奨励会の夏。
将棋世界1985年10月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会だより」より。
☆夏の明暗
口をひらけば「暑い」という言葉が自然に出てきてしまうこの季節、例年のことだが暑さに強い者とそうでない者との明暗がどうしても分かれて見えてくる。
”強い”代表選手が鈴木桂一郎だ。昨年の今頃もそうだったが、この男は水銀柱がグングン上昇するにつれて、白星も必ずまとまってくるのだから正真正銘の”夏男”である。
将棋の内容は相変わらず寄せがかったるくて、これを見ているだけで暑苦しさが更に増す感じなのだが、それでいてしっかり勝つのだから筆者にはわからない強さがあるのだろう。近藤2級相手の香落ちをしっかり受けきって勝ち、12勝4敗で二段昇段を決めた。
暑い夏こそ山へ登って気持ちよく汗をかくのが好き、という鈴木とは対照的に、「夏はやっぱり海ですよ、女の子もいっぱいいるし」と言いつつ伊豆の海に出かけて行った古作三段が”暗”の代表となっている形。真っ黒に陽焼けした健康体に似合わず、ハアハアと舌で荒い息をしているのがいかにも苦しそうだ。暑さのせいばかりではないだろうが、Bで5連敗中とあっては早く涼しくなって欲しいという気持ちだと思う。
アマ棋界のエリートから、奨励会でも順調な昇段を重ねてきた古作。こんなに負けがこんだのはおそらく初めての経験だろう。ここを踏ん張ることができれば、また一皮がむけるはずだ。
同じくアマ強豪から奨励会入りした櫛田初段は、古作とは逆に今まで十分すぎるほど痛い目にあわされ続けてきたクチ。ようやくプロの水にも慣れてきたか、二段まであと2勝1敗のところまで迫ってきた。そろそろ、あの有名な「大言壮語」がまた聞けるようになるかも知れない。
その他では、北島、高徳の両二段が昇段まであと3連勝。郷田が相変わらず好調で、あと2勝2敗で二段と、大器ぶりをしめしているのが目をひく。
☆ちょっぴり東西交流
もちろん非公式のものだが、東西の奨励会交流が行われたというニュースも、いかにも夏休みらしい喜ばしいもの。
これは元関西所属の佐藤康光初段が里帰りしたのを機会に、森内初段、郷田初段、長岡1級、竹中4級、諏訪部5級らがゾロゾロとついていったというのが真相だが、西の長沼二段、杉本二段、加藤初段、石飛初段、田中(幸)5級、尾谷6級らと2日間ミッチリと将棋にひたってきたというから、きっと得るものが多かったことだろう。
食事と睡眠は田中魁秀八段のお宅でガッチリ確保し、交通費は国鉄の「青春18キップ」を利用して往復4,000円しかかからなかった(ただし全路線で各駅停車を利用)という、若いうちでなければ絶対にできないバイタリティーあふれる旅であったようだ。頼もしいものである。
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佐藤康光少年は、奨励会に入る前の2~3年間、田中魁秀八段(当時)の自宅教室に通って強くなった。
奨励会に入って間もなく、佐藤一家は、父親の転勤で関東に移ることとなるが、師匠の田中魁秀八段はまだ中学生だった佐藤少年を心配して、「東京で面倒見てくれる先生を紹介するし、何やったら師匠を変えてもええよ」と言っている。
弟子思いの田中魁秀九段を象徴するようなエピソードだ。
その佐藤少年が東京の奨励会の友人達を連れて里帰りをするのだがら、師匠も嬉しかったことだろう。
それにしても、5人もの中学生を2日間も泊めるということもなかなか出来ることではない。
田中魁秀九段の温かさが感動的だ。
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1982年から登場している「青春18キップ」は、この当時、夏季用が1日券5枚で価格が10,000円。
5人(森内初段、郷田初段、長岡1級、竹中4級、諏訪部5級)で使えば、往復20,000円÷5人で一人4,000円。
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ここに出てくる諏訪部5級は、アメリカ文学者で東京大学大学院人文社会系研究科准教授の諏訪部 浩一さんの少年時代。
諏訪部さんは大友昇九段門下で郷田真隆王将と同門。
昨年の王座就位式では、諏訪部さんが祝辞を述べられている。