将棋世界1993年3月号グラビア、第42期王将戦七番勝負第1局〔谷川浩司王将-村山聖六段〕「生きるは戦い」より。
棋士の戦いの場は将棋であり、将棋に対する時がすなわち戦いの時である。棋士・村山聖は、生きること自体が戦いであった。幼少の頃より腎臓に重い疾患を持つ村山には、心の片隅に、自分はいつまで生きていられるのか、という思いが常にある。奨励会時代は、棋士になりたいと願い、四段になった時は少しでも上に行ければと考えた。第42期王将戦。群雄割拠の王将リーグを戦い抜き、なおかつプレーオフ2局を経ての挑戦権獲得劇には、チャンスに向かう者が有する希望や奮起の気に加え、ただならぬ執念が感じられた。
タイトル戦の初舞台に立った今。王将・谷川浩司に向かって、村山は、今まで生きてきた自分のすべてをかける。
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将棋世界1993年3月号、中野隆義さんの第42期王将戦七番勝負第1局〔谷川浩司王将-村山聖六段〕観戦記「怪童丸の勝負手」より。
村山は無事に戦っているだろうか。東京駅から伊東に向かう車中でふと思う。
バカだな、そんなこと心配しなくてもダイジョウブに決まってるじゃないか。
二人の自分が交錯する。強気の自分をあえて意識の中にデンと据える。と、少し半身になった構えで首を傾げながらバシッと牌を叩きつける村山の姿が脳裏に浮かんだ。
村山と麻雀を初めてしたのは3年程前のことか。行く手を遮る敵を押し退けジリジリと前に出てくる強い麻雀である。あがりが近づいてくると一牌つもって来るごとに体のよじれ具合が増してくる。これがほとんど真横になってしまったらこちらはもうダメで、後は、「いくら払えばいいの」という事態に立ち至る。対していて気圧されそうになることが、ままある。こんなに大きな精神エネルギーを持ったヤツは初めてだ、というのが村山と打ってみての印象だった。
(中略)
体調良好なれど
昼食休憩再開後の盤面を映す控え室のモニターには、途中図の局面があった。
▲3五歩に対しては、おとなしく△同歩と取り、▲同角に△6四角とするのが常道。本譜、▲3五歩に手抜きは村山の新工夫である。初のタイトル戦で、村山は大胆に戦っていた。
副立会人を務める青野照市八段より、先手は▲4六角から▲3八飛の形が作れれば満足です。と、矢倉戦の序盤講義を受ける。
しばらく局面の推移を黙って見ていたら、谷川陣が青野の話した通りの駒組みになっていく。こ。これは一体、という顔を青野に投げると、「谷川の作戦勝ちになりつつあるところですね」と、あっさり言い切られてしまった。
村山の体調が良さそうなのにはほっとしたが、盤上の具合はどうも宜しくない。
1図以下の指し手
▲4六角△5四銀右▲5五歩△4五銀▲同銀△同歩▲2八角△3五歩▲8三銀△5二飛▲7四銀不成△4四角▲7三銀不成△5五角▲同角△同飛▲5六歩△5四飛(2図)勝負手その一
封じ手は、相手の出方を見ながら手広く戦おうという▲4六角であった。控え室でもこの手は第一本命の一手で、谷川に余裕あり、という雰囲気があった。
2日目再開後、村山はわずか14分で△5四銀右を決行した。続いて▲5五歩にはグイと△4五銀と出てたちまちにして銀交換である。
銀の打ち込むスキは後手の方が多いという状況を考えると、ここで14分の消費時間で銀を出て行けるというのは、かなりの強心臓の持ち主である。封じ手は十分に予想される手だから、△5四銀右は一晩考えてのことで別に驚くには当たらない、というのは違う。指し手が決まっていても、実際に指すだんになったら、誰でもまず40分は考えて見せるだろう。こんな思い切った手を、パッと指したのではヤケクソになっていると見られてしまう恐れがあるからである。世間体を気にしない勝負手は見ていて気持ちが良い。
だが、よし村山、よくぞ勝負に踏み切った、と思う間もなく、控え室の検討の俎上に載せられた△5四銀右は、検討陣のサンドバックとなった。後手陣は傷がたくさんある上、銀交換後の手番が実質的に見て先手にくるのだから、多少の不評はせんないこととは言え、それはもう可哀相なくらいにたたかれた。しかも、誰もが景気の良さそうな谷川側を持ちたがるため、受け側につく者はいないのであった。
本譜△3五歩以下、▲5四銀△7一角▲4三銀成△同金直▲5四歩と攻めても夕方までもたないだろうなどとやっていると、谷川▲8三銀。これも、銀打ちに対する飛車の適切な逃げ場がなく、後手ひどいとすでに検討された手であった。
「ほんとに今日は早いかもしれないぞ」の声を聞き、このまま一方的に終わったのではつまらないなあ、と、控え室のソファーで1時間ほどふて腐っていると、「難しいじゃないか」という声がして、ガバッと跳ね起きる。
谷川の辛抱
局面を見ると2図。後手陣がやけに伸び伸びとした形になっている。ここに至る手順中、▲8三銀に対する村山の△5二飛以下飛車角をさばく構想が見事で、桂損ながら村山に楽しみが多い将棋である。との御託宣を立会人の五十嵐豊一九段より賜る。
村山有望の評を得て、控え室に心なしか活気が出てきた。王者は常に孤独なのだ。
やり損なった、という後悔の念はあっただろう。しかし、ここで踏みとどまるのが強者の強者たるところである。
順境から逆境に立たされた谷川は、ここからものすごい辛抱を貫く。
(中略)
谷川の辛抱は、実を結んだ。▲8二角が滋味溢れる好手である。
角は、打つなら5八か6九のラインと読んでいた村山は完全に意表をつかれた。何もしないでいて▲5五銀をすんなり許す形にしては、押さえ込みの態勢は霧散する。
動かねばならぬ、のだが、それは今までの押さえ込みの指法と180度違った手を指す必要がある。しかし、押さえ込み一本に絞った駒の配置からは、有効な攻撃手段が全く見当たらない。
控え室の検討をする場合は、有力そうな手がいくつかあり、それについて研究していくのであるが、あきれたことに、3図では、後手に良さそうな感触の手が一手もないのであった。せっかく盛り返したのに、これまでか。
3図以下の指し手
△6七馬▲同金上△4八銀(4図)勝負は理屈じゃない
「村山君、斜めになって考えとるで」
と、対局室から戻ったスポニチ大西記者。
村山が得意のファイティングポーズをとっている。何かあるのか、と期待が走る。モニターを見ていた者が「ああーっ」と声を上げる。盤側の誰もがダメかと思った3図。怪童丸は信じられない一手を指した。
△6七馬から△4八銀とは、なんという手であろうか。攻防によく利いていると見える馬を切り、もぎ取った銀をこともあろうに敵玉とは反対側にいる桂取りに打つ。その桂はしばし前までは展開次第ではタダで取れたかもしれない駒である。しかも、3七の桂を取れば▲同歩と3八の歩が動いて自動的に先手の飛車までが息をふき返す。駒の効率からいえば、ばかばかしくてお話にならないほど後手が損である。
「ヘエーッ。手はあるもんだね」と驚いた控え室には、「しかし、これではいくらなんでも……」の声が後に続いた。
「ま、やったんだからしょうがない。動かして見ましょう」。気合を入れ直すかのように座り直した青野に促されて検討が始まった。「まあこうはならないけど過激な方からいってみましょう」
控え室の検討は、まず、一直線に斬り合う変化から調べる。理由は簡単。互いに手を殺し合う順より、そちらの方が面白いからである。
「(4図以下)▲5五銀△3七銀成▲同歩△同飛成▲7八飛△4七歩成と、ここで▲4四銀はさすがにねえ、何だか後手の固さが生きて先手が負けそうだね。だから▲4七同金と(と金を)取って△同竜に▲5八銀とはじく……。これはどちらも大変か」
「その後△3八銀で結構難しいんじゃないかね。これは……。大変な勝負将棋ですよ」と五十嵐。
「驚いたね。馬切って△4八銀なんて、こんな手でも勝負になってるんだね」
△6七馬は、常識の殻をぶち破る怪童丸渾身の勝負手であった。
4図以下の指し手
▲5五銀△3七銀成▲同歩△同飛成▲7八飛△4七歩成▲4四銀△5七と▲3七角成△6七と▲7一飛成△7八金▲同竜△同と▲同玉△5七飛▲6七飛△7七歩▲同飛△同飛成▲同桂△7五桂▲7六角(5図)過激の”上”
「ななな、なんと。行っちゃったよ」
こうはならないだろう、という検討の一番槍の順をモニターは映し出していた。しかも、▲4四銀の切込みで、谷川は検討の上を行く。なんて人だ。過激好みの記者もしばし茫然とした。
村山の△5七飛は巧技。▲6七飛と飛車打ちを交換することによって、次の△7七歩と玉頭を叩く手をより強烈にした。
7七の逃げ道を塞いでから△7五桂のパンチ。村山勝ちか、と身を乗り出せば谷川▲7六角。この手が次に▲3三銀打以下の詰めろであることが分かり、谷川が僅かに残したかと思えた局面で、再び村山の豪腕がうなる。
5図以下の指し手
△6七金▲同角△5七飛▲7六銀△6七桂成▲同銀△3七飛成▲3四桂打△同銀▲同桂△同竜▲3五銀打△4五竜▲4六金(6図)土俵際
△6七金が谷川の読みを上回る豪打である。▲同角の一手に黙って△5七飛。金1枚を犠牲にして角筋を変え、自玉の即詰を消してから谷川玉に襲いかかる村山。▲7六角には△3七飛成と馬を取る手が攻防によく利き、後手が勝つ。
強烈な切り返しを食らって致命的とも言える痛手を被った谷川は、しかし、闘魂衰えず、土俵際で村山の寄り身を懸命にこらえる。▲7六銀には、負けることを拒む勝負へのあくなき執念があった。
6図以下の指し手
△4四竜▲同銀△7六歩▲3三歩△7七歩成▲同玉△5九角▲7六玉△3三金右▲同銀成△同桂▲3四歩△8五銀▲7五玉(投了図)
まで、147手で谷川王将の勝ちけっぱれ怪童丸
6図での村山の残り時間は5分。
決め手を求める村山に、読みを許された時間は、あまりにも短かった。寄り身に出れば、必然、相手に駒を渡す。相手玉を寄せ切る順を読みつつ、途中で駒を渡したことによる自玉の頓死筋もすべてを読み切らなければならない。
△4四竜では△7五桂と打ち、▲4五金に△6九角▲同玉△6七桂成▲6八金△3六角で後手が勝っていたと分かったのは局後の感想戦でのことである。
ネクタイをガバッと緩めた襟元。村山は形振り構わず戦った。
村山よ。勝ちは逃したけれど手に汗握る凄絶な将棋を見せてくれて、ファンの皆さんも喜んでくれたことと思う。次の将棋も力一杯戦ってくれ。
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最初のグラビアの文章は無署名だが、大崎善生編集長(当時)によって書かれたものである可能性が高いと思う。
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「村山は無事に戦っているだろうか。東京駅から伊東に向かう車中でふと思う」
中野隆義さんは2017年に亡くなられているが、温厚で将棋が大好きだった中野さんの優しさが溢れた、村山聖六段(当時)への思いが込められた観戦記だ。
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途中図で△3五同歩と取らない大胆さ、ほとんどの人が思いつきそうにない3図からの△6七馬~△4八銀など、村山聖六段の印象的な指し手が続く。
終盤は、まさに谷川浩司二冠(当時)と村山聖六段の死力を尽くした戦い。
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1992年棋聖戦(前期)が谷川浩司四冠-郷田真隆四段、
王位戦が谷川浩司四冠-郷田真隆四段、
王座戦が福崎文吾王座-羽生善治棋王、
竜王戦が谷川浩司三冠-羽生善治二冠、
棋聖戦(後期)が谷川浩司二冠-郷田真隆王位、
そして、王将戦が谷川浩司二冠-村山聖六段。
連続する6つのタイトル戦で羽生世代の棋士が挑戦者になるという、まさに将棋界の時代の転換点と言っても良い時期だった。