佐藤康光六段(当時)「いやらしい、いやらしいと言われるのはちょっと(笑)」

将棋マガジン1993年10月号、島朗七段(当時)の第5回IBM杯戦順位戦昇級者激突戦決勝〔森下卓七段-佐藤康光六段〕観戦記「花の一日」より。

将棋マガジン同じ号より。

 幸せな人たち(順位戦昇級者)の中でさらに幸せな人を選ぶと言われているIBM杯決勝。今年の組み合わせはB1・森下七段対B2・佐藤(康)六段となった。ただ当然のように、棋士間でのこの棋戦への興味は薄い。何故なら、ほとんどの人たちは出場していないからである。そもそも今期の出場者は羽生竜王や郷田王位のタイトルホルダーをはじめ、加藤九段、村山七段などの全くのスキのないメンバー。それだけ前期の順位戦では本命組が強かったことの証明であり、誰が決勝に出てもおかしくないトーナメントだったと言える。ライバル、強豪を降しての晴れ舞台だけに、両者とも今日の戦いを楽しみにしていたのではないかと思う。

 その心意気は、公開対局を意識しての和服での登場にも表れている。

 森下七段は第1回の準優勝者。当時は日比谷の松本楼で行われていた本棋戦だが、場所も変わって歳月も流れ、もとの対局場には表彰式の主役として出向く格になった。

 佐藤六段はC1で思わぬ足止めを喫したため、久しぶりのトーナメント出場でもあった。これまでの辛苦の蓄積をぶつける最初の目標が本局にあることは間違いない。

 互いに認め合っているこの対戦、玄人好みのファンの方にはこたえられないだろう。それにしても不思議なのは、IBM杯では毎年A級昇級者が振るわないことである。巡り合わせと言う他ない。

(中略)

 負ける時はうまくいかないもので、7図は▲9九歩とする歩もなく、完全な挟撃体制ができあがってしまった。

 ちょっと見落としやすいのだが、次に△2七成銀で飛車が死んでしまうのである。

 ここからは森下七段の力をもってしても勝ち味が薄い。

7図以下の指し手
▲3九桂△5八歩成▲同歩△同香成▲9九歩△9七歩▲9八歩△同歩成▲9九歩△5六歩▲同金△6八成香▲同銀△5七歩▲9八歩△5八歩成(途中1図)

途中1図以下の指し手
▲8八玉△6八と▲同飛△4六と(途中2図)

途中2図以下の指し手
▲5五金△5七と▲6六飛△6七歩▲4四歩△6八歩成(途中3図)

途中3図以下の指し手
▲4三歩成△7八と▲同玉△6七銀▲同飛△同と▲同玉△4三金▲4四歩△2四角(投了図)  
まで、150手で佐藤六段の勝ち。

 執拗なと金攻めに局後の解説や検討で思わず「この攻めがいやらしい」と何度も言ってしまったら佐藤六段も「いやらしい、いやらしいと言われるのはちょっと」で会場は大ウケ。それでもこれほどいわゆる「まむし攻め」が出現した将棋も珍しいのではないだろうか。

 終了後はそのままパーティー会場にて表彰式。熱戦の余韻もさめやらず、ファンの皆さんも充実した時間を過ごされたことと思われる。

 それにしても堂々の優勝であった。

 賞金は何に使いますか、と司会者に尋ねられた佐藤六段「自然となくなるでしょう」と名言を述べた。名誉や賞金よりも、優勝までライバルを倒し続けた喜びがあふれていて、最高の晴れ舞台だったのではないだろうか。彼にとっては花の一日だった。

 一方の森下七段にしてみると、長手数ながら本局は彼の実力から考えれば拙戦の部類に入るだろう。敗者にはつらい居残りを強いられるこのような状況でも、彼はにこやかに歓談していた。さすがに器が大きいなと思わせる、立派な態度であった。

 これは彼の慰めにはならないかも知れないが、多くのトーナメントは優勝者だけが勝ちである。しかしこのIBM杯だけは、驚いたことに出場した人がすべて勝ちなのだ。何とすばらしい棋戦だろう。来期も本棋戦の継続をお願いする次第である。そして各棋士も優勝ではなく出場をめざしての戦いが始まっている。

将棋マガジン同じ号より。

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順位戦昇級者によるトーナメントであるIBM杯順位戦昇級者激突戦。

決勝戦のこの対局は、サンシャインシティ国際会議室で行われている。

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写真の佐藤康光六段(当時)が本当に嬉しそうな表情だ。

賞金が「自然となくなるでしょう」は、たしかに名言だと思う。

ある意味では一番幸せなお金の使い方かもしれない。

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「いやらしい、いやらしいと言われるのはちょっと」

「いやらしい」「友達を無くすような」「嫌がられる」など、普通の世界では忌み嫌われる意味の形容詞が、将棋の指し手の場合は最大級の褒め言葉になっていることが多い。

よくよく考えてみると、面白い現象だ。