「我々には絶対やらないような指し手のミスを、どうして羽生のときだけやるのか。信じられないことだ」

将棋世界1993年10月号、中平邦彦さんの第34期王位戦七番勝負第3局〔羽生善治四冠-郷田真隆王位〕観戦記「羽生、怒涛の3連勝」より。

王位戦第3局。将棋マガジン1993年10月号より、撮影は中野英伴さん。

「なんとかならんのかね、あの羽生という男は。全然負けないから、ちっとも面白くないなあ」

 酒場で出会った知人がつぶやいた。

 なんとかならんかと言われても、こっちの知ったことか。周りが弱いというのではなく、彼が強すぎるのがいけない。悪女にひっかからない限り、まだまだ勝ち続けるんじゃないか。

 そんな、わけのわからないことをこっちもつぶやきながら、今は亡き大山十五世名人のことを想い出していた。彼は数々の、にくらしい名言を残しているが、その一つにこんなのがあった。

「棋士は憎まれるようでないといけない」

 いやまったく、その通りで、本物の強さとは、そこへ到達するのだろう。そして羽生は今、その位置に片足ぐらいを踏み入れている。

 青白い顔に細い身体。腕など折れそうに細いのに、ねじ込むような手付きで指す手はきつい。小声で話し、決して出しゃばらず、笑ったら少年のように優しくて、本当に気持ちのいい好青年なのに、鬼のように勝つから困ってしまう。にくたらしいぐらいなのに憎めない…。これが将棋ファンの心境ではあるまいか。

 その羽生が、五冠をもぎ取ろうと王位戦にやってきた。迎え撃つのは同じ22歳の郷田である。

 若い羽生がこれまでタイトル戦で戦ってきたのは、年齢もキャリアも上の棋士である。しかし今回は立場が逆であり、しかも過去にあまり戦っていないから手の内もわかりにくい。

 いかに羽生といえども、今回は少々やりにくいのではないか。剛直で、とことん読みつくしてくる郷田との間合いをつかみ損ねて、谷川は王位を取られた。羽生も苦労するだろうと思った。

 ところが、ふたをあけてみたら羽生の2連勝である。その間、羽生は谷川から棋聖も奪って四冠王になっている。1、2局とも羽生は郷田の見せたわずかの隙を見逃さず勝ち切っている。逆に言えば、郷田の方に郷田らしさが出ないままにきてしまった。

 郷田はなんとかしなければならぬ。

(中略)

 セミが鳴く。今、鳴いておかねばもう鳴くときがないような懸命さで。その大合唱は驟雨のように聞こえ、声明のようにも聞こえる。短い夏を惜しんでいるのだろう。

 神戸の奥座敷、有馬温泉の中の坊瑞苑は、王位戦の定宿である。玄関に入ると、ほのかに香のかおりが漂う。

「お若くなりましたね、ほんとに」

 と、おなじみの愼支配人が言う。私のことではなく、対局者のことである。

 ここで内藤、加藤、高橋、米長、谷川らが戦った。考えてみれば、こんなに若い二人の勝負は初めてである。

 二人とも無口で、前夜祭でも聞き役に回って静かだし、対局が始まれば一言もしゃべらず、対局室を一歩も出ない。

 呼吸をはかったように相矢倉。羽生は3七銀型である。

(中略)

* * * * *

将棋マガジン1993年10月号、内藤國雄九段の第34期王位戦七番勝負第3局〔羽生善治四冠-郷田真隆王位〕観戦記「恐るべき若者たちよ」より。

 王位戦には特別の思い出がある。

 私が大山さんから王位を譲って頂いたのは21年前。今回の両対局者がちょうど生まれて間もない頃である。

 あのときオギャーと生まれた赤ちゃんが今は我々を押し退けてタイトルを争っている―と思うと感無量である。その時大山さんは49歳、私は32歳であった。今回二人足して44歳。若者が年上の者に挑戦するという時期をあっという間に通り越して、今や若者どうしでタイトルを争うのである。普通なら「頼もしい若者たちよ」というべきところであろうが、そんなことでは間に合わない。いやもう、恐るべき若者たちよである。

 今期の王位戦第3局は有馬温泉でも最上級の中の坊瑞苑、これ以上は望めないという設定である。

 思い出せば私のときは、ファイトマネーも今とは桁違いに少なかった。

(中略)

 それはともかく、今人気のJリーグに相撲、さらに野球、プロレス、ボクシング、競馬、競輪、どれも観客席はすごい熱気と歓声がある。

 将棋にはそれがない。では、将棋は静かに耳を傾ける演奏会のようなものだろうか。いや演奏会には終わってからの熱烈な拍手、そしてアンコールが待っている。

 将棋はどの競技にもまして激しく深みがあるが、歓声も拍手もない。

 あとで一人会心の手を思い出してニヤリとしたり、不味い手にほぞを噛むおもいをしたり、とにかく孤独な世界である。

「将棋はこういう地味な世界。それをファンに繋ぎ、人気を継続してくれたのは新聞社のおかげです」

 立会人として私はこうあいさつ申し上げた。

 さて、挑戦者の羽生君はすでに四冠王。この相手には負けても仕方ない、恥にはならない、そういうムードが棋界に流れてきた。勝負としては相手にそう思わせたらしめたもので、いよいよ楽になる。

 かつて最盛期の木村名人や大山名人がそうだったが、22歳のA級入りしたばかりの若い青年がこういうムードを作ったというのは驚くべきことである。

 郷田王位は昨年、対谷川戦で株をあげたが、その後の羽生の快進撃を見て「この相手には」というムードの影響を受けていないか。それが私としては一抹の気掛かりであった。

(中略)

 △9四歩に▲7七桂で先手の玉に詰めろはかからない。△6八角成は自玉の詰みを承知の形づくり。両者最後の1分まで使って2日目19時6分に終了した。

 矢倉はハシの攻防というのが今や常識となっているが、やはり将棋は中央で戦う方が見ていて楽しいものである。郷田王位には△6九金と△8五歩の二手のために残念な結果となってしまったが、なかなか見ごたえのある将棋であったと思う。

「我々には絶対やらないようなミスをどうして羽生のときだけやるのか。信じられないことだ」と悔しがった棋士がいる。先の棋聖戦で光速の谷川が、本来なら逃さない終盤の勝ち筋を二度も見逃してしまったときである。

 谷川君もこのショックが尾を引いたのに違いない。その後、他の人との対局で、相手が投了する代わりに放った無意味な角合いに対して、竜を切って詰ましにいき(詰みがあったのに)、逃すという、なんとも奇妙な負け方をしている。

 それはさておき、相手にミスを誘うのも実力のうちと言える。

 張り詰めた弦の糸は切れやすい。

 余裕を相手から奪うという、のしかかるような圧迫感を、羽生竜王は相手に与えているのだろうか。

* * * * *

将棋世界1993年10月号、中平邦彦さんの第34期王位戦七番勝負第3局〔羽生善治四冠-郷田真隆王位〕観戦記「羽生、怒涛の3連勝」より。

(中略)

 郷田の粘りも結局は届かない。

 必死に追いすがり、羽生玉は中原に浮いて危うい形になったが、駒が一枚足りない。そして最後は即詰みの投了となった。

 羽生の3連勝である。強い、の一語に尽きる。今の羽生と戦って勝てる相手が将棋界にいるのだろうか。そんなことを思ってしまう。五冠王は、もう手の届くところにある。

 郷田はもうあとがなくなった。しかしこのまま引き下がっては、これからの長い勝負にも響く。これまで発揮できなかった郷田らしさをぜひ見せてほしい。

 打ち上げのあと、娯楽室に羽生は来たが、郷田は自室に引きこもっていた。何を考えていたのだろう。その間、羽生は富山で挑戦した百面指しの話をして周囲を笑わせた。一回りしてくると、駒が2手も3手も動いていて弱ったとか。

 深夜に羽生が引きあげたあと、郷田が現れた。何事もなかったように麻雀を朝方まで楽しんでいた。若さである。

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冒頭の中野英伴さんの写真。

羽生善治四冠(当時)の乱れた襟、肩を落としたように見える郷田真隆王位(当時)。

大激戦の直後の雰囲気が強く伝わってくる。

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「棋士は憎まれるようでないといけない」

羽生四冠はどんなに強くとも、憎まれるようなことはなかったと思う。

若くてベビーフェイス型ということも要素としてあったし、憎まれる・憎まれないを超越するほどの強さだったということもある。

「挑戦者の羽生君はすでに四冠王。この相手には負けても仕方ない、恥にはならない、そういうムードが棋界に流れてきた。勝負としては相手にそう思わせたらしめたもので、いよいよ楽になる」

この内藤國雄九段の言葉が、当時の様子をより表しているだろう。

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「お若くなりましたね、ほんとに」

「その時大山さんは49歳、私は32歳であった。今回二人足して44歳。若者が年上の者に挑戦するという時期をあっという間に通り越して、今や若者どうしでタイトルを争うのである」

まさしく、若者が年上の者に挑戦するという時期をあっという間に通り越してしまうことになる。

時代が変わるということは、このようなところまで変えてしまう。

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「将棋はこういう地味な世界。それをファンに繋ぎ、人気を継続してくれたのは新聞社のおかげです」

全くその通りだと思う。

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「我々には絶対やらないようなミスをどうして羽生のときだけやるのか。信じられないことだ」

羽生四冠にはそのつもりはなくても、相手が転んでしまう。

「余裕を相手から奪うという、のしかかるような圧迫感を、羽生竜王は相手に与えているのだろうか」

棋士でなければここまでの洞察をすることはできない。この内藤九段の表現が絶妙だ。

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「その間、羽生は富山で挑戦した百面指しの話をして周囲を笑わせた」

この対局が行われる4日前に、羽生四冠は富山市で百面指しを行っている。

また、郷田王位も同じ日に長野県伊那市で50面指しをやっている。

羽生四冠の100面指しについては、また明日の記事で。

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「深夜に羽生が引きあげたあと、郷田が現れた。何事もなかったように麻雀を朝方まで楽しんでいた。若さである」

この頃、タイトル戦3連敗から4連勝という例がなかった。

郷田王位もいろいろ考えたいことがあったろうし、関係者に気を遣わせないように、娯楽室では羽生四冠とは時間差になるようにしたのかもしれない。