屋敷伸之六段(当時)「というわけで、前置きが長くなってしまいましたが、とても書きたかったことなので、わがままと思いつつも書いてしまいました」

近代将棋1996年3月号、屋敷伸之六段(当時)の「本筋の序中盤戦」より。

 昨年の年末、賞金王決定戦を見に行った。競艇のSG戦(タイトル戦のようなもの)の中でも一番賞金が高いレースで、優勝賞金はなんと6,000万円である。当然、選手達も血眼になって走るはずで、そんな戦いを見に行かないわけにはいかない。というわけで、友人達と大阪まで遠征していった。

 この賞金王決定戦のシステムは賞金を稼いだ上位12人で行われる。よって「6,000万」の権利があるのはその12人だけで、将棋で言えば日本シリーズのシステムに似ているといえる。

 今回は賞金1位の服部選手が2億円なるかと話題になったが、4日間の短期シリースで強者ぞろいなので、リズムに乗り切れないと勝つのは難しい。事実、その服部選手は2日目の時点で優勝戦に乗ることができなくなった。

 そんな中、最終日の優勝戦にはやはりこの人たちがという6人が乗っていた。

 その中には、私の好きな植木選手も乗っている。1年間を通して、パッとしなかったが、こここそが、絶好の勝ち頃であろうと思っていた。逆にここで勝てないようではまたしばらく勝てないのではないかと思っていた。

 そんなことを思いながら券を買い、レースが始まるのを待つ。購入した額は少なくなかったが、選手が6,000万を賭けて走るのに比べれば、そんな物はたいしたことはなかった。

 そんなこんなであっという間にレースが始まっていた。みんな早いスタートだったが、1Mは中道選手と植木選手が抜け出す。そこから2人のマッチレースが始まった。2Mで植木選手が中道選手を差す。思わず「良し」と言ったが瞬間、友人に「良しと言ったね」と忠告される。そうなのだ、喜んだ瞬間に結果が変わったことはいくらでもあったのに…。

 2周1M、植木の一瞬のスキを衝き、中道が突撃。その瞬間、順位が入れ替わり、私は倒れそうになっていた。やはり叫んではいけなかったか。ところが、勝負はそこでは終わらなかった。2周2M、差が縮まる。植木のあの伸びなら捕えてもおかしくはないと思っていた。

 3周1M、植木がものすごい差しを決めて並走状態になる。場内でどよめきが起こった。

 3周2M、植木が先に回ったが、中道も引いて差し、並走状態。見ていてどちらが勝つか全くわからなかった。「植木~」知らぬ間にそう叫んでいたような気がする。

 残り30mぐらいでようやく植木が勝ちそうな気がしたがわからなかった。

 1着はどちらか。中道か植木か。掲示板に5の数字が灯った。植木の勝ちだった。が、勝ち負けなどはもうどうでも良かった。あまりにも凄まじいレースだったのでしばらく興奮がおさまらなかった。ここまで来て、生で見たかいがあった…。そう思わせるレースだった。

 優勝インタビューで植木選手は涙を流していた。とても、いい顔をしていた。

 というわけで、前置きが長くなってしまいましたが、とても書きたかったことなので、わがままと思いつつも書いてしまいました。

 さて、先月は序盤の小競り合いの局面を解説していったが、今月はどこから戦いを起こすかを見ていただきたい。

(以下略)

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将棋世界1996年3月号、屋敷伸之六段(当時)の「プロの視点」より。

 今年こそは少しボートに行く回数を控えて、将棋に打ち込もうと思っていたのですが、年明け早々に早くも行ってしまいました。元旦はさすがに行かなかったのですが、次の日に行こうと友人に誘われて、なんとなく承知してしまいました。

 1月2日。場所は群馬県の桐生ボートです。こんな正月から競艇に行く我々を皆さんはバカだと思われるかもしれませんが、本当にバカなので仕方ありません。

 こんなにバカなことをするのは我々ぐらいだろうと意気揚々と桐生へ向かっていったのですが、競艇場に着いて中へ入った瞬間それまでの楽観気分がどこかへ吹き飛んでいってしまいました。

 とにかく、人が多いんです。めちゃくちゃに混んでいるのです。桐生には何度か行ったことはあるのですが、こんなに混んでいるのは見たことがありません。まあ、混んでいるのだけなら仕方がないのですが、いつもいるようなオヤジばかりではなく、家族連れや、カップルがやたら多かったのです。なぜ、これだけ人がいるのかしばらくはわからなかったのですが、どうも正月だからこそ、人が多いのではないかと勝手に自分で解釈しました。正月→ヒマ→何かないか→そうだ競艇に行こうという図式ではないかと思いました。

 それにしても、大変なのは選手の方ですよね。正月から休む間もなく走らなければならないのですから、他人事とはいえ気の毒に思いました。

 その選手達はほとんど地元なので、地元のスターを見るために地元のファンが来るという図式も出来上がっているのでしょう。確かに、お盆のときと年末のときも、こちらの方ではそういう感じで人が多かったです。そういう意味でお正月もそうなのかと初めて知り、なかなか勉強にはなりました。

 我が業界もお正月から全国各地でなにかしらのイベントをやれば、かなりの人が集まるだろうなとは、おぼろげながら思ったのですが、やはり実現までとなるには、大変でしょう。そんな余計なことを考えたからか、結果の方は散々でした。

 しかし、次の日もめげずに違うところで戦ったのですが、やはり、あまりの人の多さにげんなりして、嫌になってしまいました。

 ”結論”正月は外に出るべからず。

 さて、前回は△4四角(1図)と出たところまでだったが、ここから先手がどういう方針で指していくかを検討していきたい。

(以下略)

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屋敷伸之六段(当時)が書きたくて書きたくてたまらなかった文章。

近代将棋に年末のこと、近代将棋よりも発売日が少し後になる将棋世界にお正月のことと、時系列的にも両誌とも読んでいる読者のことを思った構成になっている。

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「元旦はさすがに行かなかったのですが、次の日に行こうと友人に誘われて、なんとなく承知してしまいました」

大阪へ一緒に行った友人と同じである可能性が高い。きっと面白い友人なのだと思う。

競艇に限らず、何かをやった後の、居酒屋での感想戦は盛り上がる。

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「こんな正月から競艇に行く我々を皆さんはバカだと思われるかもしれませんが、本当にバカなので仕方ありません」

屋敷六段の競艇や選手に対する愛情が本当に感じられる。

このような積み重ねなどもあり、屋敷九段は2013年から、公益社団法人日本モーターボート選手会の理事を務めている。

理事及び監事の名簿(公益社団法人日本モーターボート選手会)

屋敷九段以外の役員はボートレース選手、関連する団体の会長や理事長なので、いかに屋敷九段の理事就任が凄いことかがわかる。

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1996年の中盤、屋敷七段(当時)は、競艇への思いを熱く語った自戦記を書いている。

屋敷伸之七段(当時)の奇想天外自戦記