佐藤康光前竜王「すみません。その水筒の水、少し飲ませて下さい。起きてから何も口にしていないもので」

将棋世界1995年11月号、中野隆義さんの第8期竜王戦挑戦者決定戦第3局〔佐藤康光前竜王-先崎学六段〕観戦記「霸への扉」より。

深夜の千日手

 9月6日早朝。寝ぼけ眼を擦りながら私はパソコン通信「ネット駒音」にアクセスした。昨日行われた佐藤康光前竜王対先崎学六段の竜王戦挑戦者決定三番勝負第1局の結果を知るためである。目指す情報があるかどうかの保証はないけれど、大勢の熱心な会員の誰かが、きっとしっかり書き込んでおいてくれているのではないかという期待は十分にあった。

 案の定、ハンドル名「亀山」氏より、9月2日に行われていた王座戦五番勝負第1局は羽生勝ち、竜王戦は千日手指し直しの末佐藤勝ちとの情報が寄せられていた。亀山氏は、顔が阪神タイガースの亀山選手によく似ている将棋関係の記者らしいという風聞のある人物で、「駒音」では貴重な情報源の一人となっている。

 1局目は佐藤が勝ったのか、とゆっくり回転する頭はまずそれを認知したが、次の瞬間、猛烈な勢いで”千日手”という文字の持つ意味が脳味噌の中に飛び込んできた。

「なぬーっ、千日手の末だってえ」

  所は埼玉県飯能市の「久邇CC」東コーススタートホール。時、8時30分。日本将棋連盟「早起き会」のメンバーは、今や遅しと佐藤前竜王とその車に同乗してくるはずの飯野健二六段の到着を待っていた。

「終盤で千日手になったんだって?昨日の将棋」

「持ち時間5時間の将棋ですから、終わったのは(6日未明の)1時か2時になっちゃってるでしょう」

「感想戦やると3時まであるね」

「それじゃ、今日は無理だよ」

 フロントからの呼び出しを受けていた幹事の泉六段が戻ってきて言う。

「先ほど佐藤君から連絡があって、渋滞に巻き込まれちゃっているようです」

「そうか、来るには来るんだ。だけどいつ着くか分からないなあ」

 スタートの時間は20数分後に迫っていた。じりじりとした時間が流れてもうだめかと思われた時、飯野健二六段とともに佐藤が息せき切って駆け込んできた。

「感想戦を終えて家に着いたのが3時半で、これではゴルフは無理だなと思ったんですが、飯野さんと待ち合わせをしているんだと気がついて……。ぼくが行かないと飯野さんも行けなくなっちゃいますから」

 3時まで将棋を指していたと知れば、たとえ出場を取りやめても誰も文句は言わなかっただろう。ゴルフ場にかかる迷惑には、現場に来ていた者が代わりに頭を下げたことと思う。

「すみません。その水筒の水、少し飲ませて下さい。起きてから何も口にしていないもので」

 普段ならば、ほんとにちょっとだけだよ、という気持ちが出てしまう私であったが、この時は、全部飲んでも構わないという心になれた。

 前日の夕刻。将棋会館4階の桂の間を覗くと、いつものように棋士や報道関係者らがたむろしていた。

 1図。一目、先手が一発喰らった局面ではないかと私には思えた。

佐藤先崎1

 なにしろ準王手飛車である。飛車を渡せば先手陣には打ち込まれる隙がゴマンとあるし、飛車角交換を拒否する▲4六角は△同角▲同銀△2七角、また▲5七角と合わせるのは△同角成に▲同金と取る形が筋悪である。

 困ったかと先崎を見ていると、13分の考慮でスイと▲8八玉と上がった。13分というのは困ったときの時間の使い方ではない。あれ変だな、と、このような場合は控え室に陣取る棋士達による継ぎ番の検討を見守る一手である。

 検討によると、▲8八玉には△6八角成▲同金引とひとまず交換する一手であるが、この後すぐに△4九飛と打ち込むのは▲5八銀△1九飛成に▲7一角(参考図)と反撃する筋が相当に厳しい。

佐藤先崎2

 これは後手がうまくいかないどころではなく、下手をすれば負けであるとのことであった。参考図以下一例をあげれば、△7二飛▲6一角△7一飛▲5二角成の変化は先手陣は鉄壁で、次に▲6二馬や▲5三馬がうるさい。

 この戦型で飛車角交換になって、飛車を取った方が簡単に有利にならないというのには驚いた。どうやら先崎の▲8八玉は好手であったようである。

 △6三銀はやむを得ぬ守りだが、▲5八銀との交換は先手に利ありと思える。

 夕食休憩を迎えて、私は先崎勝ちを予想して冷たく連盟を後にした。なにしろ明日は年4回行われる連盟コンペの第3回例会がある。早起きせにゃならぬのである。

 まさかこの将棋が千日手になるとはつゆほども思わなかった。勘が働かないのは記者としてゆゆしき事態。これは、麻雀を控え酒量を落としたことが主原因に違いない。要反省である。

 第1局の千日手が成立したのが5日午後9時42分。規定により30分の休憩を挟み、午後10時12分より指し直し局が開始された。

 2図は、陽動振り飛車から5筋に模様を張った先崎陣に対し、佐藤がグイと歩を突き上げた場面である。

佐藤先崎3

 △5六同歩に▲6五歩△同銀▲5五歩△7二金▲5六銀△7四銀▲5七銀△6三銀▲6六銀以下、厚みで指すとはこうやるもんだという見本のような指し回しである。こうまで完璧に指されては、負かされた先崎もかえってさばさばしたことだろう。

(つづく)

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1995年のこの時期、「ネット駒音」、「ネットとらふ」、「NIFTY将棋フォーラム」が将棋関連のパソコン通信では非常に賑わっていた。

特に「ネット駒音」と「ネットとらふ」は当時の言葉で言うと”草の根BBS”と呼ばれる、パソコン1台がホストコンピュータとなってそれに電話回線でアクセスする方式。

「ネット駒音」は武者野勝巳六段(当時)が開局し、「ネットとらふ」は宮田利男七段(当時)が常駐していた。

それぞれのテーマ毎に掲示板形式で書き込みが行われていた。また対局も、対局室の掲示板で一手毎にメッセージを付けながらやりとりする方式で、非常にのどかなものだった。プロ棋士の指導対局となると、棋士と会話を交わしながら一局を2ヵ月近くかけて無料で指せるわけで、ある意味では非常に贅沢な環境だったとも言える。(インターネットは企業では一般的になっていたが、まだ家庭でインターネットを使う人はほとんどいなかった)

「ネット駒音」、「ネットとらふ」両方を見ていた人も多く、窪田義行四段(当時)、勝又清和四段(当時)、船戸陽子女流初段(当時)なども数多く登場していた。

また、羽生善治六冠(当時)が「へびくん」というハンドルネームで登場したこともあったという。

観戦記者では鈴木宏彦さん、湯川恵子さんなどが活躍をしていた。

日本将棋連盟がホームページを立ち上げるのが1997年のことになるので、それまでの棋界情報は、これらのパソコン通信から得るのが最も早い手段だった時代だ。

ところで、ハンドル名「亀山」氏というのは誰なのだろう。

今度、中野さんに会ったら聞いてみよう。

 

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