谷川浩司王将(当時)「彼は『自分のことを書いた記事は読まない』と言ってますよね。あまり他人がどう思っているかということを意識してない」

将棋世界1995年11月号、池崎和記さんの「昨日の夢、明日の夢」(谷川浩司王将)より。

 谷川浩司が王将戦で羽生善治の挑戦を退けてから、はや半年が過ぎた。

 羽生は全冠制覇の野望を果たせなかったが、この半年の間に名人戦、棋聖戦、王位戦、王座戦とすべての防衛戦を制して、いまなお六冠を堅持している。

 9月22日、羽生がストレートで王座を防衛したその日、前竜王の佐藤康光が挑戦者になった。

 竜王戦七番勝負は10月から始まる。どっちが勝つ、と聞かれても返答のしようがないが(やってみないとわかりませんよ)、もし羽生がここでも防衛に成功すると、来年の1月から始まる王将戦で、再び谷川との”天下分け目の決戦”が見られる可能性が高い、とは言える。

 待つ身がつらいかね。待たせる身がつらいかね。昔読んだ太宰治の小説(随筆だったかもしれない)の一節が、ふっと浮かんできた。

 今月は、待つ身(?)の谷川浩司にインタビュー。

 いささかタイミングがズレ過ぎているかもしれない。谷川ファンの読者に「なぜ王将を防衛した直後に出さなかったんだ」とお叱りを受けそうだが、この時期に谷川を本欄に引っぱりだすのは、僕としては最初から予定の作戦である。

 王将防衛直後は谷川が最も多忙な時期だった。マスコミから連日のように取材攻勢を受けていたし、阪神大震災で不自由な生活を強いられてもいた。

 マスコミに歩調を合わせて二番煎じみたいな質問をぶつけるのは、筋が悪い。突っ込んだ話を聞くなら、谷川の生活が落ち着いてからのほうがいい。そう思ったから、しばらく待つことにしたのだ。

 インタビューの持ち時間は1時間30分。取材は9月14日の午後。場所は大阪福島区の僕の家。

 持ち時間以外は谷川の指定だ。「前の日に大阪のホテルでディナーショーがあるんですよ。ええ、妻と見に行くんです。13日は妻の誕生日なんです……」と谷川は言った。ホテルに一泊し、そのあと僕の家へ、というわけだ。

 谷川が結婚したのは3年前である。最近、井上慶太(谷川の弟デシ)と飲む機会があった。僕が「谷川さんとこは、いつまでも恋人同士みたいな感じやね」と言ったら、井上はうなずいた。「ええ、そんな感じですねェ」

技術と人生経験

―5月の王将就位式で「最終局に勝った晩は眠れなかった」と話してましたね。

 午前2時ぐらいに部屋に戻って横になったんですけど、1時間ぐらいずっと寝られなくて……。仕方がないのでベッドから起き出して、ホテルから頼まれていた色紙を書きました。でも「勝って眠れなかった」なんて言うのは、本当はダメなんですけどね。

―正直でいいですよ。他の人は、そんなこと言いません。

 本当は「勝って当たり前」みたいな顔をしていないとね。

―「将棋は全人格の戦い」という米長先生の言葉がありますね。ところが羽生さんは「将棋は強くなるのに人生経験は関係ない、盤上技術がすべて」と言ってる。谷川さんはどちらかというと米長先生の考え方に近いでしょう。

 羽生さんはしかし実際の将棋の内容は全然逆で、相手の心理を利用しているところはあると思うんですけどね。

―それも技術と考えればどうですか。というより、それも技術でしょう。

 まあ、そうなんですけどね。例えば相手によって作戦を変えるというのも技術の一つですけどもね。何が何でも相手の得意戦法で勝負する必要はないわけで。

―あの2手目△6二銀は、羽生さん自身、何も説明していないので、いまだに真理はわかりません。

 相手を挑発しているところもあるでしょうけどね。それをとがめようとすると、その人が苦手な戦法を指さなくてはいけなくなるということですよ。

―しかし、それも技術のうち。

 そうですね。ストレートばかり投げてホームランを打たれたら、ただのバカですから(笑)

―さっきの話に戻りますが、谷川さんだって21歳で名人になったわけで、21歳の青年に人生経験があるかと言ったら、これはないのと同じでしょ?

 ウーン(苦笑い)。

―少なくとも谷川さんの名人は技術だけで勝ち取ったものじゃないですか。いまの羽生さんもそんな感じがするんですけどね。ただ長い目で見たら技術だけで勝てるかどうかはわからない。年々、レベルを高められたらベストですが、現実には維持するのも大変になってくると思うんですよ。人生経験が将棋に影響するのは、そういうときだと思うんですが。

 いや、だから人生経験は将棋にプラスになることばっかりではなくて、マイナスに作用することも多いと。やっぱり年齢を経ると、いろんなものを背負いながら生きていくことになりますからね。そういう意味かもしれません。

―米長先生がすごいのは、盤外でいろんなことをやってるけど、将棋に対する思いをずっと持ち続けているところです。技術はもちろん一流ですが、将棋に対する思いもすごい。それがあるから、ずっとトップの座を維持できているんだと思うんです。

 そうですね。

―だから僕も将棋が技術だけとは思いませんが、でも一番大きいのは、やはり技術でしょう。これは相手の棋風や性格を考えた戦術も含めて「技術」と言っての話ですが。逆に谷川さんは、そういう面は少ないほうじゃないですか。

 そうですね。

―たまには意地の悪い指し方もしたらいいのに。いや、やっぱり性格的にできないな。

 ハハハ、そういうのは意識してもしょうがないですよ。意識して自分のスタイルがくずれると意味がないですから。

―羽生さんはそれをサラッとやってますね。意識してはやってないと思う。

 意識してやってたらマイナスに作用すると思いますよ。彼はそういうところは合理的ですし。例えば彼は「自分のことを書いた記事は読まない」と言ってますよね。あまり他人がどう思っているかということを意識してない。

―図太い。あるいは無頓着。でも本当はどうかな。記事というのは週刊誌なんかのことだと思いますが、「読まない」というのは、そこに意志があるわけで、「読んだらマズイ」という意識の裏返しとも言える。「読んで、なおかつ何とも思わない」というのが本当の図太さでしょうか。

 いやァ、なかなか、そこまではなれないですよ。

(つづく)

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  • 将棋は強くなるのに人生経験は関係ない
  • 年齢的にある段階まで来て、強さを維持するような局面になった時、人生経験が将棋に影響する
  • しかし、人生経験は将棋にプラスになることばかりではなく、マイナスに作用することも多い

という結論になるのだろうか。

極めて奥が深い世界だ。