ライバル物語第一章

将棋マガジン1995年8月号、佐藤和俊二段(当時)の自戦記「17歳の決意」より。

将棋マガジン同じ号より。

 奨励会なんて楽勝だぜ、ビシビシ勝って16でプロになってやる。

 4年以上前になる入会当初のバカな俺の心中だ。

 でもさ、将棋を始めて半年チョイでアマチュア四段になれば、俺はひょっとして天才なのではと勘違いするヤツがいても不思議じゃないよね、俺がそうだったから。

◇◇◇

 天才なら将棋の勉強などしなくてもいいだろうと思った俺は奨励会に入ってからなまけ始めた。そして1級に昇級したころには、将棋盤を見るのは月2回の奨励会という生活になってしまった。しかしまぁそのわりには、よく二段まで来たもんだ。やっぱり俺は、天才とは言わないが才能は相当あったんだろうね(それを天才と言うんだよ)。努力していれば今ごろは・・・?

 今までの話は、全部本音。冗談じゃないからね。

 さてそろそろ将棋の話に移ろう。

 5月の第一例会の2局目佐藤紳哉二段戦を見ていただこう。

 彼とは同期で今までの対戦成績は6勝3敗。しかも最近は3連勝。はっきりいって自信はあった。

 このカードはいつも王様の堅い将棋になる。はたして本局もそうなった。いつもとちょっと違うのは俺が中飛車に振ったことかな。普段は四間飛車しかやらないんだけど、先手の動きが少し変わっていたので、もしかしてこいつ研究して来たのではとびびって中飛車にしてしまった。俺は序盤が相当下手なので、悪くならないよう時間を使うのだが、その努力むなしく1図ではすでに作戦負けだろう。でも作戦負けは毎度のことだからあまり気にならなかった。

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 本譜は銀と桂香の交換になり悪いなりに結構やれると思っていた。しかし2図の▲8五桂に意表を突かれてしまった。当然▲9六桂と打ってくると思い、それなら△6六角▲同歩△9四歩の予定でそれしか読んでなかった。本譜は金銀2枚を取られ馬も▲3七歩で封じられ、一気に敗勢。対局前の自信はどこへやら、さすがの俺も青ざめたね。

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  俺の趣味というか特技は、ピアノが弾けること。もうかれこれ10年程やっているが、ピアノはいいよね。ピアノを弾いていると心がすごく落ち着き、いやな事を忘れさせてくれる。昔は男がピアノなんてと思っていたが、最近は男が弾くからかっこいいと思うようになってきた。ホントやっててよかった◯◯◯じゃないけど、ピアノをやっててよかったと思う。

 今高校に通っているが、なかなかいいもんだね。俺には高校へ行かず将棋一筋に生きるほど勇気はないし将棋も好きじゃない。後輩達へ一言。高校は行ったほうがいいよ。高校へ行かず将棋に専念するのは並大抵の苦労じゃない。将棋界には悪い遊びを教えてくれる先輩が多いからね。まぁ最近は高校へ行くのが主流になってきているがいいことだと思う。将棋のプロを目指す人がいると他の学生へのアピールにもなるから。

 記録係のつけ方について思うのだが、半数以上の奨励会員が学校に行ってないのにどうしてうまらないのだろうか。全然とってない奴が何を言う、と思う人もいるだろうが、ひょっとしてみんな小林幹事得意の「僕たちの頃はなぁ」という説教を聞きたいからではなかろうか。

 下らない話はこれくらいにして将棋に戻そう。

 苦しい将棋だったが、先手の▲5五歩~▲4一竜~▲7七馬が3手1組の悪手順で△4五馬と急所に馬が来て逆転した。

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 普通▲4一竜では▲5七銀と受けそうなもんだし、▲7七馬では▲同馬△同香▲6二歩とやるもんじゃないの、ねえ紳哉君。△4五馬からは後手の勝ちだろう。いやまだ実際には結構大変なんだけどね。あんまり急に形勢がひっくり返ったもんだから先手の気持ちがダメになったようだ。この勝利は順当とはいえうれしかった。1局目負けていたしなにより同期の出世頭対決だから。

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 16で四段になる予定がもう17になってしまう。順調に行けば次回から参加になる三段リーグも一期で抜ける程の実力は俺にはないだろう。だから決心したんだ。真面目に勉強し高校を卒業するまでにプロになると。みんな俺の決意を聞いてくれたかな。2年後まだ三段リーグにいたら、ただの口だけの男だったんだなと思って結構だから。

 俺はやると。

 RUNNING TO HORIZON・・・。

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佐藤和俊二段(当時)は1978年6月12日生まれ、佐藤紳哉二段(当時)は1977年8月29日生まれで、1990年の同時期に奨励会に入会。

佐藤和俊二段の、この突っ張りに突っ張りまくっている文章に、眩しいほどの若々しさを感じる。

オレンジ色に燃え上がる若き魂。

この文章を読んだ佐藤紳哉二段もまた、燃え上がる。

(明日につづく)