谷川浩司王位(当時)「この連載自戦記では、私はいつも肩書きで統一しているのだが、今回だけは先生と書きたい気分である」

将棋世界1988年4月号、谷川浩司王位(当時)の連載自戦記〔A級順位戦 対内藤國雄九段戦〕「全力で戦った一局」より。

 問題図は、△2四歩▲同歩△2二飛▲2八飛△2四角までの局面である。

谷川内藤

 後手の次の狙いは、もちろん△5七角成ではなく、△5六歩。▲同金なら△7九角成で飛を抜くし、▲同銀なら△5七角成▲2二飛成△5六馬で二枚換えである。

 軽く受けて頂きたい。

(中略)

全勝を目指して

 記事等によると、この対局はかなり野次馬的見方をされていたようである。

 理由はもちろん、私の方が既に挑戦権が決まっていて、内藤先生―この連載自戦記では、私はいつも肩書きで統一しているのだが、今回だけは先生と書きたい気分である。―の方に降級の可能性があるから。

 だが、先月号のインタビューでも、「良い成績で挑戦したい」と答えているように、せっかく7連勝しても、その後2連敗では全く意味がない。

 A級での全勝優勝は、昭和47年の中原八段(当時)以来生まれていない。しかもその将棋は8局。となるとこれは狙う価値のある大記録である。

米長哲学

「相手にとって重要な一番に勝たなければいけない」。有名な、米長流の勝負哲学である。

 私も、これを立証させるような勝負をかなり経験してきた。

 例えば昨年10月。この自戦記でも紹介したように、十段戦リーグ最終局で高橋棋王に勝った。

 私は、10月から16勝2敗と最近絶好調だが、その理由は、この対高橋戦と、その前にNHK杯戦で羽生四段に負けたことだと思っている。

 勝負事では些細なことで好不調が変わる。

 不調の原因を作らないためにも、私の気持ちは決まっていた。

 決まっていたが、それでも、家を出る時に気が重かったのも事実である。

(中略)

 隣室では、米長九段が対局されていた。時間切迫にもかかわらず、こちらの対局をよく見に来られた。谷川がしっかり指しているか、見られているような気がしたのは、私の思い違いか。

 米長九段も、有吉九段を相手に厳しい勝負を戦っておられたのである。

(中略)

谷川内藤2

10図以下の指し手
△6六飛成▲9八玉△7五竜▲9二銀成△同玉▲8七香△6七銀打▲同金△同銀成▲8三銀△同金▲同歩成△同銀▲同桂成△同玉▲9四銀△7二玉▲5一馬△6四歩▲5二馬まで、127手にて谷川の勝ち。

あっけない幕切れ

 この日の私は何故か、優勢になってからすっきり決めることができなかった。

 ▲9五桂では▲5五馬の方が良かったし、▲9二銀成△同玉▲8七香では▲7二銀成△同金▲7六金の方が堅実だった。

 だが、疑問手を続けた本譜が終局に一番近かった、というのは皮肉である。△6七銀打が時間に追われた悪手で、△8五竜▲同香△7四銀の方がまだ難しかった。

 ▲8三銀が回ってはもういけない。バタバタと手が進んで、零時27分、127手で終局。

充実した一日

 A級順位戦3局の感想戦が終わった後、皆で米長九段に御馳走になった。桐山九段、南棋聖も加わって、打ち上げのような雰囲気になった。

「これからが俺達の時代だよな」。米長九段が桐山九段に話しかける。

「そうです」

即座に応える桐山九段。

 そういえば、米長九段にも桐山九段にも、タイトル戦では一度しか教えて頂いていない。お二人の会話を聞いて、何となく嬉しくなってきた。

 つらく、そして充実した一日だった。

——–

ラス前であり、また、内藤國雄九段の降級が確定したわけでもないのに、戦った後の心に残る辛さ。

谷川浩司王位と内藤國雄九段の関係から考えれば、対局後の当然の心の動きだと思う。対局相手の降級が決まった一局だったなら、その辛さはより一層強くなるはずだ。

——–

米長邦雄九段-有吉道夫九段戦は米長九段が勝ち、有吉九段の降級が決定する。

内藤九段は最終戦で森雞二九段と、負けた方が降級するという勝負を行うこととなる。(内藤九段が勝って内藤九段が残留)

——–

明日は、この谷川浩司王位-内藤國雄九段戦について内藤九段が語る。

(冒頭の問題図の解答は▲8七玉)