将棋世界1984年4月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会だより」より。
ニョキッと頭を出すと、ハンマーでポコッと叩かれる。三段陣の厳しい星のつぶし合いを目のあたりにすると、あの「モグラ叩きゲーム」をついつい連想してしまう。
頭を出すのは好調なモグラ、ハンマーを持って待ちかまえているのも同じ種類のモグラである。どっちのモグラも、頭頂部に多かれ少なかれコブをこしらえているのがおかしい。
先月号で、「6連勝でかなり有力」とお伝えした所司は、その後1勝を加えたものの、大きなコブを3つももらってしまいフラフラの状態。まだあきらめてはいけない星だが、客観的に見れば、もう終わっているだろう。勢いが無ければ上がれるものではない。
入れかわるように頭を出してきたのが日浦だ。今月全勝で通算5連勝、9勝3敗の目もある。「くやしいけど、強いんだよ、アイツは」という評判を聞く。ちょっと暗い影を感じさせる、一匹狼的な雰囲気がある男。もうすぐ19歳だ。他のみんなはさっそく「日浦市郎を叩く会」を結成して対抗に動くらしい。来月がヤマ場である。
目立たないように勝っているのが安西。8勝4敗の星だ。12勝4敗を一度取っているのであと4つでいい。こうやって、頭を低くしてハンマーに見つからないようにするのが、案外うまい手かも…
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将棋世界1984年5月号、銀遊子さんの「関東奨励会だより」より。
まわりのムードが「あいつは強いから(四段昇段させても)仕方がない」とならないと、奨励会というところはなかなか卒業させてもらえないことになっている。
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日浦市郎三段(当時)は1984年4月4日に四段に昇段する。
「○○を叩く会」のような会ができた時は、逆に昇段間違いなしの実力になっているということなのだろう。
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1965年度から1988年度までの四段昇段者数は次の通り。
1965年度 3
1966年度 3
1967年度 3
1968年度 3
1969年度 3
1970年度 2
1971年度 2
1972年度 2
1973年度 2
1974年度 5
1975年度 8
1976年度 7
1977年度 1
1978年度 4
1979年度 4
1980年度 8
1981年度 5
1982年度 5
1983年度 4
1984年度 6
1985年度 6
1986年度 7
1987年度 3
1988年度 4
1959年度から1973年度までは東西決戦の時代。二つのリーグの1位同士が昇段を懸けて戦った。(1962年度から1968年度までは前期・後期の東西決戦の敗者同士の決戦が行われ、この勝者も昇段できた)
1974年度から1986年度までは三段リーグがなく、二段以下と同じような昇段規定だった(青い色の期間)。
1987年度から現在の三段リーグとなった。
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「モグラ叩き」の他にも、水平方向に開いた穴の奥から突然顔を出すワニを叩く「ワニワニパニック」というのもあった。
どちらにしても、現実のモグラ叩きは一人で何匹ものモグラと対峙しなければならないので見逃しも出るが、奨励会の場合は複数の人がピンポイントで狙ってくるので叩かれる大変さはケタ違い。
厳しい世界だ。