将棋世界2000年5月号、内藤國雄九段の巻頭随筆「未熟者めが」より。
「プロは本気を出さないにしても、わざと負けるような手は指さないよね」大山名人に二枚落ちで勝った丹波哲郎さん。皆に「負けてもらったんだ」と言われるのが癪の種で、そうではないと言ってもらいたいのである。
「アマの人に対しては、いやらしい手は指さないということはありますが、わざと悪い手を指すということは出来ません」こう答えると、丹波さんはどうだという感じで周りを見回した。
私が言ったことは真実で、プロは稽古将棋でもわざと負けるような手は指せない。時に、相手の持てる力を存分に発揮できるような局面に持っていくということはある。それで下手が勝てればやはり自分の実力で勝っているのである。それから「いやらしい手」というのは、指していて楽しくない将棋、面白味を感じない局面に持っていくような手のこと。稽古将棋でこんなことをやっていると、アマの人は将棋に嫌気をさしてしまうだろう。
(中略)
谷川君に飛落ちで勝った人を6枚下ろして負かしてしまった男がいる。アマ四段に六枚落ちで勝つなど、本当はあり得ない。しかしそれをやってのけるのが神吉である。名人に飛落ちで勝った話をしたら「金銀でいらっしゃい」と言われ、その人も冷静を欠いたに違いない、がそれにしてもである。神吉は器用で手品も歌もうまく口が達者である。その口が駒落ちではものを言う。下手を強くするも弱くするも上手の口次第といっていい程だ。
ある将棋大会で私は久し振りに10面指しを行った。少し負けこした。二枚落ちでも一方的に負かされるのはあまり楽しくないのだが、今回は違った。「うまく指してくれたなあ」と相手の健闘を讃える爽やかな気分になっていた。長年かかってやっとこの心境に達した。
人間的に成長したんだ、と会長の二上さんと話を弾ませているところへ多面指しを終えた神吉が意気揚々と引き上げてきて、こう報告した。「全部勝ちました。ワッハッハ」―、会長と私の口から同じ言葉が同時に出た。「未熟者めが」
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神吉宏充七段の駒落ち下手殺しは非常に有名だ。
花村元司九段、灘蓮照九段、神吉宏充七段が、将棋史的に見て三大下手殺しと言っても良いだろう。
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昔の将棋マガジンでは、萩本欽一さんや作家の安部譲二さんの駒落ち十番勝負のような企画があった。
この時、必ず負けているのは大山康晴十五世名人であったり二上達也九段だった。
やはり、わざと負けているわけではないが、下手の力を引き出すような指し方をしていたと考えられる。
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将棋は選択肢が多い場面で悪手を指すことが多い。
そういう意味では、下手の力を引き出すような指し方というのは、応手の選択肢が多くて下手が悩むような手をあまり指さないようなことなのだと思う。
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上野裕和五段は指導対局の時に、「天使」、「普通」、「鬼」の3枚のカードの中から下手が希望するものを引いてもらうような形を取っている。(なおかつ、対局終了後にはPCから出力された棋譜がプレゼントされる)
カレーライスでいえば「甘口」、「普通」、「辛口」のどれにするかを注文の時に聞くのと同じで、なかなかの絶妙手だ。