将棋世界1988年5月号、内藤國雄九段の「自在流 スラスラ上達塾」より。
いつのことだったか、A級の定員が11名だった年、リーグ終盤に入って全員指し分けに終わるかも知れぬという、奇妙な事態の生じかけたことがあった。
皆が5勝5敗の同成績だとどうするか。
「指し分けは落ちない」という規定があるから、全員が挑戦権を目指して勝ち上がり方式で戦うことになるのである。
今期は谷川王位が強さを発揮し、2局を残してあざやかに挑戦権を獲得した。
一方私は、3勝4敗で降級の可能性を残した状態でこの王位と対戦することになった。
結果は先月号でごらんの通りだが、この対局ほど辛いものはなかったと、谷川君は自戦記などでこぼしている。
さもありなん、と人々は同情するのであるが、あえて言わせてもらうなら、こちらの方がもっと辛かった(これが分かってくれる人こそ本当のファンだ)。
少なくとも、谷川君が辛がるだろうと推察する分だけ、余計に辛かったといえば多少は分かって頂けると思う。
私が負けたことが「大変にいい事だった」というのが棋界の評価である。
いくら親しい間柄であっても、将棋界には八百長がないということを世間に証明できたというわけである。
このことは、もし私が勝っていたら八百長くさいと、世間はともかく棋界の連中は見るということになる。
私は平然を装っていたが、対局日が近づくにつれて心の深い所が苛立っていた。
(勝たなければならないが、もし勝つと…)
楽しかるべき飲み友達(プロではない)との会話の中で、それが爆発した。
「谷川戦が残ってるから大丈夫だね」
と言われたのに対し、私は大声で「何をバカなことを言うか、谷川はそんな男ではない!」とどなって、座を白けさせてしまったのだ。
後になって、何たる度量の狭さ、「負けてくれるとは有り難いね、ハハハ……」と笑ってすませば何もなかったのに、と悔やんだことであった。
(中略)
森雞二九段との最終戦に私は勝ったが、隣で戦っていた谷川王位は敗れた。折角の全勝がならずに終わった。
この時の心境は、対谷川戦の場合とは逆にそしてこれも大方の読みと逆になると思うのだが、私よりも谷川君の方が複雑であったと思う。
私の方は自分の対局だけに、ひたすら勝つことだけに集中すればいいのだが、谷川君の方はこちらの対局が気になる上に、自分も勝たなければ(全勝記録がつくれないということに加えて)内藤に悪い、という気持ちが強く働いたに違いないのである。
まして相手が実力のある南君であっては、そのように気が散って勝てるものではない。
もっとも、これから始まる名人戦のことを思えば、黒星が一つくらいあった方がいいかも知れない。
他棋戦が好調な上にA級順位戦で全勝優勝したとなると、皆んな集まって”前祝い”をしたいムードになってしまうではないか。
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表層的なことだけでは読み取ることのできない、勝負師同士の心模様。
「何をバカなことを言うか、谷川はそんな男ではない!」と言った内藤國雄九段、TPO的なことは別としても、ものすごく格好いい。