佐藤康光七段(当時)「……あのねえ」

将棋世界1996年4月号、先崎学六段(当時)の「先崎学の気楽にいこう」より。

 1月某日―都内某所にて、河豚を食う会が開かれた。前期の竜王戦で、まあ僕は決勝で負けた訳だが、その後に、友人になぐさめ酒をつき合って貰った。「いや、佐藤君は強かった」この一言がきっかけとなって、羽生-佐藤の竜王戦の話となった。話は盛り上がった。僕が佐藤が勝つと言い張ったのである。

 アッという間に、では賭けようということになった。この辺は酒席の勢いである。負けた方が河豚だ―。

 かくして僕が奢る破目となった。

 メンバーは、くだんの友人夫妻と、漫画家の花摘香里さん。森内俊之君。それにA級戦犯の佐藤君である。

 実は、この日は秘かな楽しみがあった。僕の本の見本が出来あがる日なのである。その本の表紙を描いてくれたのが花摘さんなので、そのお礼も兼ねていた。

 亡くなられた山口瞳さんのエッセイに、編集者が見本を届けてくれる日は、酒を用意して待っているのが礼儀だという一文があった。僕は山口さんのファンだったので、それを真似したわけである。

「佐藤君に乾杯」

「どうもありがとうございます」

 こんなことをいわれてニコニコしている佐藤君も人がいいが、負かされたうえに、その相手にのって、しかもその相手にもついでに奢ってしまう僕は、かなり滑稽である。

 佐藤君にいわれる。

「他人の将棋に賭けるなんて、信じられない」

「いいじゃないの、カタいこといわずに。佐藤君だって俺の将棋に賭けりゃいい」

「……あのねえ」

 そろそろ雑炊という頃、本が届いた。

 表紙の花摘さんのイラストは、僕の頭の隣にコアラが描いてある。彼女によれば、僕の顔を描くと、自然にコアラになってしまうほど似ているんだそうな。

 そういえば、NHK将棋講座でアシスタントをしてもらったほんまゆみさんは、僕の顔をパンダに描いた。いや、3ヵ月間、僕に関するイラストは、全てパンダになっていた。

 男は年を取ったら生きてきた歴史が、若い頃は思想や行動が顔に出るという。じゃあ珍獣系の顔というのは、どういうことなのだろうか。

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竜王戦七番勝負、挑戦者決定三番勝負で1勝2敗で敗れた先崎学六段(当時)が「挑戦者の佐藤康光前竜王(当時)の勝ち」、先崎六段の友人が「羽生善治竜王の勝ち」と賭けて、先崎六段が賭けに負けてしまったという展開。

「いや、佐藤君は強かった」の言葉から、負けた方が河豚を奢るというこの賭けは、挑戦者決定三番勝負第3局終了後の深夜に成立したものと思われる。

先崎学六段(当時)「そんなに急いで酔っぱらわないでくださいよ夜は長いんだから」

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河豚の宴会に、友人夫妻と漫画家の花摘香里さんが呼ばれるのは自然な流れで、さらに佐藤康光七段(当時)も招待するのが先崎六段の真骨頂。そして、佐藤康光七段と仲の良い森内俊之八段(当時)も加わっているのが微笑ましいというか可笑しい。

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「こんなことをいわれてニコニコしている佐藤君も人がいいが、負かされたうえに、その相手にのって、しかもその相手にもついでに奢ってしまう僕は、かなり滑稽である」

よくよく考えてみると、この時点で、佐藤康光七段はすでにA級昇級を決めており、森内俊之八段は名人戦挑戦の有力候補であり、先崎学六段もC級1組昇級への可能性を高めていた。(最終的には森内八段は名人挑戦を、先崎六段はC級1組昇級を決めている)

この河豚の宴会は、同世代の佐藤康光七段への昇級お祝い、同世代の森内俊之八段とともに順位戦で頑張ろう、という思いもあって、先崎六段がこの二人も招待したと考えることもできそうだ。