村山聖九段が初めて将棋世界に登場した時

将棋世界1984年7月号、神吉宏充四段(当時)の「関西奨励会の内奥に迫る 神吉宏充の突撃レポート」より。

 級位陣に目をやると板谷八段門下若干14歳の杉本昌隆3級が2級に11勝4敗の星で昇級。有望新人だが、これから有段者と当たるので大変だ。その他高島七段門下の豊田利晃5級も昇級にあと2番と迫っている。同じく5級陣で森四段門下の期待株、村山聖5級も現在9勝4敗で豊田君と同じくあと2番で昇級だ。この村山君、非常に個性の強い顔をしている。何というかナショナル収納壁のようなりっぱなホッペタの持ち主で皆から”肉丸君”と呼ばれている。何でも、あのホッペタにさわると御利益があるそうな。とにかく将棋はしっかりしていて有望新人である。

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奨励会時代に「肉丸君」というあだ名がついた村山聖九段。

以前から、どういう由来なのだろうと思っていたが、今回調べてみて疑問が一気に氷解した。

”肉丸君”というキーワードでGoogle検索を行うと、

猿飛肉丸、さすがの猿飛、などが検索される。

猿飛肉丸で再び検索して、画像表示すると、

猿飛肉丸の画像

村山聖九段に雰囲気がよく似ている。

猿飛肉丸は、細野不二彦さんが1980年から1984年まで『増刊少年サンデー』に連載していた「さすがの猿飛」という漫画の主人公で、1982年から1984年まではテレビアニメ化もされていたという。

村山聖九段が奨励会入りしたのが1983年12月のことなので、時期的にも非常にタイムリーだったことになる。

「肉丸君」のあだ名の起源については「聖の青春」でも語られていないが、猿飛肉丸に由来したものと見て間違いがなさそうだ。

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村山聖九段が将棋世界で初めて紹介されたのがこの時の神吉宏充四段(当時)による記事。

しかし、名前だけで言うと、もっと前の将棋世界1983年1月号、「棋友ニュース」にも載っている。

広島将棋センター
<土曜32名トーナメント>
57回 ①田尻隆司 ②村山聖

時期的には、初めて奨励会を受験した前後の頃と思われる。(私は1982年の将棋世界を持っていないので)もっと前の号から村山聖少年の名前は広島将棋センターの欄に載っていたのかもしれない。

ちなみに将棋世界同じ号の「棋友ニュース」には、

渋谷将棋センター
(日曜トーナメント戦優勝者)
森内俊之四段

将棋世界1983年2月号、「棋友ニュース」には、

札幌将棋センター
勝率ベスト5
3位 屋敷伸之三段(36勝19敗 0.654)

とも載っている。

森内少年も屋敷少年も小学生で段位はアマチュアの段位。

すごいことだと思う。