大山康晴十五世名人「ヌードの玉は所詮助からない運命」

大山康晴十五世名人らしくない将棋と自戦記。

将棋世界1983年3月号、大山康晴十五世名人の連載自戦記〔棋聖戦本戦トーナメント 対谷川浩司八段戦〕「ほっと一息が敗因」より。

 谷川さんと対戦するたびに、昔土居市太郎名誉名人(故)と初めて平手戦を指した頃を思い浮かべる。年齢の差という点で、まことに似ているからだ。

 当時は話題の一つでもあったし、私は体のふるえる緊張感にとりつかれていた。土居先生のつらそうな表情も頭の中にのこっている。ところが、いまの私と谷川さんには、そんなフンイキは全くない、といってもよい。

 年齢差などの感覚は、つけ入るスキもないほど、対局が多くなったせいでもあろう。

 その上勝負の世界には、”非情”の二字あるのみ、の心理状態がふつうになってしまったことも、大きく手伝っているようだ。

(中略)

 △4二銀で△3二銀なら、四間飛車指向。

 また△3二飛ならズバリ三間飛車である。

 三間飛車は、ちかごろよく指す。とくに中原さんのときが多い。なのに、谷川さんには”中飛車がまえ”の振り飛車でいきたくなった。それで△4二銀の形にしたわけだ。私は相手によって、いろいろな形の振り飛車を指してきた。成功も多いが、はずかしいような失敗もある。しかし、その成功と失敗の中に新発見を求めるのが好きだし、プロとしての一面の使命とも考えている。

 谷川さんの▲5八金右には、得意の急戦作戦が感じとられた。ワリワリやってくるのが若手棋士のよい一面である。

(中略)

大山谷川1

1図からの指し手
△4五同歩▲2四歩△8八角成▲同銀△2四歩▲7七角△2二角(2図)

 ▲2五歩、△3三角、▲4五歩で、急攻開始となる。

 ”いらっしゃいますか”といえば、”ハイ、いきますよ”と簡明率直にやってくるおおらかさに、洋々たる期待感があふれでる気持ちだった。△4五同歩では、△3二金の待ち、△4二飛の迎えうちも考えられるが、どちらも”気合負け”を感じさせる指し方。

”気合い”というのは、合理性に欠く言葉だが、決められた時間内の勝負には、かなり物をいう。よい手や、ミスなども、気合いから生まれる場合が少なくない。

 △4五同歩は、気合い負けを警戒したのである。つづく△8八角成で、△2四同歩は、▲3三角成△同桂▲2四飛△2二歩▲4四歩で、次に▲4三角を見られるから、谷川作戦図星になってしまう。

 ▲7七角は、抜け目のない一手。その抜け目ない効果がすぐ現れてくる。

 △2二角は、ぜひなき応手。△2二角で△3三角は、▲同角成△同桂▲2四飛で、前述同様私の方がわるい。

 それにしても、若い谷川さんの上手なかけひきには、”出来上がり”さえ感じられた。

大山谷川2

2図からの指し手
▲2四飛△7七角成▲同銀△2二歩▲2三歩△3二金▲2二歩成△同金▲4四歩△同銀▲4三角△3三銀▲5二角成△同金▲2二飛成△同銀▲3二飛(3図)

▲2四飛、△7七角成、▲同銀。この形になれば、▲7七角打が、抜け目のないプラスの手であったことがよく解る。

 ▲8八銀はカベ銀といって、わるい形の見本の一つ。それがつごうよく▲7七銀のよい形になり、しかも▲2四飛は、こわい攻めゴマになっている。しかし、谷川さんはホホをゆるめない。心技ともに充実している感じであった。

 ▲2三歩では、すぐに▲4四歩も考えられるが、私の陣形をひっかき回してから▲4四歩を断行するネライの▲2三歩であったようだ。少々作戦にすぎる指し方ではあるが……。すんなりと、飛車を成り込ませるわけにはいかない。ましてと金をつくられてはかなわないので、乱れを承知で△3二金から、△2二同金と、しんぼうした。

 ▲2二歩成で▲4一角は、△2三歩で谷川さんがおもしろくない。△2二金の悪形を見て、谷川さんはネライの▲4四歩を放つ。

 △4四同銀は絶対。となれば▲4三角から△5二同金までは、議論の余地ない進行といってよい。

 ▲2二飛成は無理に見えるが、谷川さんとしては、この強攻に望みをかけ、花を咲かせる自信を持っていたにちがいない。

 私も▲3二飛と打ち込まれたとき、瞬間、”やられたかな”の気持ちにとりつかれた。

 あばれん坊の若大将は、昔からとかく恐い力持ちといわれているからだ。

大山谷川3

3図からの指し手
△4二飛▲同飛成△同金▲6二金△7一角▲同金△同玉▲5一飛△6一飛▲同飛成△同玉▲3七桂△2九飛▲4五桂△5二玉(4図)

 △4二飛は、これしかない。金銀どちらをとられても、負け形になる。が、玉から遠くはなれてゆく金をながめて、心細くなった。

 ▲6二金。こんなに早くから、玉の胸板にドスをつきつけられる。

 あぶない、と内心ビクビクものだったが、”若さって、いいなあ”と若大将をうらやむ気持ちも湧いてきた。△7一角はコマぞんだが、ぜひもなし。

 ▲7一飛をあたえては、それまでとなる。

 ▲5一飛から、私の玉は中央に引っぱりだされる。隠れ家も、空き家になった。

 後にこの空き家に侵入されて、私の玉はひどい目にあう。△6一玉を見て、裁きの白洲に引きだされる感じになる。

 しかし、谷川さんは一息つくように、▲3七桂と応援の桂を攻めに使うネライに出る。

 鮮やかな大岡裁き、とはいかなかったようだ。

 反攻のチャンス。△2九飛と打ち下ろしてこんごどんな動きになろうとも、一手を争う、キワドイ勝負になること疑いなし。

 一方的に寄り切られる心配がなくなった、の安堵感のようなものがこみあげてきたが、それが、軽率につながって、△5二玉と危険な手を指す。

 △5二玉で△2三飛成なら、有利な展開になったと思う。

 勝つまでは、ホッとしてはいけない。相手の持ちゴマが盤上にちらばったときにホッとすればよい。この言葉を数えきれないほど、自分で、自分に言い聞かせてきた。

 それでも、また”ホット”がでた。苦笑するほかはないのである。

大山谷川4

4図からの指し手
▲8二角△4六角▲5七銀△3七角成▲9一角成△4六歩▲8二馬△4七歩成▲7二馬△5八と▲4四香△5一金▲8二飛(5図)

 ▲8二角と、空き家に侵入されて弱った。

 弱ったでとどまれば、まだよいのに、焦りに変わった。速度負けはならじ、と攻め合いをいそいで△4六角と次に△7九金をねらったが、△4六角では△9三香▲7一角成△6一金のしんぼうもあった。

 昔はそういうしんぼうが好きだったのに、ちか頃は勝負づけをいそぐ気持ちが強くなった。体力のせいかもしれない。

(中略)

 谷川さんの▲8二飛はきびしい追い打ち。しかし、こんな土壇場になると、かえって気持ちが落ちつくものである。

大山谷川5

5図からの指し手
△6九飛成▲8八玉△7八金▲9七玉△6四馬▲7五銀△7七金▲7三馬△6二銀▲同馬△同金▲4二香成△同玉▲6二飛成(6図)

 もう受けは効かない。たとえ、効いたとしても、攻めるべきは、攻めておくのが定法というものだ。私は定法にしたがって、△6九飛成から▲9七玉と玉を追い上げ、△6四馬の王手は、つごうよく、また気分よしの攻めである。

 調子のよさに、あぶない形の自分の玉も忘れるほどであった。

 (中略)

 谷川さんは、▲7三馬の攻めに希望をのせて、▲7五銀とがんばったわけだ。自玉は詰まない、と確信して、私は△7七金と銀をとった。次に△8七金以下の詰みをにらんでいる。

 また▲7七同桂なら、△9九竜で、私の勝勢である。

 どうやら、むずかしい終盤戦を勝ち抜けたのかな、と思ったとたんに△6二銀の敗着を打ってしまう。△6二銀で、△6二金打と守っておけば、むずかしい変化はあっても勝ち味は十分のこされていた。

 詰めるのに都合のよい銀を渡す形になっては、苦心も水の泡になってしまった。

 当然と思える▲6二同馬に、谷川さんは6分も考えている。

 意外な宝物が目の前に出されても、すぐとびつかないんだから、心理的な勝負術も憎いほど心得たものである。

 それでも、▲6二同馬をやめるわけではなく、慎重に読んでからの▲6二同馬以下の寄せは迫力満点であった。

大山谷川6

6図からの指し手
△5二香▲5一銀△4三玉▲5二竜△4四玉▲5五金△同馬▲5三竜△4五玉▲5五竜△3六玉▲4六竜△2七玉▲1六角△2八玉▲1八金(投了図)まで、105手で谷川八段の勝ち。

(中略)

 ▲5一銀は、本当に憎かった。前述したように、△6二銀の守りを△6二金打に変えていたら、▲5一銀はなかったはず。

 にくい、にくい、と見ているうちに、自分も、谷川さんも、ついでに憎くなった。

 勝負生活50年でも、煩悩の火は消しえないようである。▲5二竜ができては、もう詰み筋のコースである。

 ▲5五金も、うまい打ち捨てにちがいないが、プロの感覚からすれば、いわゆる筋なのである。どうやら△2七玉までは逃げのびたが、ヌードの玉は所詮助からない運命。

 ▲1八金で、トドメをさされた。△2九玉と逃げても、▲2六竜△3九玉▲3七竜までである。敗因は”ホット”の一言につきる。

大山谷川7

——–

谷川浩司八段(当時)の1図から3図にかけての攻めが、本当に若々しい覇気に溢れている。

その中に含まれている▲7七角のような相手の力を利用して壁銀を解消する老獪な技。

——–

この自戦記は、「あばれん坊の若大将」、「玉の胸板にドスをつきつけられる」、「裁きの白洲に引きだされる感じになる」、「鮮やかな大岡裁き、とはいかなかったようだ」、「ヌードの玉は所詮助からない運命」など、どちらかと言えば、大山康晴十五世名人らしくないケレン味溢れる表現が多い。

大山康晴十五世名人はこの頃、日本将棋連盟の会長も務めてかなり忙しかったわけで、大山名人が骨子のみを語って、あとはライターが肉付けをしていたとも考えられる。

どちらにしても、なかなか個性豊かな表現だ。