中野隆義さん逝去

元・近代将棋編集長で将棋ペンクラブ幹事の中野隆義さんが5月29日に亡くなられた。享年65歳。

旅行で行っていた鬼怒川温泉で入浴中に起きた心疾患が原因だったという。

5月21日の将棋ペンクラブ交流会にも元気に顔を出されていただけに、急な知らせに大きな衝撃を受けている。

中野隆義さんは立教大学を卒業してから近代将棋に入社。その後、日本将棋連盟将棋世界編集部、書籍課を経て、1997年に近代将棋へ戻り編集長を務めた。

お通夜は6月1日(木)18時から、葬儀は6月2日(金)9時から、千代田赤羽駅南口ホール(東京都北区赤羽南2-9-78 JR赤羽駅南口改札より徒歩8分)で行われる。

——————

温厚で優しく誰からも愛された中野さん。

呆然としながら手にした昔の近代将棋で、中野さんらしいなあ、と思える文章があった。

近代将棋2005年2月号、中野隆義編集長(当時)の巻頭随筆「乗ってみる」より。

 手に乗る、という技が将棋にはあります。

 相手の読み筋にそのまま乗っかって指し進めるのは、言いなりになるということでもありますから、とても勝利はおぼつかないと思えそうですが、そうとも限らないところがあるのです。

 旅行先の居酒屋にフト立ち寄って呑んでいたときに、えらく気風の良い呑みっぷりの方にあいました。お尋ねしたわけでもないのに「私は今年六十歳」とおっしゃいます。四十そこそこにしか見えなかったので、その若々しさにまずびっくり。

 昼間、精一杯生きているのだから、夜は呑まなきゃ。そうすれば明日またがんばれる。と言って焼酎をがんがん飲んでいました。

 神輿を上げる段になって「私はこれからカラオケのある呑み屋さんに行く。一緒に行きましょう」と声をかけられました。思わず腰が浮きかけたのですが、私と同行した者が、行っちゃダメという目をして服の裾を引っ張ります。

「旅行者をカモにして、ぼったくるところがあるんだから気をつけなきゃ」と、帰り道に教えられました。でも、私としては、悪い人には見えなかったし、かりにぼったくられても、もともとそんなに持ってないからいいかな、くらいに思っていました。

 また、彼の地を訪ねたいと思っています。

——————

「近代将棋や永井英明さんに何かあった時には、いの一番に駆けつける」と昔から言っていた中野さん。それが1997年に近代将棋へ戻ることにつながるのだが、今頃、中野さんは天国で永井英明さんに挨拶をしに行っているだろうなと思えてならない。

「中野さん、よく来てくれました。こちらの世界では近代将棋の部数が伸びていて、中野さんが来てくれるのならこれで鬼に金棒です」と永井さん。

「中野、来たか。うまい鮒寿司食わせやるからな。行くぞ」と団鬼六さん。

「中野さん、あなたちょっとこっち来るの早かったんじゃない。まあ、そこ座んなさいよ」と言って中野さんを麻雀卓に引き込む大山康晴十五世名人。

「おっ、ゲのゲの鬼太郎、来たか。また、碁を教えてやるぞ」と芹沢博文九段。

中野さんの、天国でのこのような光景を想像してしまう。

中野さん、これまでありがとうございました。

本当にありがとうございました。

——————

〔中野さんが書かれた観戦記の一部〕

郷田真隆八段(当時)「これ、お借りしていいですか」

郷田流と羽生流の真っ向からの激突

絶体絶命の局面で繰り出された羽生マジック

羽生善治王座の、控え室の誰もが思いもつかなかった恐ろしい着想

佐藤康光前竜王「すみません。その水筒の水、少し飲ませて下さい。起きてから何も口にしていないもので」

先崎学六段(当時)が柄シャツにチノパンで臨んだ対局

無頼派の秋