米長邦雄二冠(当時)「私は小田急が嫌いだから乗りたくないのです。なぜ小田急が嫌いかというと、私の気に入らない人が一人住んでいるからです」

将棋世界1980年1月号、読売新聞の山田史生さんの第18期十段戦第〔中原誠十段-米長邦雄王位〕1、2、3局盤側記「奪るか守るか十段位」より。

 中原-米長の十段戦七番勝負。もうあれこれ前口上を述べる必要はないが、それでも一つだけ―。中原=名人・十段・棋聖。米長=王位・棋王。もし今回、中原敗れんか、タイトル数で米長3、中原2となり、実力で米長最上位と見られてもやむをえなくなるのである。将棋ファンなら誰しもが、胸をわくわくさせて注目しているこの対決、11月下旬の時点で第3局まで終了、中原2勝、米長1勝の戦績となっているが、そのあとを振り返ってみよう。

(中略)

 第2局は11月8、9日、神奈川県鶴巻温泉の「陣屋」。数々の名勝負で知られた対局場で特に将棋史にも残る”陣屋騒動”は有名。

 鶴巻温泉は東京からは最短距離なのだが、ロマンスカーが止まらないので、少し使いにくかった意味がある。小田急沿線も住宅が多くなり、電車は一日中混雑、普通電車で行ったのでは、とても腰かけられそうにない。

 対局者を立たせていくわけにはいかず、それで避けていたのだが、時間によって、少し手前の「本厚木」に止まるロマンスカーがあることがわかった。本厚木までロマンスカーで行って、そこへ宿のマイクロバスが迎えに出てくれることになり、米長王位、立ち会いの花村九段、大友八段、解説の山本八段、観戦記の河口五段、記録の鈴木四段、それに私の七人がその行程をたどった。そう、一人肝心な人が欠けている。中原十段がその人だが彼は小田急沿線の生田の住人。新宿まで来てロマンスカーに乗るのは時間の無駄。「一人で一足先に行きますから」と別行動だった。

 陣屋で中原、米長の両雄、おちあって、対局場、照明、盤、駒などを点検する。さすが伝統ある旅館だけあって極上の盤、駒だ。盤の箱に大山康晴十五世名人の署名があった。「昭和二十八年秋 王将 大山康晴」とある。二十八年といえば大山が名人位についてまだ二年目の時。現在は肉太で達者な大山名人だが、この箱書きは、やや細く、しかも少し傾いていた。まだ書はあまり慣れていないころだろう。いかにも若い名人の初々しさがあって、達筆ではないのが、逆に貴重なものに思えた。

(中略)

 第3局はすぐ次の週、11月15、16の両日、箱根・強羅の「石葉亭」。ここもおなじみの対局場である。

 ちょうどこの日から関東地方は冷え込みが始まり、箱根も当然寒かった。部屋にはもうストーブ、こたつが入っている。

 前局に続いてロマンスカーに乗り、箱根入り。今回は米長一人が別行動。新幹線で小田原経由をとり箱根入りした。

 その理由に曰く。「私は小田急がきらいだから乗りたくないのです。なぜ小田急がきらいかというと、私の気に入らない人が一人住んでいるからです」

 その住んでいる人とは、中原十段を指していることは明らか。

 米長一流のジョークで、他に用事があったために違いないのだが、勝負をやっている最中、相手のホームグランド同然の小田急沿線で指すのは、事実、不本意なことなのかもしれない。

それに中原は知られる通りの温厚極まりない人物。勝負師だけに心底には厳しく、頑固なものを持ち合わせてはいるのだが、まずは悪口をいう人はだれもいないほどの穏やかさを常にたたえている。米長とて中原を憎むべき材料は何もないが、それだけに勝負の相手として敵愾心をあえて作り出す必要があると考えているのではないか。それでないと、あの笑顔にずるずる巻き込まれてしまうと。

 勝手な想像をしたが、さて対局。

(以下略)

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今から20年前の土曜日の早朝近く、前の夜から一緒に飲んでいた女性を六本木からタクシーで送ることになった。

その女性は生田に住んでいた。

「生田経由で荻窪までお願いします。生田で一人降ります」

まあ遠回りにはなるけれどもいいか、と酔った頭で思ってタクシーに乗った。

しかし、生田は思いのほか遠く、タクシーメーターはどんどん上がるばかり。

女性が降りた頃には、タクシー料金が想像を絶する金額になっていた。

「う、運転手さん、、荻窪じゃなくて小田急の生田駅に行ってください」

やや真っ青になった私は、急遽予定を変更して小田急→JRで荻窪まで帰ることした。

生田駅には午前5時頃到着。

既に電車は走っている。

15分ほど待って新宿行きの電車に乗った。

早朝、しかも土曜日。電車は空いていたので座ることができた。

途中で眠ってしまったらしい。

目が覚めた時は、生田よりも新宿から遠い町田駅を通過していた。

寝過ごしたか。次の駅で上り電車に乗り換えよう。

と思っていたら、電車は新宿方向へ向かっている。

時計を見ると午前9時を過ぎていた・・・

午前5時15分に生田発新宿行きの電車に乗ったわけなので、小田急線を何往復していたのだろう、と一瞬考えたが、あまりにも衝撃的で、計算する気にはならなかった。

小田急線というと、まずこの時の出来事を思い出してしまう。