花村元司九段「博打はいいよ。ただし、やるからには勝たなきゃアカン」(羽生激辛流1)

羽生善治五冠(当時)の超激辛な将棋。

激辛な手が出てくるのは終盤となりますが、そこに至るまでの将棋の展開と観戦記が面白い。

将棋も観戦記も見事な起承転結の構成となっているので、今日から金曜日まで、4回の記事となります。

今日は起承転結の起。

将棋世界2001年10月号、片山良三さんの第42期王位戦〔羽生善治王位-屋敷伸之七段〕第3局観戦記「銀得で不利という、不条理」より。

〔博打うちの系譜〕

 花村元司九段門下で奨励会に6年近く在籍していた筆者だが、師匠にはついに一度も将棋を見てもらえなかった。指していただけなかった、のではない。指した将棋を見てもらうこともできない期待薄の弟子だったのだ。

 17歳になったかならなかったかぐらいのときのことだ。京王閣競輪場のトイレで師匠とバッタリ出会ってしまったときは全身が凍りつく思いをしたが、顔面を蒼白にして緊張して突っ立っているしかなかったボクを笑顔でやさしく見下ろした師匠は、「博打はいいよ。ただし、やるからには勝たなきゃアカン」と言った。それが花村門下の掟なのだった。

 その後、ボクは将棋より競輪、競輪より競馬へとのめり込み、ついにはキシよりキシュとの付き合いの方が濃くなってしまう。道は少々それたが、亡き師匠の教えに背いた生き方をしていないのは自慢できると思うことにしている。

 屋敷七段の趣味は競艇だ。この春結婚して新居を大森に構えたのも、メッカ平和島競艇場に近いからだというのだから筋金入りのファン。将棋の勉強は「毎日3分程度」と言うのでなんのことかと思ったら、競艇場へ行くまでに読むスポーツ紙に載っている詰め将棋を解く時間がそれなのだと真面目な顔をして言う。まさかそんなはずはないのだが、研究会に入っている話は聞かないし、パソコンでコツコツ調べるタイプでもない。花村先生が生きていたら「見所のあるヤツだ」と、弟子に招き入れようとしたかもしれない。いや、屋敷の場合の競艇は博打ではないような気もする。将棋以外の世界を知ることで人間の幅の広がりを持とうとしているような、そんなムードを感じるのだ。舟券は、最も難易度が高い三連単を専門に買うという。当たれば大きいがほとんど当たらない。屋敷は「それでも楽しいからいいんです」と言う。筆者は、花村本流の博打うちなので、当たらない馬券は買わない。いや、それでも博打で儲けるのは本当に難しいのだが、儲からなくてもいいという勝負はしてはいけないという師匠の教えは守っている。

 中村修(現八段)が王将だった時代、真面目一方だと思っていた彼が競馬をやりたいと言ってやってきた。タイトル戦の合間にも、競馬場へやってくるほど熱心なのだが、馬券が当たると「ツキを無駄に使っているのではないか」と不安な顔をする。外れ続けたときの方が「これで将棋にツキを残せた」と喜んでいるのだから、色々な考え方があるものだなと感心したものだ。屋敷も、どうもこの中村タイプに近いのではないかと想像しているのだが。

(中略)

〔フェイントモーション〕

 屋敷の持ち味は、「忙しいと思える局面でじっと手を渡してそれが好手になるような、独特の距離感覚」と、この対局の副立会人をつとめた脇謙二八段は看破している。イメージとしては、福崎文吾八段の系列に入る「感覚派」の棋士。

 序盤で早くもらしさが出ている。▲7七角で穴熊を匂わせ、▲3六歩で急戦もあるよと揺さぶった。こういうフェイントで敵のディフェンダーを幻惑する動きが好みなのだ。

1図以下の指し手
△7一玉▲6八角△4五歩▲8八銀△4三銀▲3七桂△5四銀▲7七角(2図)

〔角のサイドステップ〕

 序盤からトリッキーな動きに出られて、羽生も挑発されたのだろう。△4三銀なら恐らく無難に流れたはずの駒組合戦が、△7一玉▲6八角の2手で急流に踏み出すことになった。気合いが乗って一時的にブレーキがきかない状態になっている羽生が△4五歩と突っ張って、もう後戻りはできない。先手が▲6六歩と突ける形なら、参考1図から「カマボコ」に組んでじっくり戦う選択もあったのだが、羽生はもうそれも許さないと言っているのだ。

 一旦6八に引いた角を▲7七角とぶつけて「振り飛車には角交換」が確定した。屋敷らしい変則的なフェイントモーションがはまったのではないかという評判の1日目。

 羽生の感想も「△7一玉が図々し過ぎて、少しずつ苦しい感じがした」と、戦略負けを認めている。

(つづく)

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片山良三さんは、故・花村元司九段門下。奨励会を退会後、将棋世界などで文章を書き(ペンネーム:銀遊子)、1987年からサンケイスポーツに入社。武豊騎手の初代番記者となって、現在はスポーツライターであるとともにゼンノマネジメントでレーシングマネージャーを務めている。

片山良三さんが書かれた観戦記は読み応えがあって面白いものばかり。ホームランの多い3割打者という印象だ。

息抜きをすすめるのが罪、と思わせるような存在

羽生善治1級(当時)にかかれば相手の銀も横に動く

坊主になった郷田真隆二段(当時)

銀遊子の名での奨励会の記事も傑作揃い。(ブログ右側中ほどのサイト内検索で、”銀遊子”で検索してみてください)

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屋敷伸之七段(当時)らしい、まさしく「忍者流」の巧みな序盤の動き。

振り飛車側は角交換をしたくないのに、角交換は避けられない状況となった。

ここからの羽生善治王位の次の一手(封じ手)が意外な一手。