羽生善治二冠(当時)「どちらも最善を尽くしているつもりで指すと机上の研究では現れない局面となり、初めて見る局面となる。本当に将棋の不思議な所でもあり、深い所でもあります」

将棋世界1993年2月号、羽生善治二冠(当時)の第42期王将戦リーグ戦〔対 中原誠名人〕自戦記「久しぶりの先手矢倉」より。

将棋マガジン1992年12月号より。

 今月は王将リーグ、中原誠名人との一局を見て頂きます。

 最近の中原先生は相掛かりで独自の戦法を編み出して戦っています。

 しかし、他の棋士は誰もやりません。

 優秀だと思えないのがその理由でしょうが、その形の棋譜を見るといつも中原先生が勝っています。

 どうやら、中原先生でしか指しこなせない形のようです。

 本局は私の先手なので、その戦型にはならなかったのですが、常に新しい可能性を求める姿勢は素晴らしいと思います。

(中略)

 私は最近は先手番だと初手▲2六歩と突いて相掛かり、ひねり飛車の将棋が多かったのですが、本局は久しぶりに矢倉で行くことにしました。

 気分を変えてということですが、相掛かりと比べると安心して駒組みをすることが出来ました。

 矢倉はプロの実戦譜のかなりの割合を占めるので、かなり細かい所まで定跡化されているのです。

 その点、相掛かりは激しい戦いになるので、序盤からかなり緊張を強いられます。

 振り飛車は駒組みが易しいのでアマチュアの間でポピュラーですが、プロの場合は矢倉がそれに当てはまると私は思っています。

 1図までは数え切れないくらい指されています。

 しかし、この局面に到るまでの手順がはっきりしてきたのが、ここ最近の定跡の進歩と言えるでしょう。

(中略)

3図以下の指し手
▲8五銀△3四銀▲3八飛△8五歩▲9七香△9六香▲同香△同飛▲9七歩△9二飛▲3五歩△2五銀▲3七桂△3六香(4図)

 ▲8五銀に△同歩なら▲同飛で話がうまいのですが、△3四銀で飛車の横利きを消されました。

 9筋で香交換して一段落ですが、私の方は銀桂交換の駒損です。

 どこにその代償を求めるかですが、3四銀を目標に攻めることにしました。

 ▲3七桂に対して△1四銀は辛すぎてプロは指さない一手です。それにしても△3六香はうまい切り返しでこちらの飛車と桂が金縛りになってしまいました。

 3図から4図までは目まぐるしい攻防で思いもよらない展開でした。

 どちらも最善を尽くしているつもりで指すと机上の研究では現れない局面となり、初めて見る局面となる。

 本当に将棋の不思議な所でもあり、深い所でもあります。

(中略)

 (△2七銀に)私の方は▲3九飛の一手ですが、ここはとても手が広い。

 考えられる手は、

  1. △2六銀
  2. △3八歩
  3. △3七香成▲同飛△2六銀
  4. △2八銀成▲4九飛△3七香成
  5. △2八銀不成▲4九飛△3七香成

などが有力。どれも指せそうで、△8七歩を利かすかどうかの選択を入れると、とんでもない数になります。

 普通、中盤戦では2、3通りの候補手から選ぶことが多いのですが、この場合は難しい選択です。

5図以下の指し手
△3七香成▲同飛△2六銀▲3九飛△2八銀不成▲4九飛△3七銀引成▲4五歩△同歩▲4四歩△同金▲3六桂

 中原先生は3の手順を選ばれました。

 私は1か5かと思っていたので少し以外、しかし、好みの問題でしょう。△3七銀引成でようやく手番がやってきました。▲4五歩から待望の反撃開始です。ずっと受けてばかりだったので流れが良くなった気もしましたが、いかんせん、桂、香、香という持ち駒では細かい攻めとなります。

 中原先生にとってはしばらく攻めさせてエネルギーをためて、寄せに行くつもりなのでしょう。

 やはり一局の将棋で片方が一方的に攻めるという展開は少なく、攻めては休み、休んでは攻めという展開で勝敗がつくことが多い気がします。

 そして、最後に攻める番になった人が勝利をものにするようです。

(中略)

 本局は序盤で失敗したと思ったのですが、悲観していた程でもなく、その後は自分にしてはうまく指せたと思います。

 中原先生にとってはせっかくの良い将棋を△3五銀の一手でフイにしてしまい悔いの残る将棋だったかもしれません。

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「どうやら、中原先生でしか指しこなせない形のようです」

中原流相掛かりは、5七に歩がある状態で▲5六飛と転回するような、歩越し飛車から攻撃を仕掛けるようなイメージ。

佐藤康光六段(当時)も、この自戦記と同じ頃、近代将棋で中原流相掛かりについて書いている。

佐藤康光王将(当時)「我が将棋感覚は可笑しいのか?」(その2)

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「振り飛車は駒組みが易しいのでアマチュアの間でポピュラーですが、プロの場合は矢倉がそれに当てはまると私は思っています」

なるほど、そういうことだったのかと、目から鱗が落ちたような気持ちになる。

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「どちらも最善を尽くしているつもりで指すと机上の研究では現れない局面となり、初めて見る局面となる。本当に将棋の不思議な所でもあり、深い所でもあります」

本当に奥が深い言葉だ。

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「やはり一局の将棋で片方が一方的に攻めるという展開は少なく、攻めては休み、休んでは攻めという展開で勝敗がつくことが多い気がします。そして、最後に攻める番になった人が勝利をものにするようです」

この言葉も奥が深い。

この自戦記には、金言が散りばめられている。