将棋世界1989年8月号、先崎学四段(当時)の第8回早指し新鋭戦(テレビ東京)決勝〔森内俊之四段-羽生善治五段〕観戦記「早指し世界一決定戦」より。
「今一番強いのは誰かねえ」
ある日、将棋連盟の記者室に、うるさ型の若手棋士が数人集まり、この様な話になった。皆、気のおけないメンバーだけに言いたい放題。
「まあ実績からいっても羽生君かな」
「いや谷川名人の寄せはすごいよ、また南王将の腰の重さは天下一品だね」
「中原先生の安定度が一格上だね」
など、けんけんごうごう、なかなかまとまらない(この辺は皆さんの井戸端会議と同じである)。
ところが誰かが一言、
「30秒将棋ならどうかな」
と呟いたのを契機に、早指しならという話に移った。ところがまったく議論にならないのである。なぜなら出てくる名前が二つしかない。
と書けばお分かりだろう。「羽生と森内」この他の声はまったく聞こえてこないのだ。
要するに玄人筋?の見方は、誰が一番強いかなんてことは分からないが、早指しならこの二人が頭一つ抜きん出ている、ということらしい。
するとこの決勝戦は、文句なく棋界最高峰の内容の将棋なのだ。
また内容のみならず、舞台背景も揃っている。二人の火花散るライバル意識が、さらにこの将棋をおもしろくするだろう。
二人は小学生の頃からのライバルであり、奨励会入会も一緒である。
二人を比べると、羽生はあくまでもクールに森内を見ている様だ。彼は他人を意識したことがない。おそらく、常に今指している将棋を勝つ事しか念頭にないのだろう。
しかし片や森内の思いは複雑であろう。四段昇段の時点で差をつけられ(森内は初段だった)、今は順位戦で見下されている。こちらは新人賞、向こうは最優秀棋士である。
森内にとっての羽生は、昔は太陽であった。この世界、四段と初段は社長とヒラの様なものである。あまりの輝きと口惜しさでとても直視できない。
それが今では、まさに追いつかんばかりの勢いである。もう少し、少しだ。
逆にいえばまた差を広げられるわけにはいかない。やっと出会った恋人に振られる訳にはいかない。
これ以上羽生に負ける訳にはいかないのだ。
おそらくこの勝負にかける思い入れは森内の方が強いだろう。
(中略)
局面はスラスラと横歩取りへ進む。羽生はどんな戦型も指しこなすが、早指しの時は横歩を取らせる事が多い。
これは自分の力に自信があるということに外ならない。乱戦になり、訳の分からない局面の30秒将棋でも手が見える自信があるのである。
また注目すべきデータがある。羽生は相手に横歩を取らせる将棋をこれまでに10数局指しているが、まだ1局も負けていないのだ。
羽生がいかによく勝つといっても、この様な激しい将棋でこの数字は大変なものであろう。
森内はこのことをまったく知らなかったらしい。だがもし知っていても彼は▲3四飛と取ったであろう。そういう男である。
(中略)
羽生の△7四歩は凄い手である。少なくとも僕は見たことがない。余程の研究の裏付けがあるのだろう。
羽生の将棋はこの様に大胆な手が多い。彼は自分が分からない以上に、相手も分からないという局面が大好きなのだ。
(中略)
3図のところで40手、封じ手となり20分くらい休憩がとられる。森内はしてやったりと、羽生は、しまったまずいことになったと思っているだろう。
楽屋で二人と話したが、森内の顔はいつになく紅潮し、目はどことなくうつろである。
羽生の方はといえば、視線こそしっかりしているものの、顔色は試験前の受験生の様に青白く、精気が感じられない。
どことなくたよりない二人ではあるが、再び盤の前に座ると、瞬時にして勝負師の顔にもどるのはさすがだ。
さてこれより30秒将棋、一瞬たりとも油断できない。
(中略)
しばらくは淡々とした駒組み合戦が続く。この辺は、プロならだれが指しても同じ様なものだ。
森内は典型的な勝負師である。将棋に限らず何をやらしても強い。
新人王戦に優勝した頃に麻雀を覚えた。
当然貧乏な仲間からお誘いがかかる。覚えたての森内をカモにしようという訳だ。ところがこの初心者、ルールもうろ覚えのくせにやたら強いのである。たまりかねたある仲間が呟いた。
「カモがネギしょって来たと思ったが腐ったネギだったとは」
そういえば昔奨励会員だった頃、皆で食事した後によくジャンケンをした。当然負けた者の払いである。無収入の頃である。皆生活を賭けていた。
森内はこのジャンケンにメッタに負けなかった。当時から天性の勝負運が感じられたものである。
ちなみに一番よく負けたのは、二人のライバル佐藤康光君だったかな。
(中略)
まず最終手の△3六桂をご覧いただきたい。いやはや凄い手があるもんだ。
この手には解説の島竜王をして、
「この手を見ただけで今日の解説役を引き受けたかいがあった」
とまで言わしめた。
たしかに迫力満点の桂打ちである。駒は当たりになっている瞬間が、一番働いているというではないか。
この鬼手を見て”二番目”に驚いたのは森内であろう。まさかこんな手は読んでなかったに違いない。おそらく頭が一瞬空白になったのではないか。
それでは一番驚いたのは誰だ―。
7図以下の指し手
▲3六同歩△同飛▲3七歩△同銀不成▲同銀△5六飛▲6五銀(8図)意表の手を指された時の秒読みは速い。28秒まで考えて森内は▲3六同歩と取った。しかしそのとき、すでに彼は平静に戻っていた。
結論から言おう、一番驚いたのは誰あろう指した本人の羽生であった。彼は桂を打つ時は自信満々だったのだろうが、おそらく指した瞬間気付いたであろう、その手が「大悪手」だという事に。
8図を見ていただきたい。先手のカベ銀が見事に捌けてしまった。しかも後手の飛車は見事に詰んでいる。
8図で将棋は終わりである。以下はただ指してみただけにすぎない。
戻って△3六桂の所では△3五飛と浮く一手だった。以下▲6三歩成△同金直▲4六金△6五飛となり非常に難解な将棋だったのだ。
羽生も当然この手は見えていた。しかし、あまりにうまそうな手が目の前に落ちていたために、わなにはまってしまったのだろう。
プロの間の常識の一つとして、
「秒読みの場合はうまそうな手は指すな」というのがある。この場合もご多分にもれず平凡に飛車を逃げる手が正解だったのだ。森内によればその前の▲4三銀で普通に▲4六同金と取った方が良かったらしい。
以下は勝負所もない。棋譜を掲げるにとどめる。
(中略)
森内君おめでとう。
これからも将棋頑張って下さい。
ガールフレンドもつくって下さい。
そして麻雀負けてくれたらもうなにも言うことはありまへん。
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「彼は他人を意識したことがない。おそらく、常に今指している将棋を勝つ事しか念頭にないのだろう」
これは、羽生善治九段の、昔から変わらない姿勢なのだと思う。
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「羽生の将棋はこの様に大胆な手が多い。彼は自分が分からない以上に、相手も分からないという局面が大好きなのだ」
羽生将棋を鑑賞する際に、頭に入れておくと良さそうだ。
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「秒読みの場合はうまそうな手は指すな」
このことが、アマ強豪以外のアマチュアにも言えることなのかどうかはわからないが、守っておけば被害が少なく済みそうな格言のような感じがする。
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「カモがネギしょって来たと思ったが腐ったネギだったとは」
料理としてのカモとネギの組み合わせが、そんなに絶妙なものなのかどうか、いまだに納得できていない。
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「森内はこのジャンケンにメッタに負けなかった。当時から天性の勝負運が感じられたものである。ちなみに一番よく負けたのは、二人のライバル佐藤康光君だったかな」
このようなエピソードが嬉しい。
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「森内にとっての羽生は、昔は太陽であった。この世界、四段と初段は社長とヒラの様なものである。あまりの輝きと口惜しさでとても直視できない。それが今では、まさに追いつかんばかりの勢いである。もう少し、少しだ」
見た瞬間に鳥肌が立つような、心を打つ文章だ。
先崎学四段(当時)にとっても同じ思いだったはず。