中村梅之助さんの将棋エッセイ

俳優で歌舞伎役者の中村梅之助さんが、1月18日、肺炎のため亡くなられた。享年85歳。

「遠山の金さん」役 中村梅之助さん死去(NHK)

中村梅之助さんは、「遠山の金さん」、「伝七捕物帳」、「花神」などで主役を務めているが、将棋とも縁が深かった。

将棋世界1992年2月号、中村梅之助さんのエッセイ「私は四段に成駒屋」より。

 私が将棋の駒を手にしたのは小学生の頃で、将棋を指したのではなく、部屋中に何組もの駒を配置し、本で城を作り攻防戦を展開し一人で遊ぶのが好きだったのです。勿論闘っているのは時代劇の大将達でした。

 父の中村翫右衛門は、歌舞伎に居た頃は一番強かったと聞いています。その父と初めて対局したら向こうは歩3ツに玉だけで、此方はあっというまに負けてしまいました。

 それっきり父は相手をしてくれませんでしたが、あれはちょっとインチキくさかった様な気がしています。それでも大分強くなって仲間や先輩を8人も立て投げしたりしていました。

 が、その私が当時小学3年生の松山省二君に歯が立たないんです。相手は縁側に腰掛けて足をブラブラ、手にはマンガの本を持って時々盤面に目をやり「早くしてよオ」「それでいいの?」「只だよ!」「お兄ちゃんいつも負けると怒るからやだァ」と盤をまとめて帰って行きます。その間、私の体は前にのめりっぱなし、体をゆすって手数を数える余裕もなし、挙句の果てには「帰れッ」。遂に省二君は私の兄弟子ということになりました。

 一時は楽屋でトーナメントなどをやり始め、遂に舞台の出に間に合わなかった者が出てきて、劇場内禁止を食ってしまいました。

 こんな事がありました。「鼠小僧次郎吉」という芝居。宿屋の玄関広間で将棋を指していた客たちが帰って行く。そのあとへ鼠小僧がフラリと出てきて、将棋盤の前に坐ってそれを眺めながらセリフをいう。ところがある日、将棋盤を見た鼠小僧、一言もいわなくなっちゃった。

 「翫右衛門さん!セリフですよっ」と小声で周りの者が催促してもムスッとしたまま、ややあってハッと気づいてセリフをいい出した。終わって皆がどうしたんですかと聞くと、盤を見た瞬間、何故角がここにあるのかわからない、と思ったら芝居に出ているのを完全に忘れて将棋に熱中しちゃったそうです。次の日から将棋の指せる者が盤面を作っておくことにして、どうやら無事に進行。

 それから30年ぐらいたって、子供の主治医の慶松洋三先生から、中原誠名人の将棋の会へ呼ばれました。何人かお相手に指されるので、それを見せて頂けるのかと思いましたが、1時間前に来いという? 会場に入ると盤は一つしかない。私が二枚落ちで挑戦することになっているのです。あわてる私に田中寅彦八段と蛸島彰子五段のお二人が、手とり足とり定跡を教えてくれました。私は立ち廻り(殺陣)の手を覚えるのは早い方で、二枚落ちも前に知っていたから、まァ何手かは頭に入りました。解説のお二人が途中でリモートコントロールしてくれる約束にもなりました。

 半分ボーッとした感じで、いよいよ対局開始。序盤は調子がよかったのですが、ハタと中盤で詰まりました。リモコンが「歩を突きたいですね」と。私はサッと歩を突くと、筋違いの歩でした。これでは負けて当然です。

 中原名人は対坐した時からすべてお見透しで、静かに駒を運ばれます。素人相手でも真剣な態度で、岩の様な落ち着きと圧倒される風圧を感じました。そして坐り直された時、私はライオンの前のウサギとなりました。終わってから「さすが舞台に出られるので物おじしないことに驚きました。後半打たれた銀は、私もちょっと困った良い手でした」と解説されました。やさしい方です。銀はヤケクソに打った手なんです。記念に用意した「香月」作の駒の駒箱に、「前進出来ぬ駒はない」と書いて下さいました。やァ冷汗三斗の一局でした。

 御縁はあるもので、前進座創立60周年記念で「煙が目にしみる」を全国公演しました。ジェームス三木先生の作・演出の芝居で、年齢制限一歩手前の奨励会三段と子連れのフラメンコダンサーの二人を中心にドラマは展開します。役者は前進座の中村梅雀と元宝塚の順みつきさんです。私は師匠役の内堀勇八段です。駒の手つきは田丸昇八段のご指導を得ました。指すシーンは局面と手順を作ってもらい、毎日楽しくやっています。

 「煙が目にしみる」は昨年、大阪・名古屋・東京で公演、今年は1月3日から19日まで京都祗園甲部歌舞練場で、23、24日は高崎、26日は岡谷、30、31、2月1日は伊勢崎で公演します。合計で117回上演することになります。本当に面白い芝居なので、是非観て下さいますようにお願いします。

 後援の日本将棋連盟からは、この公演を記念して四段の免状を頂きました。じつに立派な免状ですが、これは大変なことです。うっかりヘタな将棋は指せません。そしたら対局の申し込みが早速きました。でもスケジュールが合わずセーフ。この名誉を本当に大切に心新たに、将棋の基本を学ばなければと思っています。

 あらためて台本に向かって、自分の役名を見ました。内堀勇八段とあります。あれ、八段・・・。私は四段分、駒損したのかな?

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謹んでご冥福をお祈りいたします。