最後まで読まないと誤解してしまう話

将棋世界2000年2月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 やはりこのときの話だが、豊川五段が棋譜の束を持って入って来て、壁ぎわに座った。

 私が「中原対谷川戦はある?」と聞くと「あります」。「じゃそれを並べてよ」

 豊川君がその棋譜を抜き出して駒を並べた。すると中央に座っていた石川六段が「君はボクには見せないと言うのかい」。「そんなことはありませんよ」。盤を石川君の方へ向けた。そして今度は豊川君が、「駒ぐらい並べて下さいよ」

 なるほど、この部屋の主ともなれば、何かにつけて一言は発するらしい。

(以下略)

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将棋世界2000年3月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 観戦に来たものの、例によって〆切に追われ、対局室や控え室でうろうろすることもままならず、編集室で原稿を書くはめになった。

 そうしていると豊川五段が来た。これ幸いと、取材しようと思っていた、杉本六段対川上五段戦の形勢を訊いた。豊川君は、となりで対局していたからである。

「あれは大変な将棋です。どちらも動きません。だけど模様は川上君がわるそうだな。出だしが変だったんですよ」

 それからちょっと辛辣な一言が出た。言ったあと、慌てて「先生、いまのは書かないで下さいよ。そういえば2月号の石川さんと私との話はキツかったですね」

 実は私も気になっていた。あの、石川六段と豊川五段のやりとりは、控え室でしょっちゅう見かけるシーンを書いたにすぎないが、最後に、二人そろってお茶を飲みに行った、の一行を書き忘れてしまったため、和気あいあいの場面が角を立てた場面のようになった。この類のポカが多いのは、我ながら困ったものだ。

(以下略)

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文章は、顔の表情や声の調子が伝わらないので、言葉によっては本来の姿とは違った印象で読者に伝わってしまうことがある。

「君はボクには見せないと言うのかい」
「そんなことはありませんよ。(少し間を置いてから)駒ぐらい並べて下さいよ」

は、当時の控え室の常連である石川陽生六段(当時)と豊川孝弘五段(当時)がじゃれ合っているいつもの光景ということだ。

「おっ、俺に見せないなんて上等じゃないか、豊川君も偉くなったもんだよなあ」
「そ、そんなことないッすよ。もう、本当にやきもち焼きなセンパイなんだから。あ、あ、あ、そんなことしてないで駒並べるの手伝ってくださいよ」

のような雰囲気だったのだろう。

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六本木の酒場、少し酔った女性がうなだれかかってきて鼻にかかったような声で呟く「バカ」と、熱血スポーツ根性ドラマでコーチが主人公に対して叫ぶ「バカ」と、2時間ドラマの最終盤に断崖絶壁の上で女性主人公が犯人に対して言う「バカ」、はそれぞれ意味合いが違う。

人と直接会って伝えられる情報量が100とすると、声だけでは20~30、文字だけでは5~10と聞いたことがある。

文章表現は難しいものだ。