将棋世界1983年4月号、信濃桂さんの「感想戦の二次会」より。
観戦記者の役得というのだろうか。私たちは棋士と酒を飲む機会が多い。
2月14日に行われた米長棋王対田中(寅)六段の一戦は、王位戦のリーグ入り決勝だった。米長の矢倉中飛車で超急戦に。しかしトラちゃんの攻めが冴えた。終始米長優勢と思ってみていたのは私の見識のなさで、米長棋王の仕掛けが少々無理だったという。
トラちゃんが大豪を寄せきったのは午後9時7分。感想戦が終わったのは10時半過ぎだった。
この観戦記、実は急いでいたので、将棋会館に泊まって書き上げるつもりだった。七つ道具をかかえて暗い会館内をうろうろしていると、大島映二四段の明るい声がする。
「田中君とリーグ入りの祝杯をあげるんですが、一緒にどうですか」
私が原稿を書くかどうか、監視に来ていた三社連合の能智氏が、
「そうだ、そうだ。行こう」
お墨付きをもらって、私も同行することになった。
「簡単に勝てると思っていたけど、指すごとに難しくなっていくんでまいったですよ」
とビールでのどをうるおしたトラちゃん。誤解のないように。早いうちに優勢になったのでもっと早く勝てるかと思った、という意味である。
そんなこんなで感想戦の二次会をやっていると、話は観戦記のことになる。これ、私たちの定跡手順となっている。
「ねえねえ、観戦記はだれのが一番面白い」
と口火をきったのは能智氏。
「ぼくは東公平さんですね」
まず田中が応える。続けて―、
「ぼくは信濃さん」
と口ごもるように大島がいう。一瞬ギョッとしたが、これは大島一流のユーモアである。
「君のはまだ堅い。ユーモアがないね」
能智氏の厳しいアドバイスもあった。
私は将棋が棋士の生き方と二重写しになるような観戦記が好きなので、どうしても余裕がなくなってしまうらしい。気をつけなければいけないところだ。
そもそも年齢ということがある。「枻・将棋讃歌」で観戦記者の人気投票を行ったところ、上位を占めたのは全て40代以上で、私たち30歳そこそこの観戦記者は歯牙にもかけられなかったという。なぜそうなのかは、私にもわかるつもりだ。
それはさておき、このところ中原十段と酒席をともにする機会が二度あった。雲の上の人だったので、何とも貴重な時間だ。
中原十段が独特な観戦記感をもっていることを、その時初めて知った。解説者付きの観戦記が嫌いなのだという。
その日、クダンの能智氏が中原十段の将棋を観ていたが、
「能智さん、感想戦は一手一手丁寧にやるから、ほかの棋士の解説はうけないでね」
その言葉通り、感想戦は中原十段が一手一手口に出して能智氏に伝え、相手の関根八段も便乗して前代未聞のものとなった。
なるほど、そういう見方もあったのである。何の商売でもそうだろうが、人に会い、人の話をきくことが最も大切だとあらためて思った次第。
話はトラちゃんと大島君と飲んだ日に戻る。観戦記を書くつもりが、アルコールが入ってしまったのでもうダメだ。将棋会館に帰り、酔眼もうろうとして原稿用紙に向かったが、もちろん結果は知れている。
えい、明日の朝早く起きよう。意志の弱さはだれにも負けない。
翌日である。われわれフリーは約束を守らなければ干されてしまう。会館の5階和室でようやく仕事に手をつけると、そこにひょっこり現れたのは内藤王位である。対局がないはずなのにどうしたのだろうと思っていると、
「娘の大学受験についてきたんや」
そういいながら、王位もさっそく原稿用紙をひろげる。
内藤王位、能智氏、それに私と、3人が原稿用紙に向かう奇妙な光景が展開されたのである。
原稿を書きながら、ここでも観戦記の話題が出た。
「最近の観戦記、指し手が長くてワシにもよう読めんわ」
「観戦記者が私は強いんだといっているような観戦記はイヤやね」
内藤王位の観戦記感も大いに参考になる。
「観戦記者は弱くてもいい、でもレコードのディレクターが音痴なのは困るよ」
そちらの方では内藤王位も苦労したらしい。
「さて、できた」
何のことはない。途中から顔を出した内藤王位がまっさきに書き終わり、
「能智さん、これ進呈するわ」
とシーバス・リーガルを1本おいて風のように消えた。いつもうらやましいほどカッコいい先生だ。
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読者、棋士、それぞれが持つそれぞれが好きな観戦記のイメージ。
指し手の解説が多い観戦記を好む読者もいれば、そうではない観戦記が好きという読者もいる。
指し手の解説が多い観戦記の中でも好みが分かれ、エピソードが多く盛り込まれた観戦記でも、その中でまた好みは分かれる。
音楽の好みと同じような雰囲気と言ってもいいだろう。
一つの対局の観戦記を同じ筆者が、
・棋譜の解説多め
・バランス型
・棋譜の解説以外多め
の3バージョンを書いてみるのも、現実的に実現は難しいが、面白いことなのかもしれない。