将棋世界2005年8月号、「時代を語る・昭和将棋紀行 特別編 丸田祐三九段~その2~」より。聞き書きは木屋太二さん。
それまで居飛車党だった大山康晴さん(十五世名人)が、突然、振り飛車を指し始めた。このことについて、少し話しておこう。
中野の将棋連盟は普通の家で、応接間を事務所にしていた。大阪から大野八段が来て泊まった。朝、事務所で大山さんに会った。
「大山、お前顔色悪いな。どうしたんだ」
「升田さんにタイトルを全部取られたら対局が多くて、くたびれちゃったのよ」
升田さんは昭和32年、名人、王将、九段の三冠王になった。この時、大山さんは無冠だった。大野さんは関西の木見金治郎八段(九段)の高弟で、升田さんと大山さんは弟弟子だった。大野さんが言った。
「大山、くたびれるのは矢倉みたいな辛気くさい将棋を指しているからや。将棋ってのはな、振り飛車をやるんや。振り飛車は角道を止めて、飛車を好きなところに持っていって王様を囲ってな、それまでは顔を上げんでいい。顔を上げると相手が攻めてくるから、それをこなすのは大山、わしよりお前の方がうまいだろう。大山、お前は今日から振り飛車をやれ」と大野さんが言うと、大山さんは「はい」と大きな声で答えた。
大野さんは”振り飛車名人”と呼ばれるほどの振り飛車の使い手だった。その大野さんも戦前の将棋を見ると、結構居飛車をやっている。振り飛車が東京で通用すると思ったのかもしれない。塚田さんが名人になった年の挑戦者決定戦に、10勝3敗で塚田、萩原淳(九段)、大野と並んだことがあった。それだけ振り飛車で星を稼いだということです。
驚いたのは大野さんにアドバイスを受けたその日に、大山さんが振り飛車を指したことだ。向かい飛車だった。当時の定跡で、居飛車の先手は▲4六歩と突いてから▲6八玉と上がる。急戦時代だから、その前に▲3六歩と▲5六歩も指している。
大山さんは隙ありとにらんでポーンと△4五歩と突いた。▲同歩と取れば角交換をして△4六角が王手飛車取りになる。この将棋は大山さんの快勝だった。
それで復調したのか、大山さんは升田さんから次々にタイトルを取り返し、以後、将棋界に不動の大山時代を築いた。
大山さんは先手なら矢倉、後手なら振り飛車というパターンをしばらく続けた。二上達也さん(九段)が挑戦者で出てきた頃から矢倉で苦戦するようになった。二上さん用に作戦を振り飛車に切り替えた。やがて表芸の矢倉が減り、裏芸の振り飛車専門になった。大山さんに振り飛車をすすめたのは兄弟子の大野さんという話です。
その大野さんは強情な将棋だった。ある時、銀損をして飛車が成った。
「飛車だけ成れればいいってもんじゃないよ」と私が言うと大野さんは、「わしの将棋は飛車を成れば指せる」と胸を張って言った。負けん気が強かった。「東京の棋士は振り飛車がへた」だそうだ。私らの時代は東京に木村名人がいて相掛かり全盛だった。飛車はこのままで使えるんだよ居飛車で、と教えられた。振り飛車は一手損をして指す。”横歩取り三年の患い”と言っていた頃だから、特に手損はうるさかった。そういう影響があった。
秒読みになるとあわてるのは花村元司さん(九段)。この人は早指しで、時間があるうちはスイスイ指してくる。ところが時間がなくなると、そわそわしだす。花村さんが秒読みになると、いや秒を読まないうちから、この将棋は大丈夫だと思ったものです。花村さんは持ち時間のある早指し。逆に持ち時間を使い切ってから強いのは加藤一二三さん(九段)。時間のない将棋を、これまで一番多く指した人です。
早指しは関東では花村さん、関西では灘さんが有名だった。常勝の大山さんは灘さんによく負けた。テレビ対局のNHK杯戦で、二人が対戦した。中盤で大山さんが優勢になる。局面は大差。そうすると大山さんは時間が気になりだす。将棋番組には時間の枠がある。ファンも見ている。早く対局が終わったら困る。
大山さんは気配りの達人だから、何とか将棋を長引かせようとする。引っ張って、お守りをしているうちに形勢がおかしくなる。流れが相手に行ってしまう。こうなると、さすがの大山さんでも駄目で、「あいつは本当にしょうがないやつだ。あんな無神経、俺はかなわない」と、こぼすことになる。勝った灘さんは喜んでいる。長い間には、いろいろな人がいて、いろいろなことがありました。
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非常に日常的な出来事ではあったけれども、将棋界の歴史を変えるきっかけとなった、ものすごい朝。
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「くたびれるのは矢倉みたいな辛気くさい将棋を指しているからや。将棋ってのはな、振り飛車をやるんや。振り飛車は角道を止めて、飛車を好きなところに持っていって王様を囲ってな、それまでは顔を上げんでいい」
これぞ振り飛車の醍醐味。振り飛車党の方から見たら非常に痛快な言葉だ。
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「わしの将棋は飛車を成れば指せる」
これが大野源一九段の振り飛車の魅力であり、その神業の捌きも、原則的には飛車を成ることを目的としたものであったから、飛車好きの人にとっては見ていて心が踊るものだった。
銀損、角損しても飛車を成っていいんだ、と知った時は、世の中が急に明るくなったような気持ちになったものだった。
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たとえば、下の図は、1966年順位戦の五十嵐豊一八段(先)-大野源一八段戦。
ここから大野八段は△3五角!
以下▲同銀△4九飛成。この対局は大野八段が勝っている。