羽生善治棋王(当時)「このような恐ろしい変化がこの戦法には敷き詰められていて、そこがたまらない魅力なのです」

近代将棋1992年2月号、羽生善治棋王(当時)の勝ち抜き戦〔対 田丸昇八段〕自戦記「会心の一局」より。

将棋世界1992年2月号より。撮影は中野英伴さん。

 今月は久しぶりに自戦記ということで<勝ち抜き戦>田丸昇八段との一局からです。

 田丸八段は駒が全く後退しないという激しい攻め将棋。また、将棋連盟の理事職も務めています。

 この勝ち抜き戦はその名の通り、上位陣と下位陣に分かれて勝ち抜けばどんどんと対局のつくシステムで、この形式はトーナメント戦に慣れてしまっているのでとても新鮮です。

 上位陣から出場する方が勝ちやすそうにも考えられますが、群雄割拠の現代の将棋界ですから、何とも言えないでしょう。

 また、B1の田丸八段が下位陣で、タイトル保持者とはいえB2の私が上位陣というのも面白い所です。

 この棋戦で下位陣に登録されていても、いきなりタイトルを取ったりすると上位陣に寝返りを打ったりすることもあったりします。

 さて、局面は塚田流と呼ばれる横歩取りの将棋になりました。

(中略)

塚田先生好み

 1図がその局面ですが、大変激しい将棋で田丸八段好みと言えましょう。

 塚田流というのは本誌”塚田賞”でお馴染みの塚田正夫実力制第二代名人の愛用されていた戦法です。

 この塚田先生ともう一人”塚田スペシャル”で有名な塚田泰明八段、塚田と苗字のつく人は激しい急戦を好むのでしょうか。

 1図で2択、穏やかに▲3六飛か、激しく▲7四同飛か、その人の考え方があらわれる所です。

 プロの実戦譜では▲3六飛と指す人のほうが圧倒的に多くて、田丸八段もこの戦法を1年近く指しているようですが、▲同飛と指されたのは初めてだと言っていました。

1図以下の指し手
▲7四同飛△同歩▲4六角△8二角▲同角成△同銀▲5五角△8五飛▲8六飛(2図)

2図以下の指し手
△同飛▲同銀△2八歩▲8二角成△2九歩成▲4八銀△3八歩▲8一馬△3九と▲同銀△同歩成▲同金△4五角(3図)

緊張感がたまらない

 ▲7四同飛とすると中盤を通り越して終盤となり、研究にはまって負けてしまうということも十分考えられ、それは馬鹿々々しいということで、▲3六飛を選ぶ人が多いようです。

 しかし、▲同飛とすると超急戦の緩みのない将棋となり、その緊迫感が良いので、私は▲同飛と指してしまいます。

 そして、こうなると2図への展開が予想され、実戦もこうなりました。

 △4五角(3図)が攻防の一手で、攻めては△6六桂を見せ、▲6三馬の狙いを消している一石二鳥なのです。

3図以下の指し手
▲6五飛△3八歩▲4九金△2九飛▲4五飛△3九歩成▲6八玉△4九と▲7七玉△4八と▲7九歩(4図)

恐ろしい変化が!

 こういった局面はとにかく緩みのない手を指さなければなりません。

 緩みのない手とは先手、先手と相手を急がせることで、攻めだけではなく、受けにも緩みのない手というのはあります。

 そういう思想であれば、3図での正解は▲6五飛であるということも容易に発見できるでしょう。

 これも攻防の一手で、△6六桂を消して角取りと▲6三馬、▲6三飛成を見せています。

 しかし、ここで△3八歩が絶妙の利かし、▲同金なら△2九飛なので、▲4九金もやむを得ません。

 この局面では△5四角がまず浮かびますが、▲6三飛成△同角▲同馬△2九飛▲5四桂△同歩▲5三銀となると、△6二銀▲5二角(参考図)で後手玉は受けなしになってしまいます。

 このような恐ろしい変化がこの戦法には敷き詰められていて、そこがたまらない魅力なのです。

 よって、△5四角は成立せず、角取りを放置して△2九飛と攻め合いです。

 これも角をただであげるというのですから荒っぽい手なのですが、次の△3九歩成で角損の代償となりおつりも来るという読みです。

 こうなると私の方も受けなければなりません。

 そして、一段落した局面が4図。

 実はここまで過去に同じ実戦譜があり、それでこの局面はやや良しと、滝-飯野戦の感想戦でも聞いていたので、私は消費時間28分という短いペースで来たのです。

4図以下の指し手
△6四桂▲8八桂△7二銀▲9一馬△5八と▲7三香△6九と▲8五飛△4二玉(5図)

4図のみかた

 4図を形勢判断すると駒の損得は角金交換の駒得、駒の働きは互角、玉の固さも互角、手番は後手ということで、この手番を有効に使えば互角にも思えるのですが、後手は歩切れという痛い所があるのです。

 この局面、もし後手の持ち駒に一歩あればきっと後手有利でしょう。

 0と1はそんなに差がないようにも見えますが、あるとないの決定的な差なのです。

 後手は△6四桂を決め、△7二銀と投入して自陣を引き締めて来ました。

 自陣を固めれば自玉への攻めも緩和されますが、相手玉への攻撃力も落ちてしまい、その辺の兼ね合いが終盤での難しい所です。

 どちらが先に行き着くかという局面が5図です。

 この△4二玉が仲々の一手で、先手もどう指すか難しい所です。

 ”玉の早逃げ八手の得”という格言通りの一手です。

 まず▲7二香成△同金▲8一飛成が第一感ですが、△7一金打▲9二竜△7九と▲7三銀△7八と▲同玉△8二歩となりますと、先手が攻めあぐねている感じです。

 しかし、△7九とが厳しいだけにのんびりもしていられません。

5図以下の指し手
▲7二香成△同金▲6四馬△同歩▲3四桂△3三玉▲3五銀△7九と▲2四銀打△同飛成▲5一角△4二香▲2四銀△同玉▲4二桂成△3三角▲8七玉△7八と▲2九香△3四玉▲3六飛(投了図)まで、83手で羽生勝ち。

内容がよくて嬉しい

 少し焦り気味だったのですが、▲7二香成△同金▲6四馬の決め手を発見することができました。

 △6四同歩に▲3四桂が厳しい一手、△5二玉には▲1八角、△3三玉には▲3五銀の要領です。

 以下も変化の余地はあるようですが、先手の勝ちは動かないようです。

 投了図以下は△4四玉の一手ですが、▲3二成桂で後手玉は一手一手の寄りですし、先手玉は詰みません。

 この将棋は一手誤ると奈落の底に落ちるという将棋だけに良い内容で勝てて嬉しかった。

 毎局こんな感じの将棋が指せれば良いなあと思っている所です。

 そういう意味では会心の一局でした。

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「このような恐ろしい変化がこの戦法には敷き詰められていて、そこがたまらない魅力なのです」

勘弁してほしいほどの、スリル満点の将棋。

映画『ミッション:インポッシブル2』の冒頭のロッククライミングのシーン、あるいは『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』でのドバイのブルジュ・ハリファ(世界一高いビル)の側面を走って移動したりしているシーンを思い出してしまう。

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「先手、先手と相手を急がせること」

「先手、先手と攻め込んでいく」ではなく、相手を急がせるというのが、まさしく達人の極意。

見習おうと思っても、プロの実力がなければ難しいに違いない。

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「この塚田先生ともう一人”塚田スペシャル”で有名な塚田泰明八段、塚田と苗字のつく人は激しい急戦を好むのでしょうか」

ほとんど同じ時期に発売された将棋世界1992年2月号での、羽生善治棋王(当時)の連載自戦記〔第25回早指し選手権 対 佐藤康光五段〕「二つの新手」では、次のように書かれている。

 今月は早指し戦、佐藤康光五段との一局を見て頂きます。

 佐藤五段は居飛車党の本格派、研究熱心で学究肌の若手棋士です。

 ファンの方々には一昨年の王位戦で谷川王位とフルセットの死闘を演じたことが頭に浮かんだと思います。

 佐藤五段と私は奨励会同期なので、研究会やその他でかなり指しており、棋風はお互いに熟知しています。

 話は変わりますが、C級1組には佐藤大五郎九段、佐藤義則七段、佐藤康光五段の3人の佐藤先生がいます。

 佐藤という名字は全国的に多いとはいえ、これはかなり珍しいのではないでしょうか。


羽生棋王は、近代将棋と将棋世界、同じタイミングで名字の話題をそれぞれで盛り込んでいる。