羽生善治三冠(当時)「やっと、とにかく、何とか、ようやく、どう表現して良いか解らないがA級への切符を手に入れることが出来た」

将棋世界1993年5月号、羽生善治三冠(当時)の「昇級者(B級1組→A級)喜びの声」より。

将棋マガジン1992年12月号より、撮影は中野英伴さん。

希望と不安

 四段に昇段し、順位戦に参加するようになって7期になる。

 やっと、とにかく、何とか、ようやく、どう表現して良いか解らないがA級への切符を手に入れることが出来た。

 ここまで各クラスを各駅停車できていたわけだが初めて通過することになる。

 これは今までに止まってきたから今年はこんな結果になったと思っている。

 ”順位戦”賛否両論あるが、現在の将棋界の根幹の一つであることには間違いない。その過酷とも言えるシステムの中で私にとっての”順位戦”は常に高いハードルへの挑戦だった。

 6月~3月までの10ヵ月間をムラなく乗り切るのは容易ではない。

 もっとも自分が通ってきたクラスでも年々ハードルの高さも上がり、一緒に走る走者のレベルが上っているのには驚かされるが。

 そんなわけで自分では昇級できなかった年の方が印象に残っている。

 何か1年間が全くの徒労に終わってしまったあの感じは棋士でなければ解らないだろう。

 図の局面は今期順位戦10回戦、加藤一二三九段との終盤戦。

 ここまで加藤(一)九段7勝2敗、私8勝1敗と直接対決の大一番。

 図の局面で一回、▲6八玉とされたら私の負けだった。

 ところが、1分将棋の加藤先生は▲8四香、まさに土壇場での逆転で大きな1勝を挙げることができた。

 加藤先生には大変申し訳ないが、この勝利で今期は行けると思った。

 さて、来期からはA級で戦うことになるわけだが、強者揃いの中で自分がどのくらいやれるか楽しみでもあり不安でもある。

 それぞれのクラスにはそれぞれの”空気”があり、早くその空気になじめるようになりたい。

 また局数も12局から9局へぐっと数も減る。

 恐らく色々な条件も変わるだろう。

 そして、何よりも”最終日”の観戦者から対局者へなれたことが嬉しい。

 最後になりましたが、応援して下さった全ての人達へお礼を述べさせて頂きます。

 ”どうもありがとう”

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「やっと、とにかく、何とか、ようやく、どう表現して良いか解らないがA級への切符を手に入れることが出来た」

前年に亡くなった大山康晴十五世名人と入れ替わるようにA級入りした羽生善治三冠(当時)。

一部が大きく欠けてしまって球体ではなくなっていた地球が、元通り球体に戻ったようなイメージだ。

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「もっとも自分が通ってきたクラスでも年々ハードルの高さも上がり、一緒に走る走者のレベルが上っているのには驚かされるが」

一緒に走っていた走者の方がもっと驚いていたのではないかと思う。

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「何か1年間が全くの徒労に終わってしまったあの感じは棋士でなければ解らないだろう」

一般の世界では、受験に失敗して浪人する時、失恋した時、が比較的近い雰囲気かもしれない。

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「そして、何よりも”最終日”の観戦者から対局者へなれたことが嬉しい」

羽生三冠はA級1年目で名人戦挑戦者になり、そして名人位を獲得する。

A級順位戦最終日を対局者として迎えない方が良い状態である世界にすぐに変わってしまった。

 

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