将棋世界1984年6月号、芹沢博文八段(当時)の第42期名人戦〔谷川浩司名人-森安秀光八段〕第1局観戦記「いずれにしても名人は神戸」より。
ビックリしたのは、5図で谷川が単に▲3三角成と飛を取ったことである。
5図以下の指し手
▲3三角成△同角▲6六歩(6図)思考過程とすれば△2二角は、飛を取って下さいと言う手である。それを判っていて取って行く。相手より自分の読みが正しいと自信の程を見せた一手である。普通の者なら、この▲3三角成で、▲5五歩と動くだろう。この後、どうなるか正しく判らぬが、普通はこう動く。
普通の読み方をすればこう動く。それを単に飛車を取り、▲6六歩(6図)とした。
6図以下の指し手
△6五歩▲6七金右△6六歩▲同銀△6五歩▲7七銀△5一金寄(7図)普通、普通と言う言葉が続くが、普通は▲6六銀である。△6五歩とさせ、▲7七銀と引いてシッカリした形になると思うのが普通の発想である。しかし谷川は▲6六歩である。この▲6六歩は△6五歩といらっしゃいよ、と言っているのである。来なければ▲6七金右として、万全の構えを敷きますよと言っている手である。
森安だって怒るわね。そりゃ当然△6五歩である。6五に位を取り、あと手がない。だが手がないのはお互いと、△5一金寄(7図)とは、こりゃあちょっと思いつかぬ手である。
美濃囲いの急所の駒は6一金である。それを自ら崩して行く動き、並の弾力性ではない。
恐るべき粘着力の手である。このような手はなかなか思いつかない。将棋と言うものをこのようだと、古い教えを受けた者は、この手を思いつかぬ。
7図以下の指し手
▲5七銀△4一金(8図)谷川の▲5七銀、これは誰でも指せる。この時、対局室にいた。△4一金(8図)を見て、これはビックリたまげた。これ、相当の強さである。簡単には負けぬと言う強さである。
8図以下の指し手
▲6六歩△同歩▲同銀右△6四歩(9図)しかし谷川もうまいことをやるものだ。▲6六歩と合わせ、△同歩▲同銀右と動いた。素晴らしき動きである。つまり、相手が5一から△4一金と動いて来た。それを相手にせずの動きだからである。これには森安も参っただろう、厭になっただろう。しかし森安、△6四歩(9図)粘っこい男である。
この局面で筆者ならどっちを持っても負ける。こんな粘っこい将棋にはとても適わぬ。
9図以下の指し手
▲7五歩△6三金▲6五歩△同歩▲同銀△6四歩▲7六銀引(10図)谷川は読み筋通りなのか▲7五歩から▲6五歩と合わせ、7六銀(10図)の形にした。
10図以下の指し手
△5五歩▲9五歩△5六歩▲9四歩△9二歩▲5六金△4六歩▲同金△2七角▲3九飛△5四角成(11図)この図の少し前なら誰でもこの程度は考えれば判るが、▲6六歩とした辺りからこの図を作るのは相当な腕がいる。
森安は苦しくなって△5五歩と動いたが、森安が動く時は苦しい時で、手の連絡だけは受けていたが、こりゃあ谷川勝ちだと思った。
▲9五歩と端に手をつけられ、取れぬようではもう終わりである。端の関係を説明します。
9七と9三に歩がいます。9六と9四になります、これ五分です。▲9五歩とされたとして、手を抜いて▲9四歩とされ、△9二歩と受ける。一手で歩が9四まで進み、一歩得して相手に△9二歩と受けさせる、これ銀得ぐらいであります。
森安は当然こんなことは承知ですが、取れば▲9三歩と垂らされ、△同香に▲9四歩△同香▲8五銀で負けが早くなると知って耐えたようだ。だがこれ、屈辱であります。
プロとして屈辱であります。しかし、屈辱に耐えても何かを思う、そこに森安の強さがある。
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後、サラサラと動いて△5四角成(11図)新聞報道によれば難解な局面とか出ていたが、これは長くなっただけで、言えば植物状態のような局面である。もう、勝負は終わっている。
駒の効率が違い過ぎる。損得が違い過ぎる。
森安にしても、谷川にしても、その記事を読んで腹の中で笑ったでしょう。
将棋指しは、この辺りで勝ち負けの腹をくくる。もう終わりだと言うのは、負け側の方は特に知っている。負け側は、どのようの”形”を作るかだけを考えているだけで、勝ちなど思ってはいない。勝ち側は、気を引き締めて必死に読む。相手がどの形で負かしてくれと思っているかを必死で読む。これ、勝負師の作法である。
いい加減だと思われるかも知れぬ。思われてもかまわぬが、これ以上、手の解説をする気はない。只、作法通り動いて、サラサラと動いて終わっただけである。
この11図の後の詳しいことを知りたい方は毎日新聞を読まれるとよい。きっと正しく解説がしてあるでしょう。
読者に於かれても観戦記なるもの、どう書けば正しいか、判る方がいらしたら教えて欲しい。筆者、何にも将棋知らないんだもんね。
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11図の段階で森安秀光八段(当時)の必敗形というのだから、驚いてしまう。
たしかに、この後の展開は谷川浩司名人(当時)が快調に攻め続ける一方的な流れとなっている。
指し手の解説をここで打ち切るところも、芹沢博文九段らしいところ。
一局のヤマ場だけに絞った観戦記があっても良いと思うので、そういう意味では非常に新しい切り口での観戦記ということもできるだろう。
(11図以降の棋譜は今日の記事の最後に)
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△5一金寄~△4一金は非常に森安八段らしい順だが、森安八段は感想戦で「個性を出しすぎた」と語ったという。
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〔11図以降の棋譜〕
11図以下の指し手
▲5九飛△5五歩▲5六歩△同歩▲5五歩△4四馬▲5六金△3六歩▲6五歩△3七歩成▲同桂△3六歩▲3五歩△同馬▲4五桂(12図)
12図以下の指し手
△4二角▲4六歩△3七歩成▲5四歩△同金▲5五歩△4四金▲6四歩△6二歩▲6三歩成△同銀▲6一飛(13図)
13図以下の指し手
△5一金▲同飛成△同角▲5三桂成△7二銀▲5二金(14図)
14図以下の指し手
△4三金▲同成桂△同銀▲5一金△6四桂▲6五銀△4八と▲6四銀△5九と▲7四歩△同歩▲8六桂△8四飛▲8五金△5八と▲8四金△6八と▲同銀△7六飛▲7七銀(投了図)
まで、129手で谷川名人の勝ち