田村康介三段(当時)「勝っても報われずか。旅に出るか」

将棋マガジン1993年5月号、駒野茂さんの「第12回三段リーグ 展望から結末まで」より。

 第12回三段リーグの対戦表が出来上がった時点で、参加32名全員にインタビューした。

 コメントの内容は個々に違う。それは別表を見比べて頂くとして、興味深いのは、数多くの者が順位1位の久保を意識していることだ。


参加32名、勝負を前に一言!

  • 久保利明三段「秋山さんをマークします。後は…」
  • 窪田義行三段「年下、同輩には負けたくない!」
  • 金沢孝史三段「今回は相当勝てる(13勝~14勝)と思います」
  • 木村一基三段「田村君には練習将棋で分が悪いので、初戦が勝負だと思ってます。毎回そこそこ行けると思っているんですけど…」
  • 勝又清和三段「久保君、秋山さん、中座君が競争相手。新三段が上がるとは思えない」
  • 北島忠雄三段「久保君、矢倉君、田村君、それと、このところ好成績の秋山君も気になる存在」
  • 鈴木大介三段「弟弟子の田村君には負けたくない。18連勝して抜けるつもりです!」
  • 瀬川晶司三段「順位1位は上がれないジンクス(過去11回で一人も昇段なし)があるけれど、久保君はやはり気になる存在です。それと秋山さん。順位も大きいと思います」
  • 岡崎洋三段「久保君、田村君をマーク。対戦があるのでそれが勝負!」
  • 中座真三段「回りは気にしません、自分が頑張るだけです」
  • 近藤正和三段「この位置(21位)で5敗すると上がれないと思うので、とにかく14勝しなければいけないでしょう」
  • 増田裕司三段「出だしが好調なら行けそうな気がするけど」
  • 松本佳介三段「相手に関係なく、前半に負けが込まないように戦います」
  • 行方尚史三段「相手にナメられないように。それと、2局目の対鈴木戦が勝負です」
  • 田村康介三段「僕の力をもってすれば楽だ!」
  • 矢倉規広三段「今回初参加で全員の強弱は分かりませんが、久保君だけは強いと思います」
  • 川上猛三段「久保君かな。とにかく今期は順位上げに専念。それと、昇段候補にあげられる人を負かせれば」

(現在のプロ棋士を抜粋)


 これまで11回三段リーグが行われているが、順位1位になった者は未だかつて一度も昇段していない。

 次点を取れるのだから力はあるに決まっている。ただ、昇段出来なかった、というショックの方が強く尾を引くらしく、次にいい成績を残せないようだ。

 ”順位1位は上がれない”は、ジンクスにもなっている。

 それでも久保の存在を大きいと思うのは、ケタ違いの強さ、と見ているからなのだろう。

 特に関西での久保評は高い。ある棋士は「久保君は強いで、三段リーグもすぐ抜けるやろ」と言っている。他にも同様の声があった。

 これから戦う三段にも、強い!と思われている以上、今期久保の星から目は離せない。奨励会生活は6年半、三段リーグは2期目と、決して短い方ではないにしても、17歳という年齢は、それを覆い隠しても余りあるものだろう。

 今回は関西勢の棋運の強さを感じるが、関東でただ一人、負けじと強いことを言ったのが田村。これから先を考えれば、相手を挑発して損のように思うのだが、そんな小さなことは気にしない、どんと来いや、といった器の大きさを感じる。

 三段に上る前の田村の将棋は、独特の感覚ではあったが、追い込み一手の狭い将棋だと思っていた。ところが、最近見た将棋は芸が細かく、視野が広まったように見える。今回は非常に楽しみな存在。あとは本人の気合いと将棋の成長度がうまくかみ合うかどうかが勝敗の分かれ目だ。

 他に有力どころ、目に付く人もいるが、人数が多くなるので省略する。

 では、リーグ戦の進行を見て行こう。

 18対局。見方として、6局を一区切りで序盤、中盤、終盤と分けて分析する。

 前半戦。4戦目で全勝者が一人もいなくなる。

 6戦目が終了、白星と黒星が片寄り始めた。

 こうした状況で生まれた言葉が一つある。星がハッキリ片寄る(好成績者と不調者が極端に分かれる)と、下位者がつらい、というものだ。これまですべてのリーグ戦にあてはまっている訳ではないが、順位の差が大きく響くようだ。

=6戦目までの上位10人=

  1. 久保利明(5勝)
  2. 秋山太郎(5勝)
  3. 鈴木大介(5勝)
  4. 中川俊一(5勝)
  5. 田村康介(5勝)
  6. 矢倉規広(5勝)
  7. 窪田義行(4勝)
  8. 庄司俊之(4勝)
  9. 石飛英二(4勝)
  10. 石堀浩二(4勝)

 中盤戦も半ばに突入。すると、周囲が「へぇー」と声をあげる程の意外な展開に進む。

 有力と思われた秋山、窪田がよもやの連敗。2つならまだ挽回の余地は残されていると思うが、3つ以上は絶望と言える。過去3連敗を喫して昇段したのは佐藤秀司四段だけ。それも上がりが決まってからの連敗だから参考にはならない。

 久保は下馬評通り星を伸ばし、一歩一歩ゴールに近づいて行く。

 気合いの田村もいい位置につけている。コメントの力強さでこの成績では本人は満足していないだろうけど。

 上位陣が星を落とす中にあって、下位の川上が予想以上のガンバリを見せている。終盤戦を5勝1敗でクリア出来れば、「アッ!」と周囲を驚かせるかもしれない。

=12戦目までの上位10人=

  1. 久保利明(10勝)
  2. 鈴木大介(9勝)
  3. 田村康介(9勝)
  4. 川上猛(9勝)
  5. 中川俊一(8勝)
  6. 行方尚史(8勝)
  7. 秋山太郎(7勝)
  8. 斎田純一(7勝)
  9. 庄司俊之(7勝)
  10. 石飛英二(7勝

 三段リーグを体験した者に、どの時期が一番つらかった、と聞くと、「3人以上で競り合う状況になって残り4戦になった時です」と大半がこう答える。そして付け加えるように、「競争相手の動向より、自分が勝つ、いや!自分に勝つことです」

 富士登山を経験したことのある人なら知っていると思うが、『胸突き八丁』、これが残り4戦にあたるところなのである。

=16戦目までの上位5人=

  1. 久保利明(13勝3敗)1位
  2. 川上猛(13勝3敗)32位
  3. 田村康介(12勝4敗)29位
  4. 鈴木大介(11勝5敗)8位
  5. 行方尚史(11勝5敗)27位

 残り2戦で、5人に絞られた。

 久保はマジック1、川上は自力ながらも順位が悪く、2連勝が条件か。鈴木、行方は順位の関係で久保を抜けず、2着狙いしかない。川上の星が気になるところである。

 三段リーグの最終日(17、18戦)は3月3日、東京将棋会館において一斉に行われた。

 朝から緊張の糸が張り詰める。

 久保は金沢と、川上は窪田と、田村は松本と対戦。

 田村は頻繁に席を立ってウロウロしている。どうも形勢がいいらしい。

 早い終局、田村が勝利を収めた。

 昼食をとりに行く途中だったのか、田村とすれ違った。その時かすかに耳に飛び込んできた言葉があった。

「自力に、自力にさえなれば……」

 もうちょっとで四段に手が届くところまで来た田村。しかし、他力では勝手が違う。心の苦悶が、独り言を言わせたのであろう。

=17戦目までの上位3人=

  1. 川上猛(14勝3敗)32位
  2. 久保利明(13勝4敗)1位
  3. 田村康介(13勝4敗)29位

 久保が金沢に敗れた。千日手になり、指し直し局は久保の完敗だった。

 久保の最終戦の相手は小河で、居飛車穴熊の使い手である。

 穴熊囲いが完成するにしたがって、久保の頭には悪夢が甦ったことだろう。前期、居飛穴の前に屈して昇段を逸したからだ。久保の指し手は一手一手慎重そのもの。まるで、とりつく悪夢を払うように。

 幹事の席の回りに人垣が出来だした。「久保君悪いんじゃないの、小河さんの十八番の形だよ」「川上君は勝ちそうだね、もしかしたら終わっているかも」と、情報が飛び交う。

「静かに!」

 あまり声が高くなったので幹事がみんなを静めるシーンもあった。

 そこで、田村-中座戦の秒読み係をしていた少年が飛び込んで来て、「たっ、田村さん、すごい詰みを見せてくれました」と興奮した口調で話すと、周囲がまた色めき立った。

(中略)

 他の2局が終わっていないことを知ると田村は、「待つ身のつらさか」と言って階下に消えていった。

 川上-北島戦は2図の局面に。

(中略)

 △8三銀が手厚い手。この一手で川上玉はまったくと言っていい程寄らなくなった。勝着と言えそうだ。

 32位、大外からの1着昇段は見事と言うしかない。

 久保-小河戦は3図。形勢は五分五分だ。

(中略)

 △4八竜以下久保勝ち。

 感想戦、久保は泣いていた。止めようにも止まらない泪が頬を流れている。そのしずくに、前期とは違う温かさを感じたことだろう。

 田村は二人の勝ちを知って、しばし声がなかった。今にも暴れだしそうなオーラを放っている。

 勘違いした誰かが、

「田村おめでとう」と言ってしまう。

「バカやろう、ブッ殺されるぞ」

 沈黙の時が―過ぎた。

「勝っても報われずか。旅に出るか」

 こう言って、田村は姿を消した。

 笑う者もいれば、泣く者もいる、それが勝負の世界なのである。

将棋マガジン同じ号より。

* * * * *

「”順位1位は上がれない”は、ジンクスにもなっている」

日本将棋連盟のホームページに掲載されている第28回(2000年10月~2001年3月)以降の三段リーグを見てみると、順位1位で四段に昇段したのは、村山慈明三段、糸谷哲郎三段、豊島将之三段、及川拓馬三段、大石直嗣三段、阿部健治郎三段、菅井竜也三段、大橋貴洸三段、石川優太三段(段位はそれぞれ当時)で、39回中9回となっている。

そのような意味では、11期までは本当に不思議なジンクスが続いていたということになるのだろう。

どちらにしても、そのジンクスを最初に破ったのが久保利明三段(当時)。

* * * * *

「僕の力をもってすれば楽だ!」

田村康介三段(当時)は新三段で、三段リーグでは最年少。

堂々たる押し出しだ。

「自力に、自力にさえなれば……」

「待つ身のつらさか」

「勝っても報われずか。旅に出るか」

田村康介三段(当時)の無念の気持ちを思うと切なくなってくる。

田村三段が四段に昇段するのは2年半後のこととなる。

* * * * *

この期の三段の32人のうち、10代だった7人は、全員四段になっている。

* * * * *

木村一基三段の「田村君には練習将棋で分が悪いので、初戦が勝負だと思ってます」。

行方尚史三段の「相手にナメられないように。それと、2局目の対鈴木戦が勝負です」。

木村三段は田村三段に敗れ、行方三段は鈴木大介三段に敗れている。

* * * * *

また、鈴木大介三段の「弟弟子の田村君には負けたくない。18連勝して抜けるつもりです!」。

鈴木-田村戦の直接対決はなかったが、ライバル意識は燃え上がっていた。

鈴木大介三段(当時)「早く、康介負けないかなぁ」

* * * * *

「笑う者もいれば、泣く者もいる、それが勝負の世界なのである」

この期の三段リーグで言えば、笑ったのは2人だけ、泣いたのが30人ということになる。

過酷な世界。リーグ開始前の32人のコメントを読んでいると、昔のこととはいえ、感傷的にならずにはいられない。