大内延介九段が、6月23日、亡くなられた。享年75歳。
7月17日(月・祝)に、大内延介九段一門の主催で「お別れの会」が行われる。
→大内延介九段 訃報ならびに「お別れの会」のお知らせ(日本将棋連盟)
→訃報 大内延介さん75歳=将棋棋士九段、怒濤流の棋風(毎日新聞)
——————
将棋世界1980年11月号、「メモ帖」より。
イレブンで将棋教室
3年前に「巨泉流飛落定跡(日刊ゲンダイ刊)」を著したことがある大橋巨泉四段が、いよいよ11PM(イレブン・ピーエム)で将棋実戦教室をひらく。
友人の大内延介八段と飛車落を対戦し、毎回”次の一手”を当てるハガキを募集するという。10月下旬の金曜日から放映の予定。
録画撮りをする日本テレビのスタジオ内は、10数人のスタッフがいるのに静々寂々。巨泉氏がいつもと違いキモノ姿であらわれたので、スタッフ一同、厳粛なる儀式みたいに思ったのかもしれない。
記録係は中瀬奈津子初段(現在の藤森奈津子女流四段)。
巨「奈津子さんのお住いはどこなの」
奈「埼玉県の志木市なんです」
巨「へーえ、四季・奈津子というのは実在の人物だったのか」
——————
11PMは深夜に近い時間帯とはいえ、当時は非常にメジャーだった番組。
この時代に、将棋、それも駒落ちを民放の番組に持ち込んだということはとにかく凄いことだった。
『四季・奈津子』は五木寛之さんのベストセラー小説で映画にもなっていた。
——————
大内延介九段と初めてお会いしたのは1995年のことだった。
当時の大内九段は渉外担当の専務理事。
仕事でのお付き合いだったが、いかにも江戸っ子の気風のいい方だった。
少し早い昼食で、築地市場の場内にある寿司店「大和」(大内九段の師匠の土居市太郎名誉名人が築地市場将棋部の師範で、築地市場将棋部の取りまとめ役が「大和」の主人だった)へ行こうということになったのだが、その日は市場の休日で、場外にあるラーメン店『井上』で皆で立ってラーメンを食べたことを思い出す。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
——————