近代将棋1989年10月号、故・池崎和記さんの「福島村日記」より。
某月某日
福島村メンバーと久しぶりにマージャン卓を囲む。何チャン目かに浦野六段が突然「あ、痛」。村山五段の足が当たったらしい。婚約したばかりの浦野センセイいわく「村山君。もう、わし一人のカラダじゃないんやで」。もちろんジョークだが「す、すいません」とマジで謝る村山五段。それを見ていた脇六段が「アホらしゅうて、マージャンなんかやってられんわ」と言うので私も「そやそや」。結局ゲームは続行したが「恋をするとこんなにハッピーになれるのか。よし、オレももう一度……」などと、あらぬことを考えているうちに「ロン!」の声。村山五段が笑みを浮かべて牌を倒している。どうやら私が打ち込んだらしい。よく見るとギョギョッ、国士無双だ。よりによって、ノーマークの人に役満を打ち込むとは……。
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「聖の青春」の映画化が正式に発表された。
→松山ケンイチ、過酷な増量計画で実在の天才棋士を熱演!「聖の青春」映画化決定(シネマカフェ)
シネマカフェの記事での原作の大崎善生さんのコメントを見て、一気に涙目になった。
はじめて松山ケンイチさんとお会いしたとき(※撮影が始まったころ)、村山聖さんに似ているのに驚いた。体重を増やして役に備えたという。右手の爪は村山を真似て長く伸びていた。森さんがいたら「村山君、こんなに長い間どこにいっとったんや」と手をさすったかもしれない。私も酔っぱらっていれば昔のように頬っぺたを軽くつまんでいただろう。意志の強そうな瞳。内面からにじみ出てくるような自然なユーモラス。そして人へ対する好奇心、優しさ。17年ぶりに村山くんがいた。
”森さんがいたら「村山君、こんなに長い間どこにいっとったんや」と手をさすったかもしれない” で涙がどっと流れてくる。
そもそも、このシネマカフェの記事は、森信雄七段がFacebookでシェアをしていたので知ったのだった。
記事を読んだ後、森信雄七段のFacebook上でのコメントを探した。
あった。
コメントは次のように書かれていた。
「松山さんを見てはっとしました。似ているのでなくて共鳴しているようで、切ない気持ちになりました‥」
似ているを超越しているということだ。
例えば、18年位前に私の恋人が亡くなっていたとする。
18年後、その恋人と表情も仕草も全体的な雰囲気も別人とは思えないような女性が現れたら…懐かしい、嬉しい、愛おしい、などの感情を飛び越えて、切ない気持ちになると思う。感傷的な気持ちと言っても良いだろう。
本人の幽霊なら、懐かしさ、嬉しさ、愛おしさ、の思いが先に来るだろうが、本人にどれほど似ていても本人ではない人だった場合には、感傷的な気持ちの方がより増幅されてしまうような感じがする。
そういう意味では、「村山君、こんなに長い間どこにいっとったんや」よりも更に深いインパクトがあったということだと思う。
森信雄七段は、「聖の青春」の冒頭からエンドロールが流れるまで、ずっと泣き続けているかもしれない
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村山聖九段を演じるのが松山ケンイチさん、ということ以外は現段階では発表されていない。
以前も書いたことだが、師匠の森信雄七段役には小日向文世さんか遠藤憲一さん、大崎善生さん役には西島秀俊さんが、私の中でのイメージ。
村山聖九段のお父様は中井貴一さん(NHKの平清盛で松山ケンイチさんの父役をやっていた)、お母様は岸本加世子さん、更科食堂を切り盛りする夫婦が宮川大助・花子さん、なども考えられる。
みな主役級なので難しいとは思うが。
羽生善治名人役をはじめとする実在の棋士役の登場シーンも多そうなので、キャスティングも含め、とても楽しみだ。