羽生善治三段(当時)の初自戦記

将棋マガジン1985年10月号、「奨励会対局拝見」より羽生善治三段(当時)の自戦記「目標に向かって」より。

 この奨励会の日まで僕は4連勝中だった。まだまだ先は長いがこれを生かして昇りたいと思う。

 さて、この日の1局目の相手は中田功三段です。

 中田三段にはこの前の講習会で負かされたのでぜひとも借りを返したいと思い対局に挑みました。

昭和60年7月24日
▲三段 羽生善治
△三段 中田功

▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二銀▲5八金右△4二飛▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二玉▲5六歩△8二玉▲9六歩△9四歩▲3六歩△7二銀▲6八銀△3三角▲2五歩△5二金左▲5七銀左△4三銀▲6八金上△5四歩▲4六歩△6四歩▲4五歩△7四歩▲2四歩△同歩▲3五歩△同歩▲4四歩△3四銀▲4三歩成△8八角成▲同玉△4三金(1図)

序盤の重要性

 僕が奨励会に入会して変わった事は序盤の重要性を知ったことだった。(その割にはうまくいかないが)

 アマ時代は適当にやっていても作戦負けにはならなかったが、奨励会に入会するとちょっと変な手を指すと作戦負けになってしまう。特に矢倉や香落には色々な常識があることを知った。

 局面は研究通りに進んでいったのでよしよしと思っていたが△4三金で手が止まってしまった。

 △4三金には▲4四歩があるので良いと思っていたが△3三角と打たれるのに気がついた。仕方なく▲6六歩としたがこれでは作戦失敗だと思った。

 これから研究する時にはもっと突っ込んでしなければならないと思った。

1図以下の指し手
▲6六歩△2五歩▲3一角△6二飛▲4四歩△3三金▲3七桂△6五歩▲5三角成△2二飛▲5四馬(2図)

盛り返す

△2五歩は手を与えるため損だと思います。ここは△3三角と打って歩得を生かした展開にすれば良かったと思います。

 2図では盛り返したと思いました。

2図以下の指し手
△2六歩▲4五桂△同銀▲同馬△8四桂▲6七金右△4九角▲4三歩成△6六歩▲同銀△2七歩成▲2九飛△7六桂▲同金△同角成▲5五馬△7三桂▲3三と△5四歩▲2二と△5五歩▲6七歩△3八と▲7九飛△8五馬▲5七銀上△5六歩▲同銀(3図)

同期の影響

 僕は自分でも信じられないぐらいのスピードでここまで昇ってくることができました。

 その原因の一つに同期の影響があると思います。

 追い抜こう、追い抜かれまいという熾烈な争いがあるからです。

 2図から△2六歩は悪手で△5三歩と打てばまだまだ難しい戦いが続いたと思います。

 △5三歩以下▲同馬△3六歩▲3五歩△4七歩…といった進行が予想されます。

 3図では完全に逆転したと思いました。

3図以下の指し手
△7六金▲7七銀打△6六金▲同銀△7六銀▲7七歩△6五歩▲5五銀左△5四歩▲6四銀△3七角▲7三銀成△同角成▲7六歩△8四馬引▲7五歩△同馬▲同飛△同歩▲6五銀△8五銀▲7四歩△5五馬▲6六銀△1九馬▲5五歩△7一香▲6四角(最終図)  
 まで、107手にて羽生の勝ち

辛勝

 この将棋、序盤の仕掛けで失敗して苦しくなりましたが、1図でじっと▲6六歩と辛抱できたのが良かったと思います。

 結果的には大差になりましたが、2図で△5三歩と指されていたら、きっと負かされたと思います。

今後の課題

この対局に勝って5連勝になりましたが次の対局の中田宏樹三段に持将棋指し直しの後に負かされてしまいました。

 最近、将棋の内容があまり良くありません。序盤で簡単に作戦負けをしたり、必勝の将棋を落としたりします。今後の課題は将棋の内容を良くしていくことです。

 具体的に言うと、序盤で作戦負けをしない、終盤で震えない、時間の使い方をうまくするです。

 そのためには努力していくしかないと思います。

 

〔師匠の二上達也九段から一言〕

 彼の場合、まだ歳も若いですし、ここまで順調に進んできたといえます。将来性としても、いずれはタイトルを争えるような棋士になるのではないかとみているんですがね。まだ、将棋だけを夢中でやっていていいと思います。しかし、これから進学とか世の中のわずらわしいことがでてくると思うのです。そのときに彼がどう対処していくかが問題でしょう。そのようなことも含めてスランプに陥ったとき、本人がどう考えるか。いつまでも調子のよさが続くわけはないですから、その辺りが師匠として心配なだけで、技術的なことに関してはまったく心配していません。

 進学については、長い人生を考えると高校くらいは行っておいていいんじゃないかと思います。私としては世の中の人と広く交流するという気持ちは持っていてほしいですね。いわゆる将棋バカにはなってもらいたくありません。(談)

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羽生善治竜王にとっての初自戦記。

羽生善治三段、14歳。

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中田功七段も、この頃はまだ三間飛車一筋ではなかったようだ。

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桂を使わない対四間飛車▲4五歩早仕掛け。

やってこられたら嫌だ。

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「この前の講習会で負かされたのでぜひとも借りを返したいと思い…」

ぜひとも借りを返したい、羽生善治三段が言うと恐ろしさが10万倍に感じられる。

あまりにも恐ろしい。

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「僕は自分でも信じられないぐらいのスピードでここまで昇ってくることができました。その原因の一つに同期の影響があると思います。追い抜こう、追い抜かれまいという熾烈な争いがあるからです」

まさに羽生世代の切磋琢磨。

奨励会同期・同年代では佐藤康光初段(15歳)、森内俊之初段(14歳)、郷田真隆初段(14歳)、同年代では先崎学初段(15歳)。

奨励会入会同期では古作登三段(22歳)、豊川孝弘二段(18歳)、小倉久史1級(17歳)、飯塚祐紀3級(16歳)などもいる。

奨励会時代から始まっている羽生世代の切磋琢磨。この流れが将棋界の時代を大きく変えることになる。

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師匠の二上達也九段のコメントも非常に素晴らしい。