将棋世界1995年11月号、島朗八段(当時)の連載自戦記〔第54期A級順位戦 対森下卓八段戦〕「秋の夜長」より。
猛暑も過ぎてみれば懐かしい。やはり涼しくなると将棋の時期という感じがして、不思議と心身共にきちんとしたくなるものである(いくら気に入っているものを着ていても、汗をかいて服が傷むことを考えると夏物は空しい)。
半袖のYシャツは機能的に見えて直接スーツが肌にあたるので着ないに越したことはないが、あまりに暑いとついその禁を破ってしまうのも夏。今回の対局者である森下八段は、Yシャツは長袖しか着ない(持たない)主義で、いかにも彼らしい。
ごく最近の森下さんのお気に入りの言葉は、升田先生の実戦集を並べていての一節だそうである。それは「相手はうまい手を指してきた。どう考えてもこちらが悪いが、このくらいで参っていては将棋で飯は食っていけない」。確かに至言だ。日頃相手に好手を指されると感心ばかりしている悪いくせがある私に、範としなければいけないと思う。
(中略)
驚いたことに、森下八段は本局まで4連敗している事実を後から教えてもらった。これほどの人でもそんな目にあうとは、全く棋界もおそろしいところだ。
それからの1週間は、対局前とはまるでペースが変わったかのように彼と顔を合わせる機会が多かった。一緒に誘って頂いた神田三省堂のサイン会でも、森下ファンの女性層の厚さを知るには十分な盛況ぶりだったし、翌週も対局が同じ日という偶然もあったからだ。
この頃になると森下さんも冷静さを取り戻しており、一番こたえたはずの竜王戦での敗戦も、自分の悪手もさることながら相手(先崎六段)の機敏なところがよく出た将棋だった、と客観的に語れるようになっていた。
その後日の対局の夜、私たちは近くに住む後輩の高野三段も交えて、アルコールなどは含むことはもちろんなく、深夜まで話を続けていた。もう秋涼しと言ってもいいほど涼風がそよそよと吹きこむ、気持ちのいい夜のとばりであった。
有益な勉強法について、から始まってとりとめもなくその日の新聞に載っていた、ジャイアンツの桑田選手のひじの故障のことに話が及んだ。私は特別巨人ファンという訳ではないけれど、桑田投手は超一流のピッチャーだと思っていて、そのくらいの選手でも全てを失ってしまうことにもなりかねないスポーツ選手のけがや病気というものへの恐怖心と不安は並大抵のものではないだろうとも素人ながら想像した。そんなところからやがて森下さんが「棋士の場合はどうなんですかね」と静かに言った。
私は考えて、きっと負けるたびに心は痛んでいくでしょう、というようなことを述べると、体は痛いとすぐどこかを直さなければと人間は気づくけれど、心の場合はついほったらかしにしたり、治療がわからない、手の打ちようがなかったりしますよね、と彼は言い、高野君もうなずいた。トップが対局ラッシュのこれからの季節などは、痛んだ者同士の戦いであり、プロの世界はどこもそうなのだ。
そして私はかつて誰かに聞いたことを思い出してもいた。あの64勝、8割勝っていた羽生五段(当時)が、誰かに「そんな勝ってばかりだと苦しいことはあまりないでしょうね」と尋ねられると、彼は「でも負ける数は同じですから」と答えていたのを。ふだん勝っている人ほど、負けの痛みも大きいに違いないのだ。
——–
私も半袖のワイシャツは1枚も持っていない。
やはり、スーツに肌が直接触れるのが気に入らないのと、半袖にしたからと言って、それほど涼しくならないのが大きな理由。
寒い時は衣類を着込めば暖かくなるが、暑い時は裸になったって暑いわけで、初めから諦めていたということもある。
そういう意味では、クールビズは良い制度だと思う。
——–
羽生善治名人が「でも負ける数は同じですから」と話したのは、鈴木輝彦七段(当時)に対して。
鈴木輝彦七段が1992年の将棋マガジンに書いている。