木村一基七段(当時)の究極の玉捌き

将棋世界2002年12月号、木村一基六段(当時)の第33回新人王戦決勝三番勝負第3局自戦記「嬉しい初優勝」より。

 かなり満足できる成績だった前期に比べ、今期は散々である。その中で、この新人王戦だけ、唯一決勝に残ることができた。

 ベスト8の顔ぶれを見ると、一番新人は奨励会の佐藤和俊君で、後は中堅ばかり。

 この棋戦、去年は松尾歩五段に2連敗してしまった。松尾君にはその後王位リーグでも負け、5月から始めた研究会でもほとんど勝てない。どうやら彼は私のことをカモと思っているようである。

 そんなこともあって今期は1回は勝ちたかった。相手は鈴木大介七段。ひとつ年下ながら、いつも私の前を歩んでいる。奨励会員の後輩を、いつも食事に誘っている。人望が厚く、明るく楽しいいイイ男だ。

 さて第1局、後手番ながら急戦で行ったのだがこれが全く上手くいかなかった。鈴木七段も間違えて勝負形にはなったのだが、その流れをつかむことができなかった。

(中略)

 第2局、意地でも急戦で行く予定だったが気分が変わって穴熊にした。作戦勝ちとは思ったが具体的に仕掛ける順が分からず、かなり苦心した。

 B図、ここから▲4五桂とタダの所に跳ねたのが好判断で、以下攻めがつながった。上手く指せた一局だったように思う。

 やっと1勝することができた、とりあえず良かった。そう思いながら帰ったのを覚えている。

(中略)

 さて第3局。1局勝てたから満足です、とはならない。当然次も勝ちたい。

 このシリーズ、1局はゴキゲン中飛車になるだろう、と思った。鈴木七段がこれで高勝率をあげているからである。だから対戦が決まった時から、ゴキゲン対策も考えていた。

1図以下の指し手
△6二玉▲6八玉△5四飛▲3六歩△5六歩▲6六歩△5五角(2図)

 ゴキゲン中飛車は途中必ず△3五歩と突き、△5四飛から△2四飛と強く戦うのが特徴である。▲2六飛(1図)はその牽制で、△3五歩に▲3六歩△同歩▲同飛△5四飛▲3七桂(変化1図)となれば後手の金銀が動きづらく先手よし、が狙いだった。数年前の藤井-鈴木大の竜王戦で確か似た局面があったと思う。

 ところが△5四飛~△5六歩。これは▲6六歩で、以下△5七歩成には▲同銀。先手良し。以下木村圧勝。

 そう思っていたら△5五角。むむむ。

2図以下の指し手
▲3七桂△5七歩成▲同金△5六歩▲6七金△3三桂▲2九飛△3五歩▲同歩△4四角▲5八玉△3五角(3図)

 △5五角なんて、こんな縁台将棋のような手はあるまい、と思っていたが、考えているうちに酷くなっていることに気付いた。途中△5六歩を利かされるのを(▲同金は△3七角成~△5六飛)うっかりしていた。

 とんでもないことをした…▲2九飛は△4五桂の防ぎ。

 一方、△3五歩~△4四角と鈴木七段の指し手は冴える。

 自分の軽率さに対する後悔ばかり。次に△3五角から中央を突破されては終わりなので、先に▲5八玉とかわしておく。

3図以下の指し手
▲3六歩△2四角▲6五歩△1四歩▲6八銀△7二玉▲6四歩△同歩▲5五歩△4四飛▲5六金△3五歩▲同歩△3六歩▲2五桂△1五角▲1六歩△4八角成▲同玉△3七銀▲5七玉△3八銀不成(4図)

 このシリーズが始まるに当たって、私は2つのことに注意しようと思った。

  1. 鈴木七段の指し手につられないように、慎重に指す。
  2. 序盤で悪くならないようにする。

 慎重に指すには指したが、慎重すぎで持ち時間に2時間も差がついてしまった。序盤の形勢については策士策に溺れる、でご覧の通り。この形勢では最善手を指しても必敗なのがつらい。

 △2四角は好手。▲2五歩と打ちたいがそれは△5七歩成。▲同銀は△1五角。桂取りを何で受けても△3七角成~△4五桂でつぶれる。▲同金は△同角成~△5六歩でやはりつぶれてしまう。

 普通に指していては勝ち目がないので、▲6五歩から▲6四歩と捨てて相手玉を気持ち悪くしておく。

 鈴木七段は終局後、途中の△6四同歩を「△同飛だった」と何度も悔やんだ。ところが本当に悪かったのは△4八角成で、ここは△3七角成とすべきだった。

 以下▲同銀△同歩成▲4六歩△4七銀▲6七玉△5六銀成▲同玉△6五金▲6七玉△4六飛(変化2図)のほうが良かった、というのが感想戦での結論である。

 4図、ぴったりの手があった。

4図以下の指し手
▲6七玉△2五桂▲5四歩△4七飛成▲5七金△3七竜▲5九飛△5六歩▲同玉△6五桂▲6七金△4七銀不成▲6六玉△4六竜▲7五玉(5図)

 飛車が逃げると△4七飛成▲6六玉△2五桂で次に△7四桂が厳しい。

 ▲6七玉が好手。これで難しくなったと思った。

 △2九銀成で銀損になるが、それは▲3三桂成△同金▲5四歩で勝負。次の△5三歩成が敵玉に響く。

 鈴木七段が考え出した。時々「そうだったか」と呟く。

 長考した後、△2五桂。飛車が取れないようではおかしい。続く△5六歩も単に△6五桂▲5三歩成△5七桂成▲同銀△4七銀成と絡まれた方が嫌だった。

 ▲6六玉となっては切れ模様になってしまった。完全に逆転。ここから勝ちを意識した。

5図以下の指し手
△4八銀不成▲5六飛△同竜▲同金△5七桂成▲5三歩成△5六成桂▲4五角△8二玉▲5六角△4六飛▲6七角△7四歩▲6四玉△4七飛成▲5八金△4六竜▲4五飛△3七銀不成▲4七歩△4五竜▲同角△7二銀(6図)

 こちらの玉は裸のまま酔っ払ったように中段をさまよっている。とても不安である。

 苦しくなった鈴木七段は飛車を交換して△5七桂成。清算すると△6五飛と打たれていけないのでじっと▲5三歩成とした。途中▲6四玉も怖い手だが、後手の陣形の低さ、それから5三との存在が大きく、大丈夫である。以下▲4五飛、▲4七歩と丁寧に受ける。

 優勢になった局面でまず決めることは、勝った時のコメントとか賞金の使い道とかではなく、受け切って勝つか、競り合って勝つか、方針をはっきりさせることである。

 受け切る、と方針をはっきりさせたら、徹底して受ける。これが曖昧だと、いつの間にか受け損ねて逆転されやすい。

6図以下の指し手
▲6五桂△9二玉▲6三と△同銀▲同角成△6二歩▲7二飛△同金▲同馬△6三飛▲同馬△同歩▲同玉△8二飛▲7三金△同桂▲同桂成△8一金▲5五角(投了図)  
 まで、113手で木村の勝ち

 ▲6五桂~▲6三ととなってようやく後手玉も危なくなってきた。▲6三同玉も危険なようだが一番わかりやすい。

 20時30分、鈴木七段が投了。投了図、後手玉は詰めろ。受けはあるが、先手玉は捕まらない。

 新人王。誰しもが違和感を抱きそうな称号。私も全くピンとこないが、やはり嬉しい。

 内容は良くなかったけれど、これをいいきっかけに、また精進していきたいと思う。

 

 先日、弟分である飯島栄治君(仮名)と会った。

「先生(彼はそう呼ぶ)、おめでとうございます」

「ありがと」

「第3局の日、僕は外出していて、夜に見に行くつもりだったんです」

「ほう」

「行く途中に後輩の奨励会員に電話で形勢を聞いたんです、そうしたら何て言ったと思います?」

「わかんないなあ」

「ふけたほう、ですって、イヒヒ」

「……」

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鈴木大介六段(当時)がこの対局の2年前に将棋世界の連載「鈴木大介の振り飛車日記」で次のように書いている。

不思議なことに奨励会の頃から木村五段の玉は堅ければ堅いほど寄せやすく、逆に薄ければ薄いほど寄せづらい玉で、特に玉を裸にしてしまったら目が爛々と輝くのだから玉を堅める党の僕には理解出来ない所があった。

木村一基五段(当時)「世界一投げっぷりが悪く、相手は誰だろうと盤上では信用しない」

この、木村一基六段(当時)の会心の一局は、まさにそのような展開だ。

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私には4図は振り飛車側必勝の局面に見えてしまうのだが、それを受け切って優勢にしてしまうのだから、「千駄ヶ谷の受け師」の面目躍如である。

木村六段の玉捌きが非常に印象的だ。

玉が動いた手だけを抽出すると、▲6八玉▲5八玉▲4八同玉▲5七玉▲6七玉▲5六同玉▲6六玉▲7五玉▲6四玉▲6三同玉。

同じ場所には一度として戻っていない。常に新しい場所を動き続けている。

絶妙を飛び越えて、究極という形容詞を使いたくなるほどの玉の動きだ。

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最後の奨励会員の「ふけたほう」。

これは飯島栄治四段(当時)が電話で「どっちが優勢?」という聞き方をしたのだと思われる。