羽生善治名人(当時)「気持ちを高める時間だった。それが結果として9分35秒必要だったということでしょう」

将棋世界2001年6月号、NHKアナウンサーの村上信夫さんのエッセイ「9分35秒の実況中継」より。

 時間にして、9分35秒。その間、対局室には、息をするのも唾を飲むのも憚られるような空気が流れていた。

 平成9年の第55期名人戦は、平成の将棋界を代表する羽生・谷川二人の対戦だった。挑戦者の谷川浩司竜王(当時)は、このシリーズを制すれば永世名人の資格を得る。羽生・谷川のどちらが先に十七世名人を名乗るのか、世間の注目を集めていた。

 谷川竜王が、羽生善治名人(当時)をカド番に追い込んで迎えた第6局。羽生名人には、後がない。群馬県伊香保温泉の対局室には、地元のファンも入って、大一番が開始される瞬間を見守っていた。

 対局開始時刻の午前9時と同時に衛星放送も始まった。立ち会いの五十嵐豊一九段が対局の開始を告げた。

 だが、先手番の羽生名人は、膝の上で手を組み、目を閉じて俯いたまま微動だにしない。1分たっても2分たっても、いっこうに指す気配がない。初手が指されないと、対局室にいるファンの人たちも退出するきっかけがつかめない。取材陣もカメラのシャッターボタンに手をかけたまま、いかんともしがたい。そして、私はひたすら実況するしかない。初手が指されたところで、番組タイトルが出る手筈になっている。それまでは、実況描写して待つしかないのである。用意したコメントに加えて、目に映ることを実況しながら、羽生さんの手の動きから目を離さないようにしていた。

 羽生さんは、5分近くも姿勢を変えず、沈思黙考していた。「自分の気持ちを高ぶらせているのかもしれません」と私はコメントしたが、実際後で羽生さんに聞くと、「気持ちを高める時間だった。それが結果として9分35秒必要だったということでしょう」と、こともなげに答えてくれた。

「5分半たちました。目が開きました。指しません。まだ」と実況している私は、はじめのうちは、早く指してほしいと思っていたが、このままの状態がずっと続くなら、それはそれでいい。ずっと見守りながら、実況を続けようという気持ちに変わっていった。

 9時6分30秒。羽生さんが駒台に手をかけた。一瞬、飛車先を突いたのかと思った。

「まだです。まだ指しません」

 そして羽生さんは、唇を真一文字に結んだ。こめかみに手をやった。少しうなづいた。小さく息をはいて、吸った。

 谷川さんは、左右に視線を配りながら、盤面から目をそらしていた。谷川さんは、やはり「早く指してほしい。早くこの空気を変えたい」と考えていたそうだ。「作戦の決断を確認する時間だったのではないか」と分析している。「それにしてもあの雰囲気の中で初手をあれだけの時間かけて指すような芸当は自分には出来ない」とも言ってる。

 羽生さんが初手を指すまでの間、多くの人が、名人戦独特の空気を味わっていたに違いない。駒が動く前から始まっている戦いに酔いしれていたに違いない。

 ついに羽生さんの指が歩をつまんだ。「さぁ、やっと手が動きました。9時9分35秒。7六歩です!」私の実況も少し声高になった。

 長く長く感じた9分35秒だが、それは至福の時でもあった。ハラハラドキドキワクワクさせられる時間であった。

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 対局室の二人を見ているだけで絵になる。和服の着こなし、正座姿、駒を並べたりかたづけたりするしぐさ…。どれもが日本の様式美を伺わせる。

 対局に没頭すると、テレビカメラが自らを映しているなどという意識はなくなる。髪の毛をかきむしって考える姿、勝利を確信してお茶を飲む姿。勝敗をかけた男たちの姿は、見るものを釘付けにする。

 3月に生中継した『将棋界のいちばん長い日』宛に視聴者から届いた200通あまりのFAXの中に、「将棋のルールは知らないけど、対局姿に引き付けられて見ている」という人が何人かいた。こういう人を大切にしていきたいと思う。将棋を知らない人が見ても面白い将棋放送を心掛けたい。ハラハラドキドキワクワク、みんなで楽しめる将棋の放送を目指したい。

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スポーツで言えば重量挙げ、ハンマー投げ、走り高跳び、走り幅跳び、スキージャンプなどが、自分の中で気持ちを高めてからスタートできる競技。

とはいえ、これらは瞬発力あるいは短時間の中で力を発揮し尽くすための精神集中(神に祈っている場合もあるかもしれないが)であり、将棋で初手を指すまでの「気持ちを高める」とは性質が異なるものなのかもしれない。

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自分を振り返ってみると、果たしてこれまでに「気持ちを高める」ようなことをしたことがあったのだろうかと考えてしまう。

 

いろいろと思い出してみたが、気持ちを落ち着かせたり鎮めたりするようなことはあっても、気持ちを高めた事例がなかなか出てこない。

あるとしたら、カラオケで難しい曲を歌おうとする時に自分の気持ちを高めたことがあるくらい。

かなり冴えない。