「内のは、人格者とか言われてますけど、けっこう遊び人なんですよ」

将棋世界1990年2月号、鈴木輝彦六段(当時)の「上達の処方箋」より。

 米長夫人に、中原先生の奥様と話をした時の事を聞かせていただいた。20年位、話をする機会がなかったが、あるパーティーで一緒になり、意気投合したそうだ。

「あ、それそれ、分かります」「そうなんですよねっ」と、皆まで言うなという感じだったらしい。

 棋士の妻の喜びや苦労が”あうんの呼吸”にする。最後に「内のは、人格者とか言われてますけど、けっこう遊び人なんですよ」と中原夫人が言ったそうで、(それなら内のは極悪非道ね)と思ったそうだ。

(以下略)

* * * * *

遊び人の定義にもよるが、遊び人の人格者は世の中にたくさんいる。遠山の金さんだってそうだった。

人格者と遊び人は、決して矛盾はしない。

中原誠十六世名人の奥様が「遊び人」と言ったのは、世の中からは堅いイメージで思われているかもしれないけれど、実際は普通にさばけている、という意味合いだろう。

真面目な中原十六世名人のことを遊び人と言うならば、相対的に米長邦雄永世棋聖は「極悪非道」になってしまう、と米長永世棋聖の奥様が思ったという展開。

* * * * *

この記事の後、鈴木輝彦六段(当時)は順位戦でB級2組からB級1組へ昇級している。

* * * * *

将棋世界1990年7月号、米長邦雄九段の連載自戦記〔勝ち抜き戦 対 鈴木輝彦七段〕「親孝行の対決」より。

 この講座で、かつて鈴木君は、中原誠を「遊び人名人」と呼び、私を「極悪非道」と書いた事があった。

 久々に中原先生が怒ったのを見たが、これが、愛情もなく、物事をナナメから観る事の好きな書き手のものであれば、当然黙ってはいない。

 しかし、書いたのは鈴木輝彦だ。

 昇段後に中原先生は彼に中華をふるまった。私はご家族にフグを賞味していただいた。

 人間は普段が大事なのである。

(以下略)

* * * * *

「久々に中原先生が怒ったのを見たが」

これは、本当に怒っていたのかどうかはわからない。

中原十六世名人と鈴木輝彦八段はもともと仲が良い。

* * * * *

「私を極悪非道と書いた事があった」

半分冗談が入っているとも考えられるが、奥様の談話を載せてもこのように思われるのだから、文を書くということは難しい。

* * * * *

「人間は普段が大事なのである」

まあ、結論はこういうことになる。

 

将棋関連書籍amazonベストセラーTOP30(2019年11月30日)

amazonでの将棋関連書籍ベストセラーTOP30。

井上慶太五段(当時)「なんやら将棋指しいうと、うっとうしいんやないかね。イメージが」

近代将棋1990年6月号、湯川博士さんの「若手プロインタビュー・井上慶太五段 三度目の正直、次は一発狙い」より。

 この日新聞棋戦を早々と負けた慶太クン、「あれ(昇級決定)からどうも、負けてばっかりです」

 それだけ嬉しかったということかな。

「そう、なんでしょうか。自分ではわかりませんが……。嬉しさ、ですか。それはもう、なんといいますか……はい、四段になった時とでは全然、比べものになりません。四段の時はそれほどでもなかったです。激励会もスムースに抜けましたし。ところがC級2組では、半分諦めかかっていましたから。もう、一生ここで暮らすんかなあ、みたいな気持ちで……」

 上がった時、家に電話したんでしょ。

「ええ、12時に終わって検討戦やって、1時半ごろ電話しました。そしたら、ワンコールでサッと母が出ましてン。それで僕が上がったいうたら、後ろで、兄ちゃん上がったでェ、いう妹の声が聞こえました。家中で起きててくれたンかなあ思って、嬉しかったデス」

 井上慶太の四段昇級後のC級2組成績は、

  1.  7-3
  2.  8-2
  3.  6-4
  4.  6-4
  5.  7-3
  6.  8-2
  7.  8-2

 7年というのはちょっと長かったな。

「はじめ、2、3年で上がればいいとのんびり構えていたのが尾を引いたみたいですね。2年目良かったけどその後6-4、6-4でちょっといじけたンちゃうかな」

 8-2の好成績を3回も取っているけど、三度目の正直でやっと昇級したんですね。

「はじめの8-2は順位が下だったので、まったく期待していなかったけど、二度目の時はキツかったなあ。最終戦まで8-1で行って勝てば自力昇級だった。それをやられちゃいまして……ひどかったなァ」

 頭ハネの次点になったんでしたね。

「あの時はもう、毎日酒浸りで、対局日の前日でも3時4時まで飲んでました」

 それじゃあ、勝てないんじゃあないの。

「ええ、全然勝てません(笑い)」

 そういう状態がどのくらい続いたの。

「1ヵ月。飲むだけ飲んだら、また将棋やる気が起きてきて、ボチボチ始めました。もう今年が最後のチャンスの年やな、思って……」

 この若さで最後とはちょっと情けないのでは。

「今までの最高の位置(C級2組4位で上の3人は大ベテラン)ですし、私の棋力からいって8-2以上は無理ですから。この位置で8-2とって勝負というところだったです」

 将棋は四段に上がった時と比べて変わりましたか。

「変わりましたねェ。入ったばかりのころはもっと伸び伸びしとったン。最近は勝ちと見るとフルエるんですわ。そのせいか、いつも最初の方でつまずくんです。負けが先行します。前半3-2ならいい方です。前期は珍しく5-0でスタートしたと思うたら、とたんに2連敗するし。とにかくここ(C級2組)にずっと居るんやないか、そういう恐怖感ありますね。

 あ、それからもともと受け主体なんですけど、今はすぐ受けに目が行ってしまうんです。こんど上がったんで少し伸び伸び指せるんかなあ、思ってますけど」

 今期は伸び伸び指して好位置に上がるのが目標ですか。

「いや。一発昇級めざしてます。また2、3年なんて思っていると、上がれんことになりますから」

(中略)

 童顔のせいか、今年26歳とはとても思えぬ慶太クンだが、プロに入ったのはわりあい遅いほうだったという。

「小学校6年の時アマ初段くらい。中学3年で三段強くらい。高1の時、高校選手権で全国3位です。プロ入りはその後に決めました。ちょっと遅かったんで、入ってからは高校休学して将棋漬けになりました。米長先生が『詰むや詰まざるや』をやるとよいと何かで書かれていたので、一応全部詰ませました」

 へえ。どのくらいかかりましたか。

「1年半くらいかな。初段の時だから17歳から18歳、19歳にかけて」

 その頃の同期は。

「浦野クンです。彼とは同い年で四段に上がったンも同じです。今ちょっと先越されてますけど(浦野は62年C1へ、平成元年B2へ)

 抜かれると悔しいもんですか。

「まあ、才能もありますから。人のことより自分のことで一杯ですよ。今年はC1から落ちんようにせんと(笑い)」

 結婚も浦野クンにリードされたけど、考えることありますか。

「考えるいうても、相手がおらへんもの。僕らあまり女性に接触するチャンスないんですよ。それに同門の谷川先生がまだですから」

 野球の選手なんか、球場の裏口に女の子が群がっているけどね。

「連盟の入口に女の子が待ってたなんて、聞いたことありませんからね(笑い)」

 なんで縁が薄いんだろう。

「なんやら将棋指しいうと、うっとうしいんやないかね。イメージが」

 可愛い子タイプがいいの。

「そうですね。あんまりキツうない人、言うこと聞いてくれる人がいいンかなァ」

 強い人は駄目なの。頼りないね。

「いや、正直いうて、僕なんかつきおうたことないものですから、想像でいうとるだけです。相手が出てこんと、ようわかりません」

 若い時から過酷な競争しているんで、女の子は二の次ということかな。

「頭の中、やはり将棋が大きいですね。とにかく上へ行かんとしょうがないですからこの世界は」

 若くて力のあるうちに行けるだけ上へ行く。このことがほとんどの将棋指しの頭を占めている。女の子と遊ぶのは余裕が出来てからで遅くはない、というのかな。

(中略)

 この先どのへんが、目標ですか。

「あまり才能ないですから、A級とかはとても無理みたいです。なんとかひとつ上のB級2組へ上りたいと思います。その先は考えてません。なにしろ各組昇級2人でしょ。そこへ羽生クン森下クンなんかがいて、中村さん島さんのタイトル組もいるでしょ。2番目に入るの大変やと思います」

 研究会なんかで技を磨いているの。

「森安研究会で淡路先生、福崎先生に指してもらっています」

 研究会は師匠の門下とは関係ないの。

「気の合った人間同士みたいですね。あとは自分で将棋をつくっていかないと、いけないみたいですね。上へ行くと皆形を持っていますから、C2の時のようにいかんかもしれんし。まあ、とにかく当たっていくしかないです」

 そう、昇級した勢いというのはとても大事。そのツキにうまく乗って一発昇級を狙ってください。

* * * * *

将棋世界1990年5月号グラビアより。

* * * * *

井上慶太五段(当時)が順位戦でC級1組への昇級を決めた直後。

井上五段の人柄もあって、とてもなごやかな雰囲気のインタビューだ。

井上五段の昇級には様々なドラマがあった。

先崎学四段・羽生善治竜王(当時)「井上さんに知らせに行こう」

* * * * *

「それで僕が上がったいうたら、後ろで、兄ちゃん上がったでェ、いう妹の声が聞こえました」

井上九段の妹さんは、別の機会にも非常にいい味を出している。

井上慶太五段(当時)の妹さん「ウソやろ」

* * * * *

「あの時はもう、毎日酒浸りで、対局日の前日でも3時4時まで飲んでました」

この頃のことだ。→井上慶太五段(当時)の悪夢

* * * * *

「考えるいうても、相手がおらへんもの。僕らあまり女性に接触するチャンスないんですよ。それに同門の谷川先生がまだですから」

同門の谷川先生がまだですから、が可笑しい。

とは言いいながらも、井上九段は谷川浩司九段よりも前に結婚をしている。

井上慶太六段(当時)の結婚

* * * * *

井上五段の「そうですね。あんまりキツうない人、言うこと聞いてくれる人がいいンかなァ」に対する「強い人は駄目なの。頼りないね」

あくまで女性に対する好みの問題なので、頼りないも何も関係ないと思う。

また、強い女性が好みだからと言って、頼りがあるとも限らないわけで。

* * * * *

「あまり才能ないですから、A級とかはとても無理みたいです。なんとかひとつ上のB級2組へ上りたいと思います。その先は考えてません。なにしろ各組昇級2人でしょ」

非常に謙虚な井上五段。

ここからC級1組に4期、B級2組に2期、B級1組に1期、そしてA級に昇級している。

 

羽生善治竜王(当時)「あの新鮮な気分は失われてしまったような気がする」

将棋世界1990年8月号、羽生善治竜王(当時)の連載自戦記〔新人王戦 対小倉久史四段〕「開幕戦を飾れず」より。

 本当に久し振りの対局。中51日なんてプロになって初めての事。対局過多で週に2局も3局も指さないといけない時もきついが、こういう状態も結構、淋しいものがある。というわけで、新年度の開幕戦は張り切って行くことにした。

 対戦相手は小倉久史四段。小倉四段は私と奨励会同期で、研究会などでもかなり指している。いわばお互いに手の内を知り尽くしている。

 中原門下にもかかわらず(?)振り飛車一辺倒という、最近の若手棋士の中では珍しい存在である。

(中略)

 局後の感想戦で色々な変化をやってみたが、どれもうまくいかない。

 どうも5図以下は私に勝ちは出ないようだ。

 負ける時は当たり前だが、負けるように負けるように出来ているもの。

 せっかくの開幕戦を飾れなくて残念だが、また気分を一新して頑張って行きたい。

(中略)

 私が奨励会三段の時に初めて公式戦に参加することができた。

 新人王戦である。

 長時間の持ち時間は初体験なので新鮮な気分だった。

 それから4回出場させてもらっているが、あの新鮮な気分は失われてしまったような気がする。

 もっとも、新人王戦で優勝することが私にとって一つの目標だった。

 何と言ってもこの棋戦は若手の登竜門になっているから。

 そして、一昨年その目標を達成することができ、優勝できた時は本当に嬉しかった。

 しかし、今回はどうだっただろう。以前のように優勝を目指して行っていただろうか?

 やはり、1回新人王になってしまっていること、タイトル保持者であることを考え合わせると気持ちに変化が生じた感がある。

 だからといって、本局は一生懸命やらなかったわけではない。

 私は私なりに全力を尽くしたつもりである。

 しかし、何か欠けているものがあったかもしれない。

 私の最後の新人王戦が不完全燃焼のような形で終わってしまうのは残念でならない。

 こうなったら小倉君に頑張ってもらって優勝してもらおう。

* * * * *

将棋世界同じ号、連載自戦記ページの写真。

* * * * *

「本当に久し振りの対局。中51日なんてプロになって初めての事」

この対局が5月18日で、直近の対局が3月27日。

羽生善治九段にとっては、ある意味で奇跡的なことだったかもしれない。

* * * * *

「それから4回出場させてもらっているが、あの新鮮な気分は失われてしまったような気がする」

新鮮な気分が失われるということは、次のステージに進んでいる証拠で、決して悪いことではないと思う。

* * * * *

「しかし、今回はどうだっただろう。以前のように優勝を目指して行っていただろうか?やはり、1回新人王になってしまっていること、タイトル保持者であることを考え合わせると気持ちに変化が生じた感がある。だからといって、本局は一生懸命やらなかったわけではない。私は私なりに全力を尽くしたつもりである。しかし、何か欠けているものがあったかもしれない」

新人王戦が悪いわけではないが、新人王戦という棋戦の特質上、このような気持ちの変化があっても当然だと思う。

新人王戦に対して今まで100層の闘志があったものが99層になったとして、この紙一重の差が結果に大きく影響する場合もある。

* * * * *

現在の新人王戦は、タイトル戦経験者の出場資格はないが、それ以前のタイトル戦経験者を見てみると、

  • 1998年に三浦弘行六段(当時)が棋聖失冠後に新人王戦初優勝
  • 1999年に藤井猛竜王(当時)が3度目の新人王戦優勝
  • 2005年に渡辺明竜王(当時)が新人王戦初優勝

三浦六段と渡辺竜王はそれまで新人王戦で優勝がなかったので、闘志は変わらなかったと思われるが、過去に2度新人王戦で優勝していて竜王1期目の藤井竜王が新人王戦で3度目の優勝を果たしたことは、そのような意味で驚異的なことだと思う。

1999年時点で新人王戦で3回の優勝は、森安秀光九段と森内俊之九段のみ。

トップタイの記録にしたいと闘志が燃え上がったとも考えられる。

株式会社コーセーと将棋界の縁のはじまり

将棋世界1977年10月号、原田泰夫八段(当時)の「本手とウソ手」より。

 最近ご面談したなかで感服したのは小林孝三郎さんである。小林コーセー社長、化粧品ひと筋の大もの。80歳で現役の社長、早朝に出勤して週一回はゴルフ、これから原田に将棋の稽古をうけたいとおっしゃる。

 少なくとも10歳か15歳は若く見える。ゴルフで足を鍛え、将棋で精神、知能を磨かれよう、まことに結構である。社長の情熱は社員に反映して隆盛になる筈。天下は広大、世の中には常識では計れない偉い人がいるものと感心した。

 小林さんは昔指したことがあるという。

 将棋は数十年の空白があっても、特別弱くなるものではない。80歳で初めての稽古、さてどんな腕前か。

(以下略)

* * * * *

小林孝三郎さん(1897年-1995年)は、高等小学校を卒業して15歳から化粧品会社で働き始め、49歳の時に独立(小林コーセー設立)。

一代でコーセーを大企業に育て上げた。

小林孝三郎さんの略歴については、以下に詳しい。

設立者紹介(公益財団法人コスメトロジー研究振興財団)

「わが町が生んだ偉人 小林孝三郎」(筑波銀行)

* * * * *

「80歳で初めての稽古、さてどんな腕前か」

この時は、平手の稽古将棋で原田泰夫八段(当時)が勝っている。

原田泰夫九段はコーセーで将棋の師範となる。

* * * * *

原田九段には将棋ペンクラブ名誉会長も長く務めていただいた。

将棋ペンクラブ大賞の副賞でコーセーの化粧品が受賞者に贈られるが、原田九段からコーセーに副賞をお願いしたのがはじまりで、現在に至っている。

コーセーの方々には、原田九段の口癖だった「感謝感謝」という思いでいっぱいだ。