森内俊之新名人誕生お祝いメッセージ(後編)

将棋世界2002年8月号、森内俊之新名人大特集「森内名人お祝いメッセージ」より。

五段 野月浩貴

 森内さん、名人獲得ならびに婚約おめでとうございます。

 弟弟子として、こんなに誇らしいことはありません。
 森内さんの究極なまでに勝ちにこだわる姿勢、勝負の哲学に、いつも尊敬の念を抱くと共に、自分も身に付けたいと憧れていました。
 森内宅での木村、佐藤(紳)との研究会は、みな忙しくなかなか開催されませんが、なるべく時間を取っていただいて、またいろいろと教えてください。
 ただ、突然の婚約には驚きました。森内宅の様子から、木村と「女性の匂いがしないね」といつも話をしていたので…。さすがです。お幸せに。
 今後も勝浦一門の発展のため、力を合わせてがんばっていければと思います。

 

女流名人・倉敷藤花 中井広恵

 1歳年下の森内くんとは、同じ年の小学生名人戦(昭和56年)に一緒に出たりしました。また主人(植山悦行六段)も奨励会時代の森内くんに、将棋を指したり食事をごちそうしてあげたそうです。そんなわけで昔から森内くんとは縁があり、15年ぐらい前から私たちの家によく遊びにくるようになりました。
 親しい仲間と一緒に森内くんと会うときは、トランプで遊んだりお酒を飲みながらわいわい騒ぎます。彼には気を使わないですむので、付き合いやすいですね。お酒もかなり強いですよ。
 10年前に森内くん、郷田くん(真隆棋聖)、久美ちゃん(山田女流三段)たちとイタリアへ海外旅行したこともあります。また森内くんは北海道の食べ物が気に入ったのか、私の郷里の稚内に何度も遊びにきました。
 今回の名人戦の結果は、私の弟弟子から獲ったので複雑な気持ちです。でも森内くんがタイトルを獲るのを周りも待ち望んでいたので、良かったと思います。

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女性の影がある部屋かどうか。

男性が男性の部屋を観察しても、意外と真実はつかめないものだ。

地方に住んでいる母親が、東京で一人で暮らしている息子の部屋を掃除して、息子の髪の毛とは思えない1本の長い髪の毛を絨毯から発見する、このようなケースこそが、女性の影を見破られる典型例であろう。絨毯の中にヘアピンが1本だけ落ちていることだってある。

母親が来る前に掃除をしたつもりでも、このような痕跡はどうしても残ってしまうものだ。

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若い頃の森内俊之九段が、植山悦行七段・中井広恵女流六段の家に遊びに行ったときの記録は多く残されている。

若手棋士が遊びに行った家

「今、森内がウチに来てるんだよ。後から康光も来て、明日になれば郷ちゃんも来るんだけど」

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「10年前に森内くん、郷田くん(真隆棋聖)、久美ちゃん(山田女流三段)たちとイタリアへ海外旅行したこともあります」

この時の写真が、林葉直子さんのブログに載っている。

イケメン!?ツーショット(林葉直子オフィシャルブログ「最後の食卓」)

この写真は、森内ファン、郷田ファンの方にとっては国宝級だと思う。

 

 

中野隆義さん逝去

元・近代将棋編集長で将棋ペンクラブ幹事の中野隆義さんが5月29日に亡くなられた。享年65歳。

旅行で行っていた鬼怒川温泉で入浴中に起きた心疾患が原因だったという。

5月21日の将棋ペンクラブ交流会にも元気に顔を出されていただけに、急な知らせに大きな衝撃を受けている。

中野隆義さんは立教大学を卒業してから近代将棋に入社。その後、日本将棋連盟将棋世界編集部、書籍課を経て、1997年に近代将棋へ戻り編集長を務めた。

お通夜は6月1日(木)18時から、葬儀は6月2日(金)9時から、千代田赤羽駅南口ホール(東京都北区赤羽南2-9-78 JR赤羽駅南口改札より徒歩8分)で行われる。

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温厚で優しく誰からも愛された中野さん。

呆然としながら手にした昔の近代将棋で、中野さんらしいなあ、と思える文章があった。

近代将棋2005年2月号、中野隆義編集長(当時)の巻頭随筆「乗ってみる」より。

 手に乗る、という技が将棋にはあります。

 相手の読み筋にそのまま乗っかって指し進めるのは、言いなりになるということでもありますから、とても勝利はおぼつかないと思えそうですが、そうとも限らないところがあるのです。

 旅行先の居酒屋にフト立ち寄って呑んでいたときに、えらく気風の良い呑みっぷりの方にあいました。お尋ねしたわけでもないのに「私は今年六十歳」とおっしゃいます。四十そこそこにしか見えなかったので、その若々しさにまずびっくり。

 昼間、精一杯生きているのだから、夜は呑まなきゃ。そうすれば明日またがんばれる。と言って焼酎をがんがん飲んでいました。

 神輿を上げる段になって「私はこれからカラオケのある呑み屋さんに行く。一緒に行きましょう」と声をかけられました。思わず腰が浮きかけたのですが、私と同行した者が、行っちゃダメという目をして服の裾を引っ張ります。

「旅行者をカモにして、ぼったくるところがあるんだから気をつけなきゃ」と、帰り道に教えられました。でも、私としては、悪い人には見えなかったし、かりにぼったくられても、もともとそんなに持ってないからいいかな、くらいに思っていました。

 また、彼の地を訪ねたいと思っています。

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「近代将棋や永井英明さんに何かあった時には、いの一番に駆けつける」と昔から言っていた中野さん。それが1997年に近代将棋へ戻ることにつながるのだが、今頃、中野さんは天国で永井英明さんに挨拶をしに行っているだろうなと思えてならない。

「中野さん、よく来てくれました。こちらの世界では近代将棋の部数が伸びていて、中野さんが来てくれるのならこれで鬼に金棒です」と永井さん。

「中野、来たか。うまい鮒寿司食わせやるからな。行くぞ」と団鬼六さん。

「中野さん、あなたちょっとこっち来るの早かったんじゃない。まあ、そこ座んなさいよ」と言って中野さんを麻雀卓に引き込む大山康晴十五世名人。

「おっ、ゲのゲの鬼太郎、来たか。また、碁を教えてやるぞ」と芹沢博文九段。

中野さんの、天国でのこのような光景を想像してしまう。

中野さん、これまでありがとうございました。

本当にありがとうございました。

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〔中野さんが書かれた観戦記の一部〕

郷田真隆八段(当時)「これ、お借りしていいですか」

郷田流と羽生流の真っ向からの激突

絶体絶命の局面で繰り出された羽生マジック

羽生善治王座の、控え室の誰もが思いもつかなかった恐ろしい着想

佐藤康光前竜王「すみません。その水筒の水、少し飲ませて下さい。起きてから何も口にしていないもので」

先崎学六段(当時)が柄シャツにチノパンで臨んだ対局

無頼派の秋

 

 

森内俊之新名人誕生お祝いメッセージ(前編)

将棋世界2002年8月号、森内俊之新名人大特集「森内名人お祝いメッセージ」より。

竜王 羽生善治
 森内さんの地力と実力は以前から定評があったので、いつか必ずタイトルを獲ると思っていました。今年の名人戦で4連勝ストレート勝ちは意外な結果でしたが、名人を獲ったことについてはそんなに驚いていません。森内さんはA級順位戦でいつも抜群の成績でしたから、名人にはなるべくしてなったと思っています。

棋聖 郷田真隆
 A級順位戦も8勝1敗の成績で、内容もよかったですから今回の名人戦は挑戦者有望だと思っていました。
丸山さんも調子が悪かったと思いますが、森内さんが持てる力を存分に発揮したと思います。
シリーズ通して内容もよかったですし、それに加え4連勝で名人位を獲得したことが素晴らしいと思います。敬意を表したい。自分も森内さんに負けないよう頑張っていきたいと思います。

永世棋聖 米長邦雄
 森内新名人が誕生した。おめでとう。今期の名人戦は丸山忠久名人が防衛しても、挑戦者の森内俊之八段が奪取しても、どちらも自然ではある。
 両者の年代は羽生善治竜王を筆頭として、十名程強すぎるのが揃い過ぎている。
 私は十年程前に「あと十年後にはタイトル保持者は三十歳くらいの者で占められているだろう」と予測を述べたことがある。
 もちろん年齢が上の者にも頑張ってもらわなければ困るが、それよりも年下の若者の奮起を切に望みたい。
 森内俊之の無冠。これは七不思議のひとつでもあった。ほとんどの同世代の者はタイトルを獲ったが、森下と森内の二人だけは縁がないままである。だから今回彼が名人位に就いても誰も意外には思わない。
 森内新名人の祖父である京須先生は、趣味は相撲とピアノであった。彼の立派な体躯は京須先生譲りのものであろう。
「強情で素直」この相反する両面を持ち合わせているのはトッププロに共通することだが、それはバランスよく内面においても、他に対しても接する時が花の時だ。
 ともすれば、強情は頑迷になりやすく、素直は付和雷同にやりやすい。
 このバランスを崩さない限りは、これからも名人位を死守し続けてもおかしくない。
 気負うことなく更なる精進を続けて欲しいものだ。

(中略)

八段 三浦弘行
 私だけでなく戦前は接戦になると思われていた方が多かったと思います。特に名人戦は4年連続フルセットだったので、持ち時間が多い2日制では、やはり先手が勝つシリーズになりやすいのではと考えていました。
 森内新名人にとっては、第2局で丸山前名人得意の角換わりを破ったのが大きかったと思います。もちろん、第3局のトン死がなければどういう流れになったかは分かりませんが、全体として森内新名人が後手番をも苦にされず、余裕をもって戦えた印象が強かったです。

(中略)

観戦記者 田辺忠幸
 森内俊之新名人の誕生は、将棋界を球面体に例えれば、一部欠損していた表面が補われて、満ち足りた姿に近づいたような感じがしている。
 森内将棋を”鉄板流”と称する向きもあるが、ご本人は不満らしい。鉄板は意外にもろく、さびやすい。鍛えの入った粘り強い”鋼鉄流”がふさわしい。
 50年以上も前に名人の祖父、京須行男先生の非公式将棋を見物し、記録した覚えがある。その棋譜を新名人に提供しようと家捜しをしているところだ。

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森内俊之九段が初めて名人位を獲得したのが今から15年前。

15年前を相当前と感じるかそれほど前でもないと感じるかは人によって異なるが、15年間で森内九段が7期(通算8期)名人であったことは密度で考えても凄いことだ。

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田辺忠幸さんの「将棋界を球面体に例えれば、一部欠損していた表面が補われて、満ち足りた姿に近づいたような感じがしている」が絶妙な表現。

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それまで「無冠の帝王」と呼ばれていた森内九段。

名人に定跡なし

「森内俊之の無冠。これは七不思議のひとつでもあった」

将棋界七不思議というものがあるのだろうか。

あるとしたら、他の七不思議とは違って、時代時代で変わっていくものなのだろう。

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Wikipediaによると、現代の七不思議は、

中国の万里の長城
インドの廟堂タージ・マハル
イタリア・ローマの古代競技場コロッセオ
ヨルダンの古代都市遺跡群ペトラ
ブラジル・リオ・デ・ジャネイロのコルコバードのキリスト像
ペルーのインカ帝国遺跡マチュ・ピチュ
メキシコのマヤ遺跡チチェン・イッツァ

であるという。

七不思議というと、私などはどうしても怪談的な七不思議を期待してしまうのだが、なかなか世の中はそうは行ってくれない。

 

 

古来からの定説を覆した急戦早石田定跡

将棋世界1982年10月号、塚田泰明四段(当時)の「定跡研究室(塚田泰明四段-中村修五段)」より。

初手からの指し手
▲7六歩△3四歩▲2六歩△3五歩▲2五歩△3二飛▲4八銀△3六歩▲同歩△8八角成▲同銀△5五角▲3七銀△3六飛▲7七角(指定局面図)

 そもそもこの企画のねらいは定跡の定説が本当かどうかを実証するためのものだったはずである。しかしこの指定局面、本当に先手有利と言われているのだろうか。

 このことは後で詳しく述べたいと思う。

 対局前に中村五段より指定局面の▲7七角を▲4六角(参考1図)に変えてくれないか、という提案があった。

 ▲4六角に対する応手は3つある。

①△3七飛成▲5五角で、これは▲7七角と打った変化と同一になる。

②△4六同飛▲同銀△9五角▲8六飛(あるいは▲7七飛)△3三角で、これは一局。

③△4六同角▲同銀△1五角。この変化をやってみたかったと中村五段は言っていた。以下▲3七歩△2六飛▲同飛△同角▲2八飛△4四角▲6五角△3二銀▲8三角成の時に、何と△2七飛と捨て(参考2図)▲同飛△8八角成(参考2図)という順があるというのである。

 これは互角、あるいは後手有利かもしれない。先手は桂香を取られる前に動かなければならないが、後手の陣形が低いので手が作りにくい感じだからだ。これらの変化を消しているのが指定局面の▲7七角で、▲4六角よりも優れていると思う。

 さて▲7七角に対する後手の応手は2つ。△7七同角成と本譜の△3七飛成である。

 △7七同角成は、▲同銀△3七飛成▲同桂△3六歩▲3八歩△3七歩成▲同歩(参考3図)となるが、これは先手有利。飛と銀桂の2枚替えだが、後手は歩切れと居玉が痛い。

 例えば参考3図から、△3三桂▲6八玉△4五桂▲4六歩△3七桂成と攻めても、▲1五角で素抜かれてしまう。

 というわけで、指定局面では△3七飛成が最善なのである。

昭和57年8月5日 於将棋会館
(持ち時間各60分)
▲四段 塚田泰明
△五段 中村修

指定局面図以下の指し手
△3七飛成▲5五角△2八竜▲同角△2七飛▲3八金△2五飛成(1図)

 やはり中村五段は△3七飛成ときた。対して▲5五角以下は定跡化された手順。

 1図まで当然の進行のようだが、△2五飛成で△2六飛成(参考4図)という手も有力だった。

 次の△3七歩▲同桂△2七銀が厳しい。これに対し先手は▲1六歩と突き、△3七歩▲同桂△2七銀▲1七角△同竜▲同香△3八銀成▲4五桂と反撃するか、▲7七銀△3七歩▲同桂△2七銀▲同金△同竜▲2九銀と辛抱するか。

 いずれにしても簡単には優劣のつけられない将棋になる。

 このあたりからも、先手有利とは言いにくいことがお分かりいただけると思う。

 さて1図。ここでやってみたい一手があるのだが…。

1図以下の指し手
▲2七歩(2図)

 僕は▲2七歩と打った。別に深く研究したわけではないのだが、定跡の▲1六角よりはハッキリ優れていると思い指した。

 ▲1六角の変化だが、以下△3五竜▲4六角△4四竜▲7七銀(参考5図)となり先手有利というのが定跡の結論である。

 この手順は『新鬼殺し戦法、米長邦雄棋王著』より引用させていただいたが、この中で米長棋王は「私の考えでは、参考5図はまったく互角と思う。後手不利とは考えられない。先手やや良しとする根拠は、角銀交換の駒得を重く見てのことだろうが、角はすでに手放しており、この生角をこれからうまく働かせるのは難しい。反して後手は銀は手駒に持っている。この損得は一概に後手不利とばかりは言えないだろう」と述べている。

 そして一つの例として、参考5図以下△3二銀▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二玉▲6八金△1四歩▲9六歩△1五歩▲2七角△2六銀▲1八角△1六歩▲同歩△1七歩▲同桂△1六香(参考6図)で後手良し。

 まあ、こうはならないと思うが、それにしても2枚の角は確かに働きが悪い。▲2七歩は収まれば角を手駒にしている分ハッキリ得というわけで、勝負手だった。

2図以下の指し手
△3六竜▲3七金△7六竜▲6八玉△3二金▲1六歩△4二銀▲9六歩(3図)

 ▲2七歩の弱点は歩切れになる所である。そこを中村さんは機敏に△3六竜と動いてきた。対して▲3七金は僕らしい手だが、どうだったか。

 しかし、▲3七角では将来△3三桂と跳ねられた時にどう受けるか難しい。本筋は▲4八玉△7六竜▲6八金という感じだが、対局中は自玉は左へ行くものと思い込んでいたので、▲4八玉はあまり考えなかった。

 △7六竜は当然のように見えたが、この手は疑問手だと思う。

 ここは△3二竜(参考7図)と引きたい。

 参考7図から、後手は7二まで玉を移動して、3一の銀を4四まで持っていくような構想で戦えばいいのである。

 それに反して、先手は常に△3八銀の筋を気にしなければならないし。2八の角の働きも悪い。飛角の持ち駒もさしあたって使う場所もないし、こう指されていたらハッキリ苦しかったのではないかと思う。本譜は一時的にせよ竜が3筋から離れ、▲6八玉の余裕を得て少々ホッとした。

(中略)

(中略)

 この一局から自分なりに結論を出したいと思う。指定局面は互角と見たい。従って従来の定跡の結論である「先手有利」は否定したい。

 本局は勝つには勝ったが、先手は模様のとり方が難しく、対して後手は楽に駒組みを進められるという印象が残った。

 最近の公式戦では早石田はたまに見かけるが、本局のような急戦早石田は見たことがない。それは指定局面までの手順に問題があるからなのである。

 9手目、先手の▲3六同歩では▲3八金の方が普通。以下△3七歩成▲同銀となり後手の指しすぎがハッキリする。

 それで後手は△3六歩と突かず△6二玉と上がり一局の将棋になる。

(以下略)

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急戦早石田という呼び方が少し不思議な感じがするが、厳密に考えると、早石田の超急戦の展開なので、とても正確な呼び方だということがわかる。

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指定局面図は有名な局面だが、昔の定跡書では参考5図で先手良しとして解説は打ち切られていた。

参考5図をあらためて互角と結論づけ、それ以外の変化、新手も網羅されているので、非常に貴重な講座と言えるだろう。

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個人的には参考7図の展開にできれば早石田側が大満足だと思う。

今度試してみようかな、と一瞬思ったが、最後に書かれている通り、9手目、▲3六同歩ではなく▲3八金と対応されると早石田側が良くないので、やはり、指すことは難しそうだ。

先手早石田なら(▲4八玉と一手かけている)、▲7四歩△7二金に、その後の早石田側の対策は『菅井ノート』に書かれているようだ。

今度読んでみよう。

 

 

 

森雞二棋聖(当時)「あれ、ぼくのファンじゃないんですよ。ボーイフレンドに頼まれて”自分の身体”を差し出したんですよ」

将棋世界1982年10月号、能智映さんの「棋士の楽しみ」より。

 これはいつだったか。札幌での王位戦のときだった。いつもの通り子供たちが集まって対局者の米長や中原に色紙をおねだりする。気のやさしい中原は、さしせまる時間をさいて、さっさっさ、と「無心」と書く、いつも「色紙は筆でなくてはね」といっているのだが、このときは筆ペンで間に合わせていた。

 そこへ米長、ツンとした顔で現れた。子供たちがワッと寄る。米長は「フン」と澄ました顔で筆を走らせた。

「無心」―その子の不満はもろに出てきた。

「いま、中原先生にお願いしたら『無心』と書いてくださいました。それなのに、また『無心』ではいやです」

 もっともな抗議だが、わざとそんないたずらをした米長にだって、屁理屈がないわけではない。口をとがらせていったものだ。

「いままで、何万枚と色紙を書いてきたけど、いちゃもんをつけられたのは初めてだよ」

 いまのところ、米長はいつも中原の下にいる。すげえ話がある。

 城崎温泉での対局の帰りだった。中原、米長の両対局者はじめ、一行は城崎の駅で汽車を待っていた。すると、客待ちをしていたタクシーの運ちゃん(こう呼ばせてください)が中原を見つけて近づいてきた。筋肉隆々で、一見怖そうな人。一瞬だじろいだのだが、意外と言葉はやわらかだ。

「あのう、すみませんがサインしていただきたいんですが―。でも、あいにく持ち合わせの紙がないんで―。そうだ、シャツの背中に書いてください!」

 これには中原も苦笑したが、例のいたずらっ気を出して「無心」としたためた。

 ところが、満足して去って行きそうな運ちゃんを見て、米長がひと言声をかけた。

「ちょっと待ってよ。オレは米長。オレにも一筆書かせてほしいね」

 あとにいった言葉が素晴らしい。

「ズボンをぬいでください。パンツにサインしますから」やっぱり、米長は下専門なのであろうか。

 これに似た話はけっこうある。森雞二棋聖の新幹線の中でシャツに「サインして!」と頼まれた。しかも、こっちはウラ若き女性である。早速「一手入魂」と書いた。

「身体の前に書きたかったけど、デコボコしていて(?)書きにくそうだったので、背中に書きましたよ。でもねえ」というあとの言葉がおかしい。「あれ、ぼくのファンじゃあないんですよ。ボーイフレンドに頼まれて”自分の身体”を差し出したんですよ。汽車のトイレかどっかで二人で着替えちゃうなんてことを考えるといやんなっちゃいますよね」―ようくわかる話だ。

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「ボーイフレンドに頼まれて”自分の身体”を差し出したんですよ」という表現が絶妙に面白い。

もっとも、女性が着るシャツに「一手入魂」はゴツゴツしすぎるので、森雞二棋聖(当時)も書いている時には男性の手に渡るものだとわかっていたのだろう。

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私がこの3月から大ファンになっていたロジャー・ムーアが、スイスの療養先で5月23日(現地時間)にガンで亡くなった。享年89歳。

あまりに急なこと(twitterもFacebookも最近まで更新されていた)だったので、悲しく非常に寂しい気分になっている。

亡くなる2ヵ月前に駆け込みで大ファンになることができたのだから、大いに縁があったのだと思いたい。

twitterで引用として流れてきたtweetに、ロジャー・ムーアの感動的なエピソードが書かれていた。

(この下のtweetをクリックして、中ほどの左側にある文章をクリックすると訳文を読むことができます。次ページは右側にある>をクリックしてください)

サインにまつわる話であるが、心が揺さぶられるようなエピソードだ。

少年の時の夢のような出来事が時空を超えてよみがえる。

ブロフェルドは、007の最大の宿敵、世界規模の犯罪組織「スペクター」の首領。