将棋世界2001年4月号、講談社の矢吹俊吉さんのエッセイ「私はA級八段である」より。
ある日突然、私はプロ棋士になっていた。しかもA級である。八段である。六枚落ちでも勝てない、あの先崎学と同格である。
夢ではない何よりの証拠に私の前には盤が十面、そして指導対局がはじまるのをわくわくしながら待っている子どもたち。司会者の合図に私は鷹揚にうなずき、おもむろに5四歩と指しはじめた―。
指しはじめたとたんに化けの皮がもろくも剥がれた。しょせんは自称永世アマ初段、指はもつれる、駒はマス目におさまらない。かくて一月六日TBS系放映のドラマ『聖の青春』は名作に小さな傷を残したのだった。シャレではなく、私の手つきに関する棋友たちの懸念は、杞憂には終わらなかったのである。
リハーサルのときは落ち着いていた。撮影現場にはさいわい将棋に詳しい人はだれもいない。ただでさえ増長しやすい私は、あろうことか将棋の振り付けまでする「先生」と化していた。
異変が起こったのは本番直前のことだった。著者の大崎善生氏、いわずと知れた本誌前編集長が予告もなしに現れたのである。三流の詐欺師が仕事中、本職の弁護士に踏み込まれたような心境といえば近いだろうか。私の指は凍りついた。編集者の仕事はほとんど詐欺師、というのが私の持論である。それがこんなところで実証されようとは。
故村山九段の生涯を描いた『聖の青春』(講談社刊)は刊行後一年がたった現在も売れつづけている。読者は将棋ファンの枠を大きく超え、一種の社会現象といっても過言ではない反響を呼んだ。日本人が忘れた「生きる美学」が、読者の心をうちふるわせてやまないのだろう。
大崎さんは泣きながら書いた。担当者の私は泣きながら編集した。十回読んで三十回泣いた。ドラマの脚本を読んで泣き、テレビを見てまた泣いた。四十歳のときにはじめたヘボ将棋がご縁となり、これだけの作品に巡りあえたのは、まさに編集者冥利につきる。
昨年二月、この本の刊行を機に私は村山九段の実家を訪問し、生涯忘れぬ駒に出会った。ご両親に見せていただいたその駒は聖少年が愛用したプラスチックの駒である。いったい何万回盤に打ちつけたらそうなるのか、角も飛車も半分ほどにすり減って傷だらけになっていた。病院のベッドで、あるいは奨励会時代のアパートの一室で、ひたすら盤に向いつづけた聖少年の思いの深さ、激しさ。どんな名匠の手による盛上駒の逸品よりも尊い、魂のこもった駒だった。
難病ネフローゼと闘いながら、村山聖少年はわずか二年十一ヶ月で奨励会を勝ち抜いた。鬼気迫る精進、抜きんでた才能、そして名人への執念。聖には及ばぬまでも、奨励会員たちは青春のすべてをかけて今日も鎬をけずっている。いずれ劣らぬ天才たちも、おそらく五人に四人が夢破れ、将棋界を去ってゆく。彼らの青春とは何なのだろうか。
五月刊行予定の大崎さんの第二作は、奨励会に挫折した青年たちの物語である。せつなくも美しく、最後に勇気が湧いてくる作品とだけ書いておこう。
今や私は白昼堂々、千駄ヶ谷に通っても、デスクの上に盤駒を広げても、社内でだれにも文句を言わせない地位を獲得した。勢いあまって刊行した村山九段の師匠、森信雄六段の『あっと驚く三手詰』も好評を博している。はっきりいって無敵である。ただ一点を除けば、こんなに恵まれた将棋ファンがいるだろうか。
指導対局のシーンで、私に与えられたセリフはひとことだけ。それは日常生活で私がもっとも多く口にすることばだった。
「はい、負けました」
無念である。
※(やぶき しゅんきち)元「現代」編集長、現在講談社学芸図書第二出版部長。『聖の青春=大崎善生著』、『イサム・ノグチ=ドウス昌代著』など優れたノンフィクション作品を手がける。1954年生まれ。
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講談社の矢吹俊吉さんは、新宿2丁目にあった酒場「あり」によく来られていた。
とても温厚な紳士で、なおかつ堅苦しくないといった感じで、私もこのような大人になりたいと思ったものだった。
その後、矢吹さんは子供将棋教室を手伝ったりもしている。
現在の矢吹さんは、講談社サイエンティフィクの代表取締役社長。
→講談社サイエンティフィク 矢吹俊吉社長第1回(ホテル暴風雨)
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矢吹さんが演じたのは、将棋のイベントで子供を相手に多面指しをするプロ棋士の役。森安秀光八段(当時)の役ということになる。
Youtubeで短時間の映像を見た時にこのシーンもあって、「あっ、矢吹さんだ」とビックリした。
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「五月刊行予定の大崎さんの第二作は、奨励会に挫折した青年たちの物語である。せつなくも美しく、最後に勇気が湧いてくる作品とだけ書いておこう」とあるのは、『将棋の子』のこと。
この作品も泣けた。
愛媛県出身の女性に、「坂の上の雲(1)」(愛媛県出身の秋山好古・秋山真之兄弟、正岡子規が登場する)をプレゼントしたら、あまり面白いと感じなかったのか途中で読むのを止めてしまったらしいのだが、それではと『将棋の子』を勧めたら、ボロボロ泣きながら一気に読んでしまったと報告があった。2004年頃の話。
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「勢いあまって刊行した村山九段の師匠、森信雄六段の『あっと驚く三手詰』も好評を博している」と書かれている『あっと驚く三手詰』は、2001年に将棋ペンクラブ大賞著作部門技術賞を受賞している。