羽生善治五段(当時)「申し訳ないなあ、これじゃ先が思いやられるなあという気持ちです」

将棋世界1989年11月号、読売新聞の小田尚英さんの「第2期竜王戦挑戦者決まる 羽生、島竜王への挑戦権獲得」より。

将棋世界同じ号のグラビアより。撮影は河井邦彦さん。記録係は郷田真隆三段。観戦記者は武者野勝巳五段。

 お待たせしましたというか、いよいよというか、羽生善治がやって来た。棋界では初めての10代のタイトル戦挑戦者の誕生だ。

 竜王戦の挑戦者決定三番勝負の第2局が行われたのは9月18日。羽生が勝てば2連勝で決まりとあって、将棋会館では大盤解説会が急きょ行われるなど、ムードが盛り上がっていた。解説会は予想を上回る盛況、控え室も棋士、関係者でいっぱい。固唾をのんで見守る中で午後10時22分に決着がついた。森下五段が大きな、はっきりした声で「負けました」と告げる。大げさに言えば、将棋の歴史が一つ動いた瞬間だった。

 まず、第2局を簡単に振り返っておこう。先手は羽生。角換わりに誘導し、採用したのは元気いっぱいの棒銀だ。森下は△5四歩~△5三銀というそれほど見慣れない構えで迎え撃つ。27手目、羽生は昼食休憩をはさんだ60分の長考で▲1六角!(1図)

 ▲1六角は新手だろう。しかしこの新手、あまり評判は芳しくなかった。狙い筋がすっきりしない。それもそのはず「実は苦しまぎれだったんです」と羽生は言う。「ここではもう形勢が苦しいようなので、それで」。この後、森下は慎重に考えつつ、攻勢を築く。

 47手目▲7七同桂(2図)で夕食休憩。

 再開少し前に様子を見に行くと、先に座っていた森下は「応援に来てくれましたか」とほほを緩めた。優勢を意識しているな。すぐ後のやりとりで森下三枚換えの駒得。素人目にも森下が悪かろうはずがない。控え室の研究陣は「このまま行けば森下」。

 それが……。「△3四歩(3図)はひどかったです」。対局後の慰労会で森下は繰り返すはめになる。

 大優勢のはずが、時間に追われ、プレッシャーがかかり、流れが変わり、もろ下は転落する。第1局と同じ図式。「申し訳ないなあ、これじゃ先が思いやられるなあという気持ちです」。悪い将棋を続けて拾った羽生のこの言葉に象徴される一局となった。

 なおこの三番勝負には挑戦権のほかに「六段」もかかっていた。どちらが勝っても、勝った方が特例で昇段することが事前に決まっていたのだ。羽生は実に大きな1勝をものにしたわけだ。

(中略)

 本命の一人がそのまま勝つ。普通ならドラマにならない展開だが、羽生が主人公だと話が違う。「18歳が大舞台に躍り出る」このこと自体がニュースとして成立するからだ。

 一方、敗れたとはいえ森下も素晴らしかった。「あと一歩」ばかりが続いていて、本人の心中察するにあまりあるので言葉に困るのだが……。

(中略)

挑戦者 羽生六段に聞く

―初のタイトル戦に挑む心境は?

羽生 初めてですし、いろいろな意味で不安な面もあるんですが、最高の舞台ですからこれ以上の幸せはないと思ってます。勉強と思って臨むつもりです。

―具体的な対策は?

羽生 第1局まで時間がありますので、これからゆっくり考えます。

―島将棋について?

羽生 居飛車党なのはお判りと思いますが、受けに強みを発揮される将棋ですね。

―ということは、羽生さんから先攻するパターンになると?

羽生 いや、それは実際に戦ってみないことには―。

―直前の1週間はどのように?

羽生 10月11日に順位戦が入っていて、他は未定なんですが、自然体で臨めるように、といって取り立てて何かをするとかは考えてませんけれども。肩に力が入らずリラックスできた状態でシリーズを迎えたいですね。

―さて、最後にズバリ勝算は!?

羽生 そうですね、第1局を指してみて、いい感じをつかみたいと思ってます。

―そこで初タイトル獲得と―

羽生 (笑)。

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将棋世界1989年11月号、青島たつひこ(鈴木宏彦)さんの「駒ゴマスクランブル」より。

 羽生が竜王戦の挑戦者に決まった日。記者はこの日、大阪で取材があって、東京の将棋連盟には、午後10時過ぎに着いた。ちょっと遅いかと思ったが、よかった。ちょうどそこから羽生が大逆転勝ちを決めるところだったのだ。

 このときの将棋会館は、2階の道場で田中寅彦八段が大盤を前に大声を出し、4階の記者室では塚田、中村、高橋の55年組が検討盤を囲み、同じく控え室では、谷川、中原、米長の三巨頭が検討盤を囲むという布陣。もちろん、それぞれの部屋には報道関係者や若手棋士もわんさと詰めかけて、それこそ黒山の人。まるで名人戦、いや、それ以上の盛り上がりである。

 将棋の内容については別ページの解説をお読みいただきたい。とんでもない逆転だったが、このとんでもなさが、羽生の将棋だともいえるだろう。第1局もそうだったが、森下にとっては、相手が羽生でなければ負けるはずのない将棋である。だが、その将棋が羽生の手にかかると、どうしてもまともには終わらないのだ。

 終盤、みんながあれこれ検討するのだが、ちっとも指し手が当たらない。「ええっ、こんな手があるの」そんな調子で驚いてばかりいるうちに森下必勝のはずの将棋がすごい勢いでおかしなことになってくる。とうとう中原が「これはもう黙って見ていよう」といいだし、みんな黙ってモニターに映し出される羽生の指し手を鑑賞するということになった。

 そして、あの勝ちっぷり……。

 森下投了の瞬間はだれもが声も出ないという状況である。いや、たった一人大声を出して叫んだ棋士がいた。

「つぇー!」

 米長だった。

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「お待たせしましたというか、いよいよというか、羽生善治がやって来た。棋界では初めての10代のタイトル戦挑戦者の誕生だ」

いかにこの時が待たれていたかがわかる。

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「申し訳ないなあ、これじゃ先が思いやられるなあという気持ちです」

挑戦者決定三番勝負、2局とも、羽生善治五段(当時)にとって劣勢な将棋を森下卓五段(当時)が間違えて羽生五段が勝った展開。

羽生五段の正直な感想だったと思う。

羽生-森下戦では、森下九段が大優勢な将棋を敗れてしまうケースが多い。

1995年の名人戦第1局でも同様な流れとなっている。

森下卓八段(当時)痛恨の△8三桂 =第53期名人戦=

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この期のC級1組順位戦最終局でも、森下五段は昇級が既に決まっている羽生竜王(当時)に敗れて、昇級を逃している。

血涙の一局

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盤上ではこのようなことになったが、二人は仲がよく、羽生五冠(当時)が畠田理恵さんの出演する芝居を森下八段(当時)と観劇、この時から羽生五冠と理恵さんの付き合いが始まったという。

「森下さんには非常に感謝しています」