久保利明四段(当時)の運転と矢倉規広四段(当時)

将棋世界1995年9月号、矢倉規広四段(当時)の「待ったが許されるならば……」より。

 去年の夏、免許を取って数日しかたっていない久保君(利明五段)の運転で、和歌山の白浜までの旅行にさそわれた。一抹の不安はあったけど、久保君も自信がありそうなので、思い切って行く事にした。

 行ったその日も泳ぎたいという事で、むこうに2時頃には着くように、余裕をもって朝の9時に大阪の将棋会館集合にした。しかし、他のメンバーは来ているのに肝心の久保君が来ない。久保君だけ車だからどうせ遅れると思い、早めに集合にしたのだが、10時を回ってもあらわれない。結局1時間半遅れて、10時半頃ようやく来た。道が混んでいたらしいけどそれぐらい予想して、しかも大阪で車出てくるのは初めてなんだから、早めに家を出そうなもんだけど、電車で来るのと同じ感覚で家を出るあたりが久保君らしい。

 だいぶ遅れたけど、今から順調にいけば、2時頃には着くだろうという、あまい読みで出発した。

初心者ドライバーにとって、第一の難関、高速道路の合流もスムーズにいって出だし好調かと思いきや、和歌山とは逆の神戸方面に向かっていた。先が思いやられる気がした。すぐに気がついて、次の出口で出たのだが、今度は入り口がなかなか見つからない。こんな所でうろうろしていて、2時頃どころか、無地目的地に辿り着くかどうかも不安になった。

 結局、正しい方面の高速道路に入るのに、1時間程かかってしまった。

 高速道路に入ってからは、道もすいていたし、一本道で間違いようもなく、順調だった。しかし、和歌山に着いてからも、高速道路の出口を間違えたりして、白浜に着いたのは4時頃だったので、その日は泳ぐのをあきらめて、直接、予約していた民宿に行く事にした。

 今度は民宿が見つからなかった。何回も同じ所を行ったり来たりし、人にも聞いたがわからない。何回もいろんな人に聞いているうちに、わかりやすく教えてくれる人がいて、なんとか民宿に着いた頃には、すっかり日も暮れていた。

 10時間程、ほぼぶっとおしで運転していた久保君は、さすがに疲れたようで、すぐに寝てしまった。

 あくる日、海水浴場に泳ぎにいった時の事、僕はあまり泳ぐのは得意ではないのに、冗談で「そっちまでバタフライでいくわー」ってさけんでしまった。その時、近くで泳ぎの練習をしていた女の子達から「あの人バタフライするみたいやから見本にしいや」。とんでもない事をいっている。バタフライなんてやった事もないのだ。どうしようと思ったが、こっちを見ているみたいなので、とりあえずやってみる事にした。が、どうみても溺れているようにしか見えず、一緒に来た連中に大笑いされてしまった。

 民宿から海水浴場まで離れているので車で移動するのだが、そこでも車で一騒動あった。一方通行を知らずに逆行してしまい、さらに、タイヤがみぞにはまって動けなくなってしまった。逆行したのがまるわかりだ。炎天下の中、近くにいた人に押してもらったりして、そこから抜け出すのに相当苦労した。

2泊3日の旅行で、その間ずっと運転していた久保君も、帰る頃にはだいぶ慣れてきたのか、一緒に乗っていた僕も不安なく乗れて、来た時の3分の1ほどの時間で帰れた。

 いろいろハプニングはあったけど、充実した旅行だった。

 

 旅行から数日後、中学校の同窓会があった。みんな顔とかあまり変わっていなかったけど、進学しなくて働いているやつが多かった。二次会のカラオケが終わった後、夜中友達の運転する車で、山にドライブにいった。ほぼ先が見えない急カーブが多い山道を、スピードを上げて上っていくのを見てうまいなと思ったし、カッコよくも見えた。山を降りてから知ったのだが、そいつも免許を取って1週間しかたっていないと聞いて驚いた。

 この数日で、僕も免許がだいぶほしくなったけど、まだ奨励会員で、三段リーグを戦っていて、昇段できるかどうかの瀬戸際で、そんな事を考えている余裕はなかった。

 

 今年の6月から、僕もついに自動車教習所に行きだした。それにはいろいろ、理由というか流れがあった。公式戦を4連敗して、指す棋戦がなくなり、順位戦もまだ始まっていないため、1ヵ月ほどひまになった。しかも、たまたまやった春の天皇賞で、ライスシャワーとステージチャンプの馬連をなぜか一点買いでとり、教習代くらいの臨時収入がはいった。これは行くしかないと思った。

 今この原稿を書いている時点で、教習は全部終わって、後は最後のテストに受かれば免許を取れる所まできている。早く免許を取って、今年の夏は、僕が運転して旅行にいきたいと思っている。

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私は運転免許を持っていない。

中学生の頃にバスに乗っていて、バスが狭いカーブを難なく曲がる高度な運転テクニックを見て、自分なら絶対にぶつけてしまう、自分には運転は無理な世界だ、と思い込んだのが第一の始まり。

大学生になってから酒を飲むことの素晴らしさを知り、運転をする時に酒を飲めないのであれば運転をしなければいい、だから運転免許は取らなきゃいいんだ、と短絡的に考えたのが第二のきっかけ。

変に酒が強かったので、免許など持ったら飲酒運転を平気でしてしまうだろうという確信もあった。

大学4年の時、成績は良くなかったけれども卒業に必要な単位はほとんど取り終えていたので、大学へ行くのは週に1日で良いという夢のような日々。運転免許を取るには絶好のタイミングだったが、教習所に通おうという発想は起きなかった。

あの1年間、どこかに旅行に行くとか、面白そうなアルバイトをする、趣味・将棋を復活させて将棋道場に入り浸る、どこかの学校に通う(料理、占い、奇術…)、いろいろな可能性があったにもかかわらず、本を読んだり音楽を聴いたり友人と酒を飲んだりする成り行きの日々を続けていた。

今までの人生の中で、あれほど本を読んだのはこの時期だけだったし、この時期の邦楽・洋楽は超ウルトライントロでもわかるなど、これはこれで良かったが、今になって考えると、占いの学校に通う手はあったかなと少し思う。

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矢倉規広四段(当時)の「夜中友達の運転する車で、山にドライブにいった。ほぼ先が見えない急カーブが多い山道を、……」という文章、心霊体験談によく出てきそうな出だしで、ワクワクしてしまう。