両対局者が朝食を食べながら指されたタイトル戦

将棋世界1984年5月号、共同通信の高井慶三さんの第9期棋王戦第4局〔森安秀光八段-米長邦雄棋王〕観戦記「米長3-1で防衛”三冠王”揺るがず」より。

 第1局の京都を皮切りに、広島、新潟を転戦した棋王戦は、約1ヵ月ぶりに舞台を東京へと移した。この間、米長は王将位を初防衛、森安は念願の名人挑戦権を獲得するなど、ともに絶好調を維持。ただ、両者は昨年暮れから大きな対局が込み合っており、今が疲労のピーク。天王山の新潟決戦(3月9日・室長旅館)では200手を超える棋王戦史上最大の死闘を繰り広げ、何やら消耗戦の様相を呈してきた。

 3月21日、将棋会館4階の「特別対局室」。定刻10分前に米長が現われ、床の間を背に座った。開口一番、「朝食はどうされました?」。前日から会館に泊まった両雄だったが、当初、宿泊予定のなかった米長は、記者の不手際から朝食をとり損ねた。少考して「あんパンとジュース」を米長は注文。

 しばらくして現れた森安。あんパンの話を聞いてさっそく便乗。というのも、朝食に出たトーストが分厚すぎて食欲をそそらなかったらしい。「どうして東京のトーストはあんなに厚いんですかねえ。あれ、かえって食べづらいと思うけど…」と納得のいかない様子。両対局者とも五番勝負の始まったときから比べると、幾分やつれ気味で顔色もよくない。

 午前9時、立会人の高柳敏夫八段が「時間になりましたので」と声をかけ、対局開始。森安はノータイムで角道を開け、米長もすぐ飛車先の歩を突いた。予想通り、米長の居飛車-森安の四間飛車の対抗。お互い指し慣れた順とあって、駒組みは快テンポで進んだ。17手目、森安は8分考えて▲5六歩。「中央位取りに来られるのを警戒した」と。

 9時30分、両対局者のもとへ「あんパン」が届く。ご丁寧につぶあん、こしあんの2種類が並んでいる。それをパクつきながら米長、「森安先生はいいことずくめだね」。もちろん名人戦のこと。森安は思い出したように「そうだ、きょうは封じ手の練習をしますか。何せ二日制の将棋はまだ指したことがないですからね」。そのすぐあとで「米長さんのおかげで名人挑戦者になれました」と持ち上げた。まだ午前中とはいえ、タイトル戦の最中に両対局者があんパンを食べながら談笑するシーンなど、そうめったに見られるものではない。これも米長-森安戦ならではの光景である。

(以下略)

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あんパンとジュースなので、午前のおやつの時間よりも1時間早いおやつと見ることもできるが、米長邦雄棋王(当時)が例えば「アメリカンブレックファスト、ベーコンとサニーサイドアップで」と言っていればそのような朝食が出てきたわけで、位置付け的には正真正銘の朝食と言えるだろう。

両対局者が揃って朝食を食べながらの対局は非常に珍しいし面白い。

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森安秀光八段(当時)の「どうして東京のトーストはあんなに厚いんですかねえ」。

調べてみると、森安八段の感想とは逆に、関東では6枚切りや8枚切りの食パンが好まれるのに対し、関西では4枚切りや5枚切りの厚手の食パンが好まれているという。

東西で食パンの好みも違う?(パン食普及協議会)

30年前はそうではなかったのか、あるいはこの日の森安八段の朝食を用意した店のトーストが異様に厚かっただけなのか、この辺のところはわからない。

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つぶあんとこしあんの問題も取り上げられることが多い。

関東ではこしあんが主流で関西ではつぶあんが主流という調査もあれば、その逆の考察をされている方もいる。また、あんぱんは東日本:こしあん、西日本:つぶあんとしながらも汁粉は東日本:つぶあん、西日本:こしあんという調査もあり、要はあんこに関しては地域差があまりないと見て良いのかもしれない。

いくつかの調査を見て一つ言えることは、つぶあん支持派の方が多いということ。

私は仙台市出身で、厚手の食パン派・つぶあん派だ。