ところが、谷川名人の自戦記のページには何も触れられていない。

将棋世界1990年6月号も見てみる。

あった。谷川名人の自戦記のページの最後に、

(編注 4月号の本欄で出した次の一手問題の正解は、▲4八飛でした。以下、△同と▲3二飛で先手よし)

——–

なるほど、と金をそっぽに追いやって、じっくりと両取りをかける…

▲4八飛は10時間かかっても思いつきそうにない。そもそも▲3二飛の馬と角の両取りが見えていない。

しかし、よくよく考えてみると、谷川名人がわざわざ実戦に現れなかった妙手をクローズアップしているわけで、これは、解ければ四段の手ではなく、解ければプロの手ではないか。

正解が分からなかった負け惜しみかもしれないが、そう思っておこう。

 

 

「やっぱり羽生は鬼だ」

将棋世界1990年4月号、C級1組順位戦レポート「羽生は勝負の鬼」より。

 羽生が本気で戦うか。第8戦ですでに昇級を決めたのだから、残る2戦は羽生にとって消化試合のようなもの。あえて全力を尽くして戦うことはないのではないかという見方もできるだけに、羽生-泉戦は注目に値する一番であった。

 本気かどうかは、その戦いの異様な進行ぶりから容易に推察できるところとなった。

 泉が左美濃から急戦を狙ったのに対し、四間飛車の羽生は、徹底して泉の急戦を封じにかかり、ついにこの将棋を千日手に持ち込んでしまった。そして、30分の休憩の後に指し直しとなった2局目もまた千日手に。控え室の面々は「なんてやつだ」と驚嘆した。昇級の望みをつなごうと必死に戦いを求める泉をこうまで苦しめるとは。「やっぱり羽生はオニだ」ということで控え室の意見は一致した。

 夜戦に入っても、羽生-泉戦の駒はぶつからない。

(中略)

 2図は、羽生-泉戦の”第3局”。戦いが始まった時には、日付が変わっていた。

 20日の午前10時に開始された対局は、翌21日午前1時半に至り、ようやくにして、決着を見るべく、終盤戦に突入した。

羽生泉

 図は、羽生が△4七銀と打った場面。△4八銀成から△4九成銀が早い。2八の飛車が攻防によく効いている。羽生一手勝ちかと見られるところだが「何か泉君にもいい手がありそうな場面ですね」と控え室にいる誰かが言った。―固唾を呑んで局面を見守るうちに指された次の一手は▲3九角。予言通りの名手であった。対して△1八飛成なら▲2五桂、また△2九飛成なら、飛車の横効きが急所の筋からそれるので、▲5七角や▲1五香で先手一手勝ちだ。しかし、いい手を指した方が必ずしも勝つと決まったものではないのが将棋の恐さ。羽生は名手▲3九角に対し△7八飛成▲同玉△3七角成の勝負手をヒネり出し泉をネジ伏せてしまった。「やっぱり羽生君は勝つんですね」苦闘の末、勝利をつかんだ森下の心はすでに最終戦へと向かっていた。

——–

将棋世界同じ号の「C級1組順位戦」より。

「いやーだるい、だるい」

 朝、羽生に会うと、こんなことを言っている。消化試合が楽しくて……という感じだ。もしかして―と思ったが盤上は真剣でお互い全く駒がぶつからない。それどころか、この将棋は二度千日手になった。全く羽生の執念にはおそれいる。

 敗れた泉は痛い星を落とした。泉、堀口が負けたことにより、二人目の椅子は、森下か土佐に絞られた。森下は自力だが、相手はあの羽生である。両者の過去の因縁はご存知の方も多かろう。羽生はやはり頑張るのであろうか―。

(以下略)

——–

将棋世界1990年5月号、「C級1組順位戦」より。

 森下が負けた。内容も終始押されっ放しで、完敗といってもよいだろう。

 勝った羽生はさすがである。こういう場面で、相手は友達じゃないか、負けてもいいや―と考えるのは、凡人(凡才)の感性であり、将棋界に、もし帝王学というものがあるならば、このような将棋をゆるめずに勝つことは、そのイロハのイなのである。

 羽生は自他共に認める王道を歩む人間であり、いわば、自分の歩むべき道を再確認したに過ぎない。

 これにより、ボタモチを拾ったのが土佐である。

(以下略)

——–

昨日の名人戦第5局は、羽生善治名人が行方尚史八段を破って、名人位防衛を決めた。

持将棋になるかと思われたが、入玉を確定させた羽生名人が手厚い行方陣に攻めかかり、寄せてしまった。

第4局、第5局と、今まで表面には現れてきていなかった羽生名人の鬼のような凄みが感じられた。

——–

1990年2月から3月にかけてのC級1組順位戦。

1月に昇級を決めていた羽生善治竜王(当時)は、昇級確定目前だった泉正樹六段(当時)をラス前で破り、最終戦で自力の森下卓六段(当時)を破る。

二人の昇級の目を続けて潰した形。

後年、このような勝ち方は「米長哲学」と呼ばれるようになったが、この羽生竜王の勝ち方はそのような「哲学」などではなく、持って生まれた自然な姿なのだと思う。

「将棋の鬼」と呼びたくなるというものだ。

——–

1990年3月、羽生-森下戦→血涙の一局

 

 

将棋関連書籍amazonベストセラーTOP30(5月30日)

amazonでの将棋関連書籍ベストセラーTOP30。

 

 

中田章道六段(当時)の味わい深い随筆

将棋世界1994年12月号、中田章道六段(当時)の「待ったが許されるならば……」より。

 我が家の女房はぐうたらで、家の中のことはほとんどなにもしないのに、外へ出ると人が変わったようによく動き働く。おかげで、よそでは働き者の奥さんで通っているらしい。

 今日は仕事休みの日だが、早朝の6時に「岐阜の姉の所まで行って来る」とまだ寝ているわたしを起こして、さっそうと車で出て行った。

 二人で家に居るとケンカばかりしているので、ちょうどよい。平和で静かな一日を過ごせそうだ。

 昨夜よりの雨は降り止まずにいる。こんな日は外へ出るのも億劫だし、前から頼まれていた”エッセイ”を書くのに打ってつけの日和だ。

 まずその前にタバコを一服。これも女房がいないのでゆうゆうと吸える。身近から、マッチを取り出して擦り、なにげなく箱を見ると、「餃子なら夜来香」の文字。中国料理店の広告だった。最近はとんと御無沙汰している店なのになんでマッチがあったのだろうか?”夜来香”かあ。ふと脳裡に昔の想い出が浮かぶ。

 もう20年以上も前のことで、奨励会の三段だった。お金はなかったが、若者らしくエネルギーに満ちていた。

 スポンサーがいて、毎夜のごとくキャバレーに連れて行って貰ったが、そのうち馴染みの女ができ、ない金を工面してひとりで通った。一度だけだが、彼女の実家がある博多にも行った。あとはご想像にお任せする。

 ”夜来香”は、キャバレーが引けた後にいつも立ち寄る店だった。

 タバコもその頃覚えた。ずっと「ハイライト」一筋で、一時期禁煙したこともあったが長続きはしなかった。1日約2箱のペースだが、今日はいつもより多くなりそうだ。

 夢から覚め窓を見ると雨がまだ降り続いている。

 傍らでは我が家の娘「ラウダ」が座蒲団の上にちょこんと居坐わり、気持ちよさそうに寝そべっている。

 娘と云っても人間にあらず、女房の弟から貰って来たメス犬だ。いまの家に引っ越したのが10年前で、その時に引き取った。当時3歳ぐらいでそれに10年。人間ならばとっくにおばあさんの歳だが、未だ娘である。

 初めて我が家に来たときはなかなかなつかず、前の飼い主である義弟を慕ってか一日中泣いていた。勝手口の木柱をかじってボロボロにしたこともあったが、いまではすっかり甘えて困り者だ。当初、女房との約束で、「家の中には入れない」「食べ物と散歩の世話も自分でせよ」と条件を付けた。

 義弟が立派な犬小屋を造ってくれて、しばらくはその約束も守られていた。

 ところが、ある冬の寒い日に女房がかわいそうだからと家の中に入れてしまった。

 わたしは怒り外へ出したが、それ以来はこそっと留守中に室内へ入れていたようだ。それに気付いて犬小屋に戻すようにしたが、もうすっかり家に慣れたのか外へ出すと機嫌悪く、勝手口の戸を足でドンドン叩くようになった。それも無視していると、今度は”ワンワン クンクン”と泣き散らす。ひっ切りなしの”ドンドン ワンワン クンクン”攻撃にたまらず、とうとう室内で飼うハメになった。

 食事の世話もいつかしらわたしの役目となっていた。それも初めこそドッグフードだけで済んでいたのが、段々他の物も混ぜてやるようになり、ご飯やかつお節に魚・肉・みそ汁、それに大根の煮物・こんにゃく・うどん・そうめんetc。何でも食べるよい子といいたいところだが、ドッグフードだけのエサだと食べなくなってしまった。

 結局初めの約束で守られているのは散歩の義務だけで、朝と夕の2回。まず家の中で前足を張って背伸びするように準備体操し、尻尾を振る。早く外へ連れていけの合図だ。長い時で1時間、短いと5分もせずに帰って来る。全く女房の都合次第勝手のよい散歩だが、行かないよりはましだし、わたしは絶対に行かないのだ。

 女房が甘やかし過ぎて、2階へ上れば一緒について行くし、ちょっと顔が見えないだけでもキョロキョロおろおろ心配そうにする。外出するときは気配で察し、”ワンワン”泣き出す。

甘えん坊で淋しがり屋の娘に育ててしまった。

 こんなラウダにとって我が女房は母親であろう。だが、わたしは父親でないようだ。ただの同居人で、食事係のおじさんとしか思っていないらしい。

 いまでは空き家となったお嬢様の別荘に、最近どこかの野良猫が居着くようになった。エサまでは与えていないが、勝手に来て泊まり込み、知らぬ間に出て行ってまた戻って来るのだ。お嬢様もこれに気付いたようで、「ワン」と呼ぶと「ニャーオ」と応えるようになった。

 雨も漸く上がった。全く静かな一日だ。

——–

何気ない静かな一日が舞台になっているのに、とても心に残るエッセイ。

ラウラちゃんの目に見えるような可愛さ、そして奥様の雰囲気が活き活きと描かれている。

そして、奨励会時代の悲恋。

「あとはご想像にお任せする」と書かれているが、彼女の博多のご両親から「娘との交際は許さない」と言われたのだと思う。

中田章道七段の奨励会時代、内藤國雄九段の「おゆき」がヒットする前で、将棋のプロがいるということを知っている人が少なかったし、知っていたとしても、棋士という職業に理解のある人も少なかった。

奨励会員と名古屋・栄のホステス嬢、背景とその後の状況と展開は異なるが、一瞬だけを捉えてみれば、奨励会員とフラメンコのフロアダンサーの心模様が描かれたドラマ「煙が目にしみる」を思い浮かべてしまう。

銀河テレビ小説 煙が目にしみる(NHKみのがしなつかし ダイジェスト映像)

——–

名古屋の夜来香は現在も人気がある店のようだ。

東京・六本木で言えば、店が終わった後に締めで行くことが多いとされる、鶏煮込みそばが有名な香妃園のような位置付けなのかもしれない。

餃子なら夜来香

 

 

 

藤森哲也少年「お母さんは、羽生さんに会ったことあるの?」

将棋世界1999年2月号、女流棋士情報『「高校は行かない」の声に、うれしい悩み!? 藤森奈津子女流二段』より。

 小学5年生の男の子と2年生の女の子を持つお母さんでもある、藤森奈津子女流二段。

 長男哲也君は大の将棋好き、アマ四段の実力の持ち主である。お母さんが中心になって3年半前から指導している子供将棋教室(東京・JR蒲田駅近くにある団地の集会室で開催)をすでに”卒業”し、現在は、蒲田将棋クラブに通って腕を磨く日々。

「学校帰ってから、ほとんど毎日のように飛んで行って、7時か8時頃まで将棋指しているんじゃないかしら。いないと思ったら、クラブ行ってますから。たまにトーナメントに勝ち進んで遅くなった日は、父親が迎えに行ってます。私が席料置いていくのを忘れてから、いまは1ヵ月ごとの月極めの会員になっています」

 藤森女流二段といえば、独身時代からNHK将棋番組の顔。現在はNHK杯戦の司会を務めている。そんなお母さんを見て育ち、羽生善治四冠ファンの哲也君は、「お母さんは、羽生さんに会ったことあるの?」と聞いたりもしたそうだ。

 たまたま電話で哲也君にコメントをもらえるチャンスがあって、聞いたところ、決して勉強、勉強とうるさく言うお母さんではないそうだ(将棋を覚えたての頃は負けると泣いていたという哲也君、電話の応対も礼儀正しく、しっかりしていた。藤森女流二段は躾はきちんとする一方で、のびのびと育てているのだろう)。

 ただ将棋に熱中するあまり、学校の勉強がわからなくなったら困るヨというのがお母さんの姿勢。で、哲也君は塾にも通っている。

 哲也君の将来の夢は、もちろんプロ棋士。

「高校は行かない」ともらすこともあるそうな。まだ中学生にもなっていないわが子のこの言葉に頼もしさを感じながらも、将棋界に身を置くお母さんとしては道のりの厳しさを知っているだけに戸惑うやらで、

「それまでにプロになれるくらい強くなったら、行かなくてもいいヨと私も子供に対してはったりをきかせて、言っていますけど…。基本的には、高校に行ってほしいですね」

 当座の目標は、小学校名人戦。前回は惜しくも東京予選止まりで、テレビ出演に手が届かなかった。目指すは、優勝!3月に行われるその日に向けて、お父さんと指したり、さらに前進中の哲也君を見守る藤森女流二段の雰囲気は、あくまでふんわりである。

——–

藤森哲也四段は、高校に行かないという夢は叶わなかったものの、2014年度の勝率は6割9分に迫るなど、邁進を続けている。

藤森四段は明るく爽やかなキャラクターで、加山雄三さんが演じた「若大将」のような雰囲気を持っていると思う。

——–

「お母さんは、羽生さんに会ったことあるの?」は、やはり最低一度は聞いておきたい質問だ。

私も子供の頃、地方公務員だった父に「親戚で誰か芸能人はいないの?」と質問したところ、親戚にはいないが、父の北海道の友人の姪が太地喜和子という女優であると教えてくれた。

当時は何も知らなかったのでほとんど感動しなかったが、今思えば、凄い父の友人だったということになる。

それにしても、子供の頃の私は、なんとミーハーだったのだろう。