田中寅彦九段の人生を賭けた一手

将棋世界2000年11月号の、アサヒスーパードライの広告「キレ味。この一手。 第2回 田中寅彦九段」より。

人生を賭けた一手

 私はA級に4回も昇級した、という大記録(?)を持っている。裏返して言えばA級から3回降級しなければ出来ない記録とも言えるのだが、私自身は倒されても倒されても起き上がってきたことを自慢することにしている。

 昨年度もA級陥落のピンチに見舞われた。最終局の相手は森内八段。彼は勝てれば名人挑戦権の可能性がある。お互いに負けるわけにはいかない大きな勝負だった。

 相矢倉戦に進み、駒組みの最終段階でA級残留を懸けて▲9八香(図)と上がった。

 これが私の人生の一手なのだ。言わずと知れた穴熊を目指した手で対局中はこの手が指せれば悔いなしと思った。私にはこれで四半世紀近くプロをやってきたという自負があり、A級の地位とともに人生を賭けたキレある一手であった。

 将棋は穴熊から私の快勝。現在、将棋界に台頭している二十代棋士の森内八段を破り、A級残留を決めることができて非常に嬉しかった。

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田中寅彦九段らしい入魂の文章。

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矢倉から穴熊に組み直す指し方は、この当時ではほとんどなかった。

それが今では珍しいことではなくなっている。

”序盤のエジソン”と呼ばれている田中寅彦九段の真骨頂と言えるだろう。

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子供の頃「七転び八起き」という言葉を知って、意味する気持ちはわかるけど、どう考えても7回転んだら起きるのも7回ではないか、とずっと思い続けてきた。

しかし、田中寅彦九段の「私はA級に4回も昇級した、という大記録を持っている。裏返して言えばA級から3回降級しなければ出来ない記録」を読んで、「七転び八起き」の趣旨とは微妙に異なるけれども、これぞ「七転び八起き」そのものの世界ではないかと強く思った。

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「七転び八起き」と見た目が似ている言葉に「七転八倒」がある。これは「7回転んで8回倒れてこれだけでも合計15回も苦しんでいる」と子供の頃は考えていたので、現在に至るまで特には疑問に感じていない。