森雞二九段「おじさんは駄目なんですよ、みんな振り飛車党だから」

将棋世界1995年12月号、野口健二さんの第8期竜王戦七番勝負〔佐藤康光前竜王-羽生善治竜王〕第1局観戦記「竜虎の戦い」より。

 名局の誉れ高き前期第6局から早10ヵ月、羽生善治竜王と佐藤康光前竜王が再び第8期竜王戦七番勝負で激突する。

 二人とも”竜王戦の顔”ともいえる実績を残しているのはご存知の通り。羽生は6期目の登場で、獲得は3期。佐藤は第1期から5期連続で昇級し、前々期は羽生を破り初タイトルを獲得している。20回を数える対戦のうち最近の16局が竜王戦(挑決などを含む)でのもので、ほぼ互角の勝負を繰り広げている……。

 というような数字より、ファンにとっては素晴らしい将棋の数々が鮮明な記憶として残っていると思う。そしてこれから始まる戦いへの期待が胸を膨らませる。

 三度目の対決。その第1局の舞台は、中国北京市の「京倫飯店」。

前夜祭で、原田泰夫九段の乾杯の音頭に笑みがこぼれる両対局者。将棋世界同じ号より、撮影は弦巻勝さん。

(中略)

 ▲3五歩まで見て、副立会の森九段らと市内の撮影に出かけた。目指すは天壇公園近くの虹橋市場。初めて訪れる町では、まず市場に行くのがカメラマンの定跡、という弦巻氏の提案によるものだが、市場を歩いた30分ほどの時間は、得難いものだった。幅4~5メートルの路地の両側に衣類、肉、野菜などを売る露店や、串焼きを食べさせる店などがびっしりと並び、行き交う人と肩が触れ合うほどの賑わいを見せている。底知れぬエネルギーを感じさせるその光景は、高層建築が点在し、経済発展で活気づく中国のまた違った一面を感じさせた。

(中略)

将棋世界同じ号より、撮影は弦巻勝さん。

将棋世界同じ号より、撮影は弦巻勝さん。

 対局場のホテルに戻った時には3図から△7三桂▲4八角と進んだ局面になっていた。

羽生佐藤1

 3図では、△3七歩と垂らす手が成立するように見える。以下、▲4八角△3八歩成▲同飛△1九角成▲3七角△同馬▲3七桂(参考1図)で後手の香得。なぜ△3七歩としなかったのか、控え室の面々は一様に首をひねっていたという。

羽生佐藤2

 当然感想戦でもこの手順が質問されたが、参考1図以下、△4二銀▲8八玉△8五歩▲4五銀△同銀▲同桂△4九角▲2八飛(参考2図)で先手が指せるという両対局者の返答だった。この順を示された立会の大内九段は、「そういうものですか」と納得のいかない様子だったが、森九段から「おじさんは駄目なんですよ、みんな振り飛車党だから」。衛星放送の解説者・小林八段も「普通は香得で後手良しと思っちゃう」と、居飛車と振り飛車の感覚の違いが端的に現れた場面だった。

羽生佐藤3

 しかし△7三桂は、局後真っ先に羽生が「ちょっとずうずうしかったかも。玉が不安定なので、この後ずっと苦しかった」と悔やんだ手だった。

(中略)

羽生佐藤4

ところで、感想戦でこんなやりとりがあった。「▲4八角に△8五桂(参考3図)だったか。▲8六銀に……」という羽生に、「▲8六銀は△5五歩で自信がないので、▲6五歩のつもり」と佐藤。「△7三角と引くと」「いや、△7七桂成と来られて」に「エーッ」と羽生。この後、▲6四歩から激しい攻め合いとなり、先手が指せる変化となるが、本局の感想戦では、読み筋の違いが随所に現れた。それが何を意味するのかは分からないが、印象に残る光景だったので、敢えて記しておきたい。

(中略)

 終局は6時29分。

 佐藤が矢倉巧者ぶりを発揮した本局だが、羽生の猛追、そして感想戦で披露された読みの凄みと、今期七番勝負も激闘必至と予感させる素晴らしい内容だった。

将棋世界同じ号より、撮影は弦巻勝さん。

将棋世界同じ号より、撮影は弦巻勝さん。

(中略)

 対局の翌日、両対局者をはじめ関係者一行と万里の長城に登った。全長6千キロに及ぶ城壁を築き上げようと考えた先人の想像力と遠大な営みの成果である。二人が何を感じたかは分からない。しかし七冠を目指し天空を駆ける竜王と、虎視眈々とタイトル奪取を狙う挑戦者は、その雄大な光景にしっくりと溶け込んでいた。

万里の長城にて。将棋世界同じ号より、撮影は弦巻勝さん。

明の十三陵の一つ、定陵にて。将棋世界同じ号より、撮影は弦巻勝さん。

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羽生善治九段と佐藤康光九段という、3年連続同じ顔合わせでの竜王戦七番勝負。

この二人の海外対局ということでは、シンガポール、パリに続く北京。

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「大内九段は、『そういうものですか』と納得のいかない様子だったが、森九段から『おじさんは駄目なんですよ、みんな振り飛車党だから』。衛星放送の解説者・小林八段も『普通は香得で後手良しと思っちゃう』と、居飛車と振り飛車の感覚の違いが端的に現れた場面だった。

3図からの△3七歩が良い手にはならないという話。

振り飛車党と居飛車党の感覚の違いなのか、あるいは矢倉戦独特の感覚なのか、私のような振り飛車党にとっては考えさせられてしまう変化だ。

3図を左右を反転させた相振り飛車(左右反転図)だとしても、△7七歩は良い手ではないということになる。

左右反転

昭和の振り飛車党は、一生かかっても、この感覚は理解できないのかもしれない。

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「対局の翌日、両対局者をはじめ関係者一行と万里の長城に登った」

万里の長城には一度行ったことがある。

ちょうど大河ドラマが『北条時宗』の時だったので、フビライ・ハンがあっちの方から万里の長城を乗り越えて向こうの方へ行ったのかな、などと考えていた。

7月初旬の38度の暑さだった日で、一人で長城の階段(?)をそこそこ登ると、足が動かなくなってしまった。そのようなことは生まれて初めてで、5分ほど立ったまま休んで、そこからUターンして戻ったものだった。

普通の階段とは違うので、距離感がつかめなくて思った以上に距離があったのか、あるいは単に足が軟弱だったのか、とにかく万里の長城というと、フビライ・ハンと足が動かなくなったことを思い出してしまう。