加藤一二三九段にとっての記念すべき年

将棋世界1995年11月号、加藤一二三九段の「わが激闘の譜 十段戦の挑戦者に」より。

 昭和43年は、私にとって記念すべき年であった。この年の4月から半年間、私はNHKテレビ将棋講座の講師を担当した。毎回ゲストを招いて進行したので、私は各界の将棋好きな人から、貴重な話を聞くことが出来た。好意的な気持ちで棋士を見守って下さっている方々に接するのは、たしかに大きな励ましとなる。

 またこの年は、週刊朝日でコンピュータ詰将棋の新企画がはじまり、私は原田九段と共にこれを担当した。日立製作所のコンピュータが、15手以内の詰将棋を解く事が出来るようになり、将棋愛好家とコンピュータの解き比べをしてもらった。この時もたくさんの方にお会いして、有益であった。

 実は私のコンピュータ将棋ソフトが、この度発売した「加藤一二三九段将棋」というタイトルである。サブタイトルは”心技流”とした。”直感精読流”も検討したが、製作会社「バリエ」の清水社長が心技流を選んだ。私の将棋ソフトも、実戦を楽しめる。私も度々対戦したのだが、中級の力は持っている。

 話を昭和43年にもどして、この年、長女の由紀が東京九段の白百合幼稚園に通う事になり、私は主に対局の日だけ送って行った。

 白百合幼稚園は将棋会館と同じ方面にあるので、通常より1時間ほど前に荻窪の家を出ればよかった。白百合幼稚園の教育方針で、私がすっかり覚えてしまったものがある。美しい良心、強い意志、正しい判断力である。たしかに美しい良心が必要で、これは努力していないと、いつのまにかおかしくなってしまう恐れがあり、強い意志も大切である。それから正しい判断力も重要である。イエズス様は聖書の中で、何が正しいか自分で判断しなさいと教えられているが、これも私の生涯の課題である。

 長女はその後白百合学園高校まで出て、二女の美紀も三女の百合も同じく白百合学園で学び卒業した。白百合学園は伝統的に音楽教育も盛んで、特に三女の百合は、原語でモーツァルトの「戴冠ミサ曲」を全曲歌えるように教えられた。また百合の宿題でモーツァルトが出たので、私も資料探しをしていて、名だたる大作曲家達がモーツァルトに最大の敬意を払っている事を知った。それから、百合達はモーツァルトのオペラ「イドメネーオ」やビゼーの「カルメン」等も習ったが、どちらも素晴らしいオペラである。百合がまだ高校生で「カルメン」の内一曲を練習していると聞いた時、私は何故学生で「カルメン」を?とちょっと思ったものだが、その後ビデオで「カルメン」を見て、深みのある名作である事を知った。

 音楽の星先生は、名作の数々を生徒に教えていたのである。

 音楽と言えば、私は読者から質問を受けた。

 それは第1回駒音コンサートで、私が山田耕作先生の「この道」を歌った時、どういう情景を思い浮かべて歌われたか?という内容であった。

 私はこのコンサートでかなり練習して舞台に立ったが、客席の方々が静かに聞いて下さったのは、大変嬉しかった。私はかつて聖地イスラエルに旅をして、菜の花が咲いている、ガラリア湖畔に立った事があり、そこはイエズス様が多勢の人々に教えをとかれた場所であった。私はその聖地をなつかしく思い出しながら「この道」を歌った。

 駒音コンサートで、素晴らしいオーケストラを伴奏に歌った事は、私にとって得難い経験となった。

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白百合学園は、シャルトル聖パウロ修道女会を母体とするカトリック系のミッションスクール。

白百合の花は、聖母マリアのシンボルであり、聖女ジャンヌダルクの御旗に記された聖なるマークであり、それが白百合学園の校章になっている。

東京以外にも、函館、盛岡、仙台、藤沢、箱根、八代に姉妹校がある。

山口恵梨子女流初段が白百合女子大学を卒業している。

白百合学園中学校・高等学校の出身者としては、松たか子さん、木村多江さん、森茉莉さん、大空真弓さんなどもいる。

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私の生まれた仙台にも白百合学園があり、非常に高い評価を得ていた。

そういうわけなので、白百合学園の校章は遠くから見てもわかるほどだった。

ちなみに、元・宝塚雪組トップスターの杜けあきさんが仙台白百合学園高校の出身。

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私にとっての初めての大学受験は飯田橋の東京理科大学だった。ホテルは水道橋。

水道橋から総武線に乗ると、セーラー服を着た幼稚園児だったか小学生低学年の2人の女の子が、当時大ヒットだった「およげ!たいやきくん」を車内で歌っていた。(非常に朝早く、他の乗客はほとんど乗っていなかった)

ああ、これが東京なんだな、と嬉しくなったが、校章を見ると白百合。

一人で東京に出てきてこれから初の受験という緊張の時、見覚えのある校章を見て、とても心が和んだ。

降りる駅も一緒だ。

そのおかげかどうかはわからないが、その日に受験した学科は合格することができた。

、、というか、その後、同じ大学の他の学科、地元の国立大学を受験したが、受かったのはこの日に受けた学科だけだった。

早朝の総武線、「およげ!たいやきくん」を歌っていた白百合の園児か小学生は、天使なのではなかったかと少しだけ思っている。