将棋マガジン1993年6月号、高橋呉郎さんの「形のメモ帳」より。
棋王戦五番勝負の最終局を観戦した。羽生善治三冠王の対局を見るのは、羽生が挑戦者になった前々期の同じ五番勝負以来だから、ちょうど2年ぶりのことである。
たまに将棋会館で顔を合わせれば、短い会話は交わす。ふだんは気がつかなかったが、盤側から眺めると、ずいぶんおとなになったな、と印象をあらためた。
前回は、谷川浩司現二冠王に竜王位を奪われた後遺症が、まだ消えていないように見受けた。初めて挫折感を味わった青年のひよわさが感じられた。おまけに、相手が”お地蔵さま”の南芳一九段(当時棋王)とあって、羽生のほうは、いかにも神経がピリピリしているように見えたものだ。
今回の対局場は東京・将棋会館。羽生は中目黒の独居のマンションから、若葉マークつきの愛車を運転してきた。対局前、「20分で着きましたよ」とこともなげにいっていた。ふだんの対局には、めったに自分のクルマではこない。対局に神経をとがらせていたら、運転する気は起こらなかったにちがいない。
この第5局は、振り駒が勝負に大きな比重を占めるだろう、と注目された。記録係が駒を手にすると、羽生は余興でも見るように表情をゆるめて、記録係の顔に視線を送った。羽生の顔を眺めながら、私は、羽生は将棋を楽しんで指すようになったのではないか、と思ったりもした。すくなくとも、2年前はそんな雰囲気はなかった。
その夜の打ち上げ会で、たまたま私は羽生と席を並べた。そこへ羽生にバラの花束が届いた。カードも添えられてあったが、羽生は委細承知といわんばかりに、贈り主を確かめようともしなかった。
当人に贈り主を詮索するほど、私は野暮ではない。ただ、確実にいえることがひとつある。羽生の日ごろの行状を仄聞するかぎり、贈り主は絶対に水商売関係ではない。これはもう、保証してもいい。となれば、熱烈な女性ファンないしはガールフレンドということになりそうだ。
羽生も22歳だから、ガールフレンドのひとりやふたり、いないほうがおかしい。いる、いないはべつにして、勝利の夜に花束が贈られるのは、それだけで、一人前の青年になった証拠だろう。表情がふっくらしてきたのも、ダテに飯は食ってこなかったんだな、と納得できた。
これは、だんぜんいい傾向ですね。将棋で培養されたような生活をつづけたら、ただの好青年で終わってしまう可能性がある。雑多な養分を吸いとれば、もっと線の太さも出てくる。いまでも、羽生は22歳とは思えないほど落ち着いているけれど、線の太さが加われば、花束も一つや二つではすまない。
(以下略)
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対局はもちろんのこと、将棋に関することの時間の比重が大きかったこの当時の羽生善治三冠(当時)に、ガールフレンドがいたとはとても考えにくい。
バラの花束を届けたのは花店だったとして、その依頼主は熱心なファンの方だった可能性が高いと思う。
あるいは、棋士がよく通っていて羽生三冠も行ったことがある酒場のママ(例えば新宿「あり」)という可能性もある。
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とはいえ、この時代に即時にタイトル戦の結果を知る方法は公式にはなかった。
NHKのBSで中継をしていたのは竜王戦と名人戦だけなので、棋王戦は放送はされていない。
また、タイトル戦の結果がニュースで報じられることはほとんどなかった。
あるとすれば、日本将棋連盟に何度か電話をして、結果を聞くということ。
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「カードも添えられてあったが、羽生は委細承知といわんばかりに、贈り主を確かめようともしなかった」
一人以上のガールフレンドがいれば、「誰からなんだろう」と贈り主をすぐに確認したくなるところだが、そうでない場合は贈り主の名前を確認する優先度は相対的に低くなる。
羽生三冠が贈り主を確かめようともしなかったのは、高橋呉郎さんとの会話を中断する時間を極力短くしようという心遣いであったように思えてならない。