2016年を振り返る(多く読まれた記事)

2016年、トップページ以外で多く読まれた記事TOP30。

  1. 村山聖八段(当時)の急逝が将棋連盟に伝えられた日
  2. 先崎学六段(当時)「彼が死ぬと思うから俺は書くんだ」
  3. 藤井猛九段「こっちは優秀かどうかで戦法を選んでない。指してて楽しいかどうかなんだから」
  4. 羽生善治五段(当時)「いえ、森内君の妹にはかないません」
  5. 森信雄六段(当時)「村山君よ、安らかに」
  6. 42人の棋士が語る故・村山聖九段
  7. 渡辺明五段(当時)「羽生さんにビールをついできたいのですが……」
  8. 1998年8月11日の羽生善治名人
  9. 河口俊彦六段(当時)「郷田君は、冗談じゃない、と真剣になった」
  10. 羽生善治五段(当時)「そんなこと怖くて言えません」
  11. 対局室内が一瞬で凍りついた出来事
  12. 谷川浩司名人(当時)「この男、将棋で負かした上に何の話があると言うのだろう」
  13. 森下卓八段(当時)「大地が生まれてきて、あまりに可愛いのに驚いた」
  14. 渡辺明竜王「私が考える新世代が羽生世代に押されている理由」
  15. 羽生善治四冠「彼は本物の将棋指しだった」
  16. 名人戦第2局の逆転劇とテレパシー
  17. 佐藤康光竜王(当時)「休み?休みなんか要るんですか。だって勉強は労働じゃないでしょう」
  18. 「私、森内の妹です」
  19. 羽生善治竜王(当時)「この急戦形の将棋は、駒を引いたら負けなのです。前進あるのみ、なのです」
  20. 故・米長邦雄永世棋聖は言っていない「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」
  21. 天野貴元さん逝去
  22. 羽生善治四冠(当時)「藤井システムを教わろうと思ってます」
  23. 先崎学六段(当時)「無神論者の僕だが、あの状態で、あれだけの将棋を指す奴を、将棋の神様が見捨てる訳がない。本心からそう思えてならなかった」
  24. 羽生善治名人「体力は森内君にかないませんよ」
  25. 渡辺竜王と藤井九段が驚いた、驚異の羽生マジック
  26. 羽生善治五冠(当時)と畠田理恵さんの出会い
  27. 丸山忠久九段の結婚
  28. 山崎隆之四段(当時)「ウソダロ、ナンデダヨ」
  29. 羽生善治王座の、控え室の誰もが思いもつかなかった恐ろしい着想
  30. 佐藤康光名人(当時)「私の将棋は全面的に彼に認められていなかったと思う」

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それでは皆様、よいお年を。

 

 

升田流

将棋世界2000年10月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。

 最近は見かけなくなったが、我々世代は若いうちに和服を着るのが、ちょっとした自己主張というか、流行だった。

 佐藤(義)八段、田丸八段、青野九段、飯野七段、鈴木(輝)七段等、皆、三、四段の頃によく着用していた。私も三段の頃から気に入って愛用したものである。

 正座でも胡座でも足元がゆったりして楽なのが和服の良いところ。

 はき物は下駄が多かった。どういうわけか将棋指しには下駄派が多く、師加藤治郎もそうであったし、原田泰夫九段は現在でも下駄で闊歩しておられる。

 私は升田ファンであったから、下駄党のヒゲの先生にならってそうした。

 升田に云わせると下駄の鼻緒を親指のつけ根でぐっと締める感じが、肚に力がこもってよろしいとのことである。

 下駄にまつわるこんな思い出がある。

 ある日、升田が夕方に対局を済ませ、数人と共に会館を後にした。

 私もそろそろ帰ろうかと玄関に行くと下駄がない、代わりに上等そうな下駄が置いてある。大先生無頓着だから私の安物の下駄を履いていってしまったのだ。

 あわてて事務局の人に行き先を尋ねると、近所の寿司屋へ行ったとのこと。

 急いで後を追い、息を切らせて店に入った。先生4、5人で談笑しておじゃる。

 うしろからおそるおそる近寄り、横に回って「先生、下駄を間違えておられませんか」と告げると、足元に目をやり「おっ、これは大変こんな安物で帰ったら女房の小言をくうところじゃった」と嬉しそうに笑い、さっさと履きかえて何事もなかったかのごとく、元の話に戻っている。

 少しは褒めてもらえるかと考えたのが大甘でこれが升田流なのである。

 四段になりたての頃、芹沢先生によく呑みに連れていってもらった。

 その日、新宿で呑んでいたのだが、芹沢がこれから中野の寿司屋へ行こうと云いだした。ひょっとするとこの時間なら升田が来ているかもしれないとのことである。芹沢もまた升田ファンであったのだ。その店は両先生の自宅に近く、行きつけの場所で、店主も将棋界とは縁のある御仁、安心して呑める店である。

 戸を開けると案の定、十人ほど坐れるカウンターの中ほどに、羽織袴の升田の姿がある。

 左隣の客と話しているというより演説している感じだ。

 芹沢が挨拶して升田の右側に坐り、その隣に私。

 大先生の普段の姿を見ることはないから、こちらは興味津々だ。

 話の中身は覚えていないが、噴き出しそうになったのは、升田はビールを呑んでいるのだが、その手元を見ると何と日本酒の猪口で呑んでいるではないか。

 そうして構わない人だから、ビールをだらだら膝元にこぼしっ放しなのだ。

 見かねた隣の客が、何度も拭いてあげるのだが我関せずといった風情で気にも留めない。

 この頃、ちびちびとしか酒をやれない体調だったのだろう。

 しばらくして独り語りで「さあ、迎えを呼ぼう」と低くつぶやき、電話をかけに席を立つ。升田の電話は単純明解、簡単明瞭、相手が電話口にでると「あぁ升田幸三」と云ったきり、数秒の間を置き素早く受話器を置いてしまった。

 升田の生態を知らない当方、あれで通じるのかいな、と呆気にとられてしまった。しかし案ずることはない。会話は立派に成り立っていた。10分ほどすると奥様が迎えにみえたのである。

 長年のつれ合いなればこその以心伝心の一幕であった。それにしても自分の妻に、「升田幸三」の一言だけとは、ナミではない。

 もっとも、升田の電話にはこの手のことがよくあるらしい。以下は土佐君の女房(私の妹)から聞いた話。

 升田は大変な碁キチで碁さえ打っていれば、機嫌がよかった。

 そこで、これも碁好きの土佐君には、時々誘いの電話が掛かったどうな。

 妹が電話口にでると「升田じゃが」と云ったきり、妹も心得ていてすぐに土佐君にバトンタッチしたそうだ。

 無駄な指し手を嫌った巨匠は、話も極端に切り詰めるのだ。

(以下略)

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「おっ、これは大変こんな安物で帰ったら女房の小言をくうところじゃった」と嬉しそうに笑ったら、100人中90人以上は次のセリフは「ご苦労。君も飲んでいくか」と思うだろう。

ところが、升田幸三九段(当時)は、さっさと下駄を履きかえて何事もなかったように元の話に戻る。

結構インパクトのある肩すかしだ。

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千駄ヶ谷の話も中野の話も寿司店。

升田幸三実力制第四代名人は寿司が好きだったのかなあ、と考えたところで思い出したのが、築地市場の場内にある「大和寿司」。

この店に「名人の上 升田幸三」という大きな置き駒が飾られている。

50年以上前、「大和寿司」の店主が築地市場将棋部のとりまとめ役をしていて、師範代は土居市太郎名誉名人。土居門下の大内延介少年も稽古でよく通っていたという。

そういう意味では、やはり升田幸三実力制第四代名人は寿司が好きだったという結論になりそうだ。

 

 

 

倉島竹二郎さん「欠点や弱みを衝かれて、反省するのは、ほんとうに偉い人で、ほとんどが、滅入り込んでしまったり、或いはカゼン敵意を抱いたりする」


近代将棋1973年3月号、町田進さんの「将棋夕話 倉島竹二郎氏の巻」より。

 夕暮れちかく、わたしたちは、海の見えるレストランで食事をした。ビーフステーキや西洋野菜をたべた。

 以前からきいてはいたが、倉島さんの健啖ぶりはみごとだった。運ばれた皿をとどこおりなくたべた。

 たべながら将棋界や棋士の話を倉島さんからきくことにしよう。

―現在の棋士はみんな小粒になって、サラリーマン化したなどという人もいます。将棋指しを棋士と呼ぶようになってから、どうもスケールが小さくなったという人もいますが、これは面白いですね。

「人間のスケールが小さくなったのは、将棋界に限ったことではないでしょうが、気骨のある人間が、各界を通じてだんだん減っていくのはさびしいですね」

―気骨という言葉が出ましたが、棋士を見渡して気骨のある人物がおりますか。

「さよう。一人だけあげれば亡くなった山田道美九段というところかな。生きていれば、真価を発揮したろうに」

―各棋士の短評を願いますか。

「内藤王位は頭が良くてさわやかだ。僕の好きな棋士の一人です。中原名人は洞察力があって、折にふれて敬服させられることが多い。加藤一二三八段は、孤独に堪えながらじっと自分に磨きをかけているようなところがある。米長八段は、才気が先行するが、、そのうち変わるだろう。二上八段は一日も早く連盟の役員なぞという俗事をやめて将棋一筋に帰ること。せっかくの才能が泣きます。大内八段は、好漢です。利巧な人です」

等々返ってくるのは、賞賛に近い言葉ばかり。欠点や短所はあるだろうに、そこを衝くのも愛情の表現ではなかろうか。

「ところが違うのだな。欠点や弱みを衝かれて、反省するのは、ほんとうに偉い人で、ほとんどが、滅入り込んでしまったり、或いはカゼン敵意を抱いたりする。敵意を持たれても、こちらの発言が、よりよく生かされるのなら、いっこうに構わないのだが、これまでの長い経験でそういうことは滅多にない。いうならば、欠点を衝く言葉は植物の若芽に対する氷霜のようなものだ。すこしオダテるぐらいに賞めて、そのために長所がすくすく伸びるなら、結構なことではなかろうか」

 三十有余年、盤側にいて、棋士を眺めつづけてきたこの人ならではの言葉である。

 窓外の海はとっぷり暮れて、潮騒がきこえてくる。わたしたちは、どれほど将棋界のことについて語れば足りるのであろうか。

「棋士の剪定師としてご活躍を願います」

とわたしは別れぎわに言った。

「剪定師ですって、なれるものならなりたいが、哀れが先に立って、切る枝もよう切れんようでは……」

 誠にいい言葉であった。

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故・倉島竹二郎さんは第1期名人戦以前から観戦記を書いていた名観戦記者。

その倉島さんであってさえも、棋士に忠告をすると……という話。

勝負師としての美点の裏返しの部分なのかもしれない。

ただ、これは40年以上前のこと。

 

 

将棋の虫

近代将棋2001年8月号、青野照市九段の「実戦!青野塾」より。

 今期A級へは、承知のとおり藤井猛竜王と三浦弘行新八段が昇級した。最近のB級1組は、前期にB級2組から昇級したばかりの若手が連続昇級することがほとんどだが、今回のように二人とも連続昇級というのは滅多にないことである。

 しかも二人は、西村一義九段門の同門で、さらに群馬県出身という同郷。B級1組の最終日の日には、群馬の地元紙が深夜遅くまで対局室に上がる入り口で待っていたが、さぞかし長時間待った甲斐があったろう。

 さてこの二人のうち、藤井は竜王位の3期目となり、かなり棋風や将棋観が知られてきたが、三浦のほうは、羽生の七冠独占を崩し棋聖位を奪取したことでは有名だが、その棋風や人間性などはあまり知られていない。

 それは彼が、ほとんど研究会などには入らず、一人で黙々と研究するタイプだということにもよる。したがって人となりは私など世代も違うからそうわかるわけはないが、将棋を見て、指して感じたことを書いてみようと思う。

「三浦将棋を探る」と言っても、私自身は彼と4局しか指していない。最初に1勝したのみである。

 初めての対局は、平成7年の王将戦だった。彼がまだ五段のときである。

 将棋は私は先番で、角換わりから珍しくも早繰り銀戦法となり、結果的には私の完勝となった。したがって将棋の内容からはあまり記憶に残るものはなかった。

 ところがその対局から2、3週間して将棋会館へ出向くと、3階の事務室で突然彼が私に声をかけてきた。

「この間の将棋、端を受けた手がちょっとおかしかったです」

 挨拶もせずに、いきなりこんな調子である。普通なら、何て失礼な男だと思うところだが、目を見るといたって真剣である。

 その瞬間、この男は本当に”将棋の虫”だなと感じ、逆に好意を覚えたから、我ながら不思議だったなという思いがいつまでも残っていた。

(以下略)

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三浦弘行九段にとって今年は、春にA級に1年で復帰して秋には竜王戦挑戦を決めるという快調な流れだったが、10月に入って、考えられないような濡れ衣を着せられることになる。

濡れ衣という言葉は生ぬるい。正確な用語の使い方ではないが、まさしく冤罪。憶測だけでマスコミなどから犯罪者並みの扱いを受けた。

一昨日(12月27日)の三浦弘行九段の会見を見て、本当に悔しかっただろうな、とにかく疑いが晴れて良かった、今までよく我慢してきた、と強く思った。

名誉回復や金銭的損失、機会損失の補償はこれから。

まだまだ大変なことが続くと思うが、一日も早く、三浦弘行九段が以前のように思う存分将棋に打ち込める日が来てほしい。

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このブログは集計してみると、三浦弘行九段に関連する記事が羽生世代の棋士に次いで多い。

微力ではあるが、三浦弘行九段がいかに素晴らしい棋士で、いかに魅力的な棋士か、今後も書いていくとともに、過去のブログ記事も活用しながら、このブログに来られた方にお伝えできればと思っている。

 

 

将棋というゲームを作り上げる世界コンテスト

将棋世界2001年6月号、内藤國雄九段の第19回全日本プロ将棋トーナメント決勝五番勝負〔谷川浩司九段-森内俊之八段〕第2局観戦記「終盤の波乱」より。

 専門誌の売上、テレビの視聴率、クラブの来客数、いずれも芳しくなく将棋人口は減少しているのではないか。こういう危惧を語ると「いろいろ波はあっても、将棋は絶対に大丈夫です」と太鼓判を押してくれる人がいる。その人は井沢元彦著「逆説の日本史」に述べられている論説を読んでその意を強くしたという。

 これによると、世界中にチェスを含め将棋はたくさんあるが、源は一つ。

 これは源であるゲームをどのようによりよく作り替え、作り上げていくかというコンテストが世界中で行われた結果とみて差し支えない。そのなかで日本の将棋が断然世界一であるということを井沢氏はいろいろな判定基準を元に力説されている。我々プロ棋士は先人の知恵に感謝するとともに、世界一優れたゲームに携わっているという誇りを持ってこれからも歩んでいくべきだと改めて思ったことである。

(以下略)

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「源であるゲームをどのようによりよく作り替え、作り上げていくかというコンテストが世界中で行われた結果」という視点は非常に斬新だと思う。

源であるゲームとは、インド古代のチャトランガ。

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オムライス、トンカツ、カツカレー、焼き餃子、エビフライ、スパゲティナポリタン、ハヤシライスなど、海外の似た料理を日本流に作り替え、素晴らしいものにしているケースも数多い。

料理といえばタイトル戦昼食予想、今期の竜王戦では第1局から第7局まで全く記事を書きませんでしたが、来年1月の王将戦から復活します。

今期の竜王戦の昼食予想記事を書かなかった理由は、書こうというモチベーションが全く起きなかったから、ただそれだけです。

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