将棋世界1995年11月号、中野隆義さんの第8期竜王戦挑戦者決定戦第3局〔佐藤康光前竜王-先崎学六段〕観戦記「霸への扉」より。
負けてなお強し
三番勝負の初戦を落として後のない先崎は、いささかハデな格好で対局場に現れた。「ジャンボ尾崎が着てるような感じの柄のシャツですよ」と聞いて、おおっ、と思う。
本戦準々決勝で谷川と対した先崎は、サイケシャツにチノパンで谷川の前に座って話題をまいた。対局規定にネクタイ着用の義務をうたう条項はないのではあるが、重要な対局では和服はともかくとして、まず背広にネクタイは常識、という感覚が将棋界にはある。「まったく、しょうがないヤツだな」という声が記者の耳には多く入ってきたのは当然のことと言えよう。
もし、先崎の行為が相手の動揺を誘う狙いが少しでもあるのなら、ほんとにしょうがないヤツである、と記者も思う。
しかし、先崎が、サイケシャツを自分が一番自由自在に振る舞える戦闘服として着用したのなら、何を着ようと誰もそれをとやかく言う筋合いのものではないだろう。棋士の使命は、将棋に対して己が持つ力を最高に発揮することにあるのだから。
先崎に姑息な狙いがないことは明白である。谷川や佐藤が、動揺させて勝てるような相手ではないのは、棋士ならば誰でも分かっていることだ。
第2局は、先崎がほとんど完璧に指した。と、記者は思う。それで、最後の最後までどちらが勝つか盤側には定かに分からぬデッドヒートを演じたのだから、佐藤の強さ恐るべきものがある。
3図は、中盤での佐藤の疑問手を咎めた先崎のリードが認められる局面である。持ち時間の方も、まだ1時間以上を残している先崎に対して、佐藤は28分と切迫している。大駒の働き、玉の安定度など、多くの観点からも先手有利の条件が見て取れた。
将棋会館道場での大盤解説を務める屋敷六段の判定も先手有利であった。正確な羅針盤を持つ棋士の判断ほど頼りになるものはない。佐藤-先崎戦がもう一局見られるぞという嬉しさで思わず頬が弛んだが、将棋は簡単には終わらなかった。佐藤の△1五歩の指し手が入るや「ここだけがイヤなところだったんです。先手には」と、屋敷が眉根に皺を寄せながら呟くように言った。
桂の間に急行し、先崎-佐藤戦が映るモニターを追った。
△1七歩(4図)と垂らして後手の追撃急。「逆転されたんではないですか、先ちゃん」と居合わせた河口六段のご託宣を仰げば「正しく指せば、まだ先手が残っているはずだ」。
隣の控え室に行けば、村山ら錚々たるメンバーが検討していることは知っていたが、この時はそれを聞きに行こうとする気が起きず、黙って局面の推移を見つめるスリルに酔った。
5図。▲5三桂成と指す先崎に、なんちゅう危ないことするんだ、手厚く銀を打つだろうがあ、とモニターに向かって思わず叫んだ。が、後で感想を聞いて驚いた。銀を打つと△5五銀▲3四玉△3五飛!▲同玉△5三角以下先手の玉は詰んでしまうのだった。佐藤は4図の△1七歩から1分将棋である。秒読みに追われている者の仕業とは思えない執拗かつ恐ろしい狙い筋を秘めた追跡劇だった。
最後は相手の王様が初めにいた5一まで突入して先崎が勝った。紙一重の逃げ切りに、盤側は負けてなお佐藤の強さを思い知らされた。
(つづく)
* * * * *
第2局。
先崎学六段(当時)が着ていた服は、ジャンボ尾崎が着てるような感じの柄のシャツ、というよりも、歌舞伎の定式幕のような濃紺・柿色・緑色の三色から成るボタンダウンの半袖のシャツ。
佐藤康光前竜王(当時)は、淡いベージュのスーツ。
「棋士の使命は、将棋に対して己が持つ力を最高に発揮することにあるのだから」の言葉の通り、たしかに最低限のドレスコード(襟付きのシャツであることなど)は必要だろうが、その時に一番力を発揮できそうな服で対局に臨むということはあって良いと思う。
先崎六段は2組優勝。本戦の最初の対局が谷川浩司王将(当時)との一戦だった(準決勝は対森下卓八段戦)。
柄シャツとチノパンの戦闘服は、先崎六段の竜王戦に懸ける気合いの表れだったと言える。だからこそ、挑戦者決定三番勝負に進出することができたのだろう。
* * * * *
「隣の控え室に行けば、村山ら錚々たるメンバーが検討していることは知っていたが、この時はそれを聞きに行こうとする気が起きず、黙って局面の推移を見つめるスリルに酔った」
この時の控え室の様子はどうだったのか。
将棋世界同じ号の河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。
竜王戦の決勝三番勝負の第2局が行われている。これはおもしろい勝負だったが、最終結果を知ってしまった今は迫力がない。なんとも残念だ。テレビで、高野山の決戦をやていたが、あの升田がトン死した第3局の陰にかくれて、第2局の升田完勝譜が忘れられてしまっている。
しかし、この日の一戦はちょっと違う。佐藤前竜王が挑戦者になる必然性のようなものがあらわれていたのである。
(中略)
そうして控え室は閑散としている。佐藤対先崎戦は夜戦に入り、16図になっている。一見先手の形がよい。したがって先手優勢である。
16図以下の指し手
△3三角▲6五桂△8五桂▲8六角△7一飛▲9八香△2四歩▲7四歩△7五歩▲6六飛△7四金▲5三桂成△同銀▲6三飛成(17図)上の手順はノータイムの手を多く交えて比較的早く進んだ。モニターテレビを見ていた滝七段が「まれに見る好調子だね」と驚いた。佐藤ほどの棋士が、どうしてこんな手順を許すのか、というわけ。先崎六段も「夢みたい」と思っていたそうである。
途中▲7四歩と突き出してからは変化の余地ない一本道。▲5三桂成も明快な攻め方で、飛車が成り込んだ。
三々五々控え室にファンが集まりだした。ほとんどが先崎が挑戦者になればおもしろい、と思っているようである。
9月のはじめ、竜王戦の決勝が開始される直前だったが、楽壇の将棋旅行会があり、佐藤前竜王、青野九段、中村八段に私も参加した。
日曜の午後、伊豆の大仁に集まり、一通り指導対局があって宴会。それからまた指導対局だが、この会はえらく豪勢で、佐藤君に2局教わったりした人がいた。プロ側もサービス精神旺盛で、上手がボロボロ負けた板。
指導が終わった深夜、佐藤、中村両君が詰将棋を出題しあって考えている。よくやるねえ、と見ていると、中村君が「角落ちで教えて下さい。勝ちグセをつけたいんですよ」佐藤君に言った。
「いいですよ」笑顔で応じ、深夜の早指し戦がはじまった。角落ちは冗談で、平手である。
私は勝手に寝てしまったが、早指し戦を朝5時頃までやっていたと聞いた。
こういうのを、この目で見たり聞いたりすると、努力とか、研究熱心とは、どういうものなのか考えてしまう。真の天才にとって、努力するのが自然なのだ。強くならねばならない、勝たねばならない、と心に誓って努力するなどは、一段下のレベルなのだろう。
17図から佐藤の本領が発揮されるが、それも自然に指しているだけにすぎない。
17図からしばらく早送りして、18図。佐藤前竜王は、すでに1分将棋になっている。
局面が一変しており、それは先崎六段のもたつきを示しているが、▲4四歩と打った18図は、どうやら勝ちが決まった、の評判だった。ここに至るまでの途中、読売の控え室から回って来た村山八段が「私達の理解できない世界になった」と言って、先崎ファンを心配させたが、もう大丈夫だろう。
18図以下の指し手
△3六桂▲4七玉△4八金▲5六玉△5四歩▲2六香△2三歩▲4三歩成△5五歩▲同玉△6五金(19図)△3六桂と手品みたいな手が飛んで来た。
これを▲同歩と取っては、△3七銀▲同玉△2八角の筋で竜を抜かれる。だから▲4七玉の一手だが、△4八金から力ずくの王手を食らって、にわかに危ない。
△5四歩に、▲2六香~▲4三歩成と必至をかけ、先手玉に寄りがあるのだろうか。となりでモニターテレビを眺めている森内八段に訊くと「どうですかねえ」。
△6五金は怖い手で、▲同玉と取ったりすると、△8七角▲7四玉△4三角成と、と金を抜かれ、これは先手が勝てない。
19図以下の指し手
▲4四玉△6二角▲5三桂成△6四飛▲5四歩△5三角▲同玉△9三飛▲5二玉△6一銀▲5一玉△4三飛▲5三角(20図)まで、先崎六段の勝ち。先崎君の直観も信頼するに足る。2分考えただけで詰みなし、と読み切り、▲4四玉と逃げる。△6二角に▲5三桂成も最善。これで私達にも見きわめがついた。
最後はゴールポスト下にトライした形で終了。ちょうど午後11時だった。
先崎君は勝ってショックを受けたのではなかろうか。終盤の力はあきらかに違う、と。
もっとも、こういった事は、訊いても本当のことを言ってくれるはずがなく、すべて私の憶測にすぎない。
ともあれ、第3局の下地にこんな事情があったのである。
この日は王座戦第2局も行われていた。途中経過は、森九段楽勝。だから、終わったと聞いて、一同森九段が勝ったと早合点し、先崎君の勝ちと合わせて、無頼派が巻き返している、などと言っていた。後で詰みを逃したと聞いて、びっくりしたものである。夢ははかないものだ。
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先崎六段のひねり飛車からの理想的な攻撃パターン。
しかし、佐藤康光前竜王(当時)から、数々の毒矢、小太刀が放たれる。
勝つまでに数々の試練を乗り越えなければならないという展開。
300m先に自宅が見えているのに、自宅までの間にある心霊スポットの廃病院や廃ホテルや廃トンネルを通らなければ帰ることができないような状況。怪奇現象に悩まされつつ、妖怪にも追いかけられ、命からがら逃げ込んだ、御札がたくさん貼られている祠(5一)、という感じの流れだ。